5 シャンタルの想い
「マユリアが誰かに乗っ取られてる、なんて」
べルがゴクリと唾を飲み込んだ。
「おい、もう一度よく思い出してみろ」
「何を?」
「マユリアに手を掴まれた時のことだ」
「さっき思い出したんだけどなあ」
そう言いながらもシャンタルは目を閉じ、ふうっと息を吐いて思い出す。
「最初はトーヤの手だと思ったんだよね」
「え?」
「宮の部屋で溺れた時」
「ああ、そういやそんなこと言ってたっけな」
トーヤがその話を聞いたのは、シャンタルが目覚めてトーヤに助けを求め、そして湖に沈む決意をした後のことだ。ミーヤとキリエはできるだけ細かく、どんなことがあったのかを話してくれた。この先のどういうことの助けになるか分からなかったからだ。
「えっと、おまえが溺れて、そんでミーヤに自分を引っ張ったのが誰か聞いたってことだったな」
「うん、そう」
シャンタルはゆっくりと呼吸をし、あの時のことを再現するように思い出す。
「あの時、ミーヤが溺れて見せてくれて、本当にびっくりした。何が起きてるのか分からなかったけど、とにかくミーヤが苦しんでいることだけは分かった。キリエがミーヤを介抱しながら、ミーヤがなぜそんなことをしたのかを訴えてきた」
『どうぞミーヤの思いをご理解ください。これほどまでに苦しんでまでシャンタルに怖さを知っていただきたい、そう思った小さな侍女の思いを……』
「あの時の私には、まだ怖いとか苦しいとか、そんなことが一切理解できなかった。だから湖に沈まなければならないと言われても、それがどういう意味だか本当には分かってなかった。大変なことだなんて、思いもしなかった。だけど、苦しむミーヤを見て、私のためにミーヤがそんなことをしたのだとキリエに言われて、その思いに応えるには沈まないと約束しないといけないのだな、と思った。だから沈まないと約束した。単にそれだけのことだったんだよ、あの時は」
シャンタルの正直な気持ちであった。
思えば八年前から今日まで、トーヤとシャンタルはそんな話を一切したことがなかった。だから、あの時、シャンタルが本当はどう思っていたか、どう感じていたか、そのことを聞くのはトーヤも初めてだった。
「それで、ミーヤがどうなってるのかと思ってミーヤに触った。半分はおそらく好奇心だね。どうしてミーヤがそんなことになっているのか知りたかったと思う。そして後の半分は、おそらくシャンタルの本能かなあ」
「本能?」
「うん。トーヤも見たでしょ? 私がリルに慈悲を与えたのを」
「ああ」
リルがダルに失恋したあの時、自分の過ちに気がついて泣くリルに降らせた慈悲の雨、そのことを言っている。
「とにかく考えるより先に手が伸びてミーヤに触ったんだ。その途端、息ができなくなって、苦しくて苦しくてもがいていたら、温かい手が私の手を掴んでくれて、そうして夢の中から引っ張り出してくれた。やっと息ができるようになったんだけど、そのまま気を失ってしまった。それでその後、目が覚めた時にそばにいたミーヤに聞いたんだ。私の手を掴んで水の中に引っ張ったのは誰かって」
『あの人は誰?』
『誰かがシャンタルの手を掴つかんで水の中に引っ張ったの……』
『その人が手を引っ張ったからシャンタルは水の中で息ができなくなったの……』
「それでミーヤにどんな人か聞かれて思い出していたら、トーヤだったんだよねえ」
「違うぞ」
「うん、違った。なんだか記憶が混乱してたんだよ。それでその時に知った怖いという気持ちから、トーヤが怒った顔をしてたことにつながったんだろうね。何しろひどいことを言われたからねえ」
シャンタルがそう言ってクスッと笑った。
「だって、今だから分かるけど、あれは本当にひどいよ」
『分かったな、お前が息絶えるまで、だ。よく覚えておけクソガキ……』
「いや、あれは……すまん」
「ううん、いいよ。仕方なかったと思う。でもまあ、それにしてもひどいよね」
シャンタルがそう言ってクスリと笑い、トーヤがなんとも言えない顔をして両手を頭の上に置いて大きなため息をついた。
「でも、反省して後悔してたのも知ってるから大丈夫だよ?」
「何を知ってるって」
「うん、フェイのところに行って、それで言ってたよね、『あれはきついよなあ……自分でも分かってる』って」
「おい!」
そういやこいつあの時のフェイとの密談を聞いてやがったんだ!
トーヤは唐突に思い出し、続く言葉を止めようとしたが、
「それで、かっこよくなりたい、そう言ってため息ついてたんだよねえ」
遅かった……
「え、え、それ何?」
こんな面白そうな話に食いつかないベルではない。
「うん、あのね」
「やめろ!」
いつもなら、こういう場面でアランが場をしめるのだが、残念ながら今はアラン隊長はいない。
「って、今はそれどころじゃないよね、また今度にしようか」
と、驚くことにシャンタルがそう言い出してやめた。
「話を戻すけど、一度はトーヤだと思ったんだ、その手が。その考えはなかなか変えられなかった。だけど、ミーヤがあの水の夢の話をしてくれ、どうしても必要だと言って、思い出していたらトーヤじゃなかったことに気がついたんだ。今度は水から助けてくれたミーヤの手だと思った」
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