20 キリエの訪問
宮からの使者に会ってもおかしくはないと思える服装に急いで着替え、リルは応接室へと向かった。
宮からの客だという人を見て飛び上がるほど驚く。
「!」
もう少しでその人の名を呼びそうになりながら、なんとか押し留める。
この
「さすがリルですね」
その方は面白そうにクスリと笑った。
もしも、この方の他の顔を見たことがない他の者たちが見たらどれほど驚くだろう。
「いえ、驚きました……あの、一体何が」
「ええ、少し妙なことが起きました。それでおまえに尋ねたいことができ、こんな時間に訪問することとなりました。申し訳ないことですが」
「いえ!」
この方がこうまでして自分のところへやってきたのだ、それは大変なことなのだ。
「あの!」
リルも考える。
この判断が正しいのか間違えているのかは分からない。
でもこうしてこんな機会ができたということは――
「私も、お伝えしたいことがございます。後ほど少しだけお時間をいただけないでしょうか」
「伝えたいこと」
キリエは少し考えたが、
「いいでしょう。おまえがこの状況でわざわざ伝えたいということ、きっと大変なことなのでしょうね」
「ありがとうございます」
リルがペコリと頭を下げる。
お腹が大きいので今はこれで勘弁していただこう。
「それでお聞きになりたいこととは?」
「もう少し近くで話しても構いませんか?」
「もちろんです」
リルがソファに近づくと、キリエが手を取って隣に座らせる。
「八年前のことです」
「はい」
小さな声、2人の間にしか届かぬ声で会話をする。
「おまえは懲罰房に出入りしていたことがありますね」
「はい」
「その時、あそこで水が
「水の音ですか?」
リルが少し考え、
「はい、確かにしていました」
「そうですか、ありがとう」
え、これだけ?
リルは一瞬拍子抜けしたが、
「それがかなり重大なことなのですね」
そう思い返した。
「もしかすると、ですが」
キリエが一言だけそう返す。
「それで、おまえが伝えたいこととはなんです」
「はい」
リルも小さな声で話しだした。
「先日、ある方からかわいい青い小鳥の木彫りをいただきました。それでそれを作った職人見習いとその師匠という方をうちに招いたのですが、その木彫りを作った弟子という男の子、『アベル』と言います」
キリエが話がよく分からないという顔になる。もっとも、一部の者たち以外にはそのような変化は汲み取れないぐらいの変化ではあったが。
「その者がどうしました」
「はい、その者、年は12だと言っていましたが、『ア・ベル』と申します」
あえてそこで切って名前を告げる。
キリエにも分かったようだった。
「それで、その師匠に仕事を頼んだのですが、ミーヤと同じ村の出身だということで、話を聞きたいからと師匠から借り受けて今はここに滞在しております」
「そうですか」
「はい。アベルの師であるラデル殿には、私とダルの子どもたちに、私がいただいた小鳥のようなかわいらしいお守りを作ってもらおうと思いまして、お願いをいたしました」
「そうですか、それは良いことでしたね」
リルはごく普通の世間話のようにして、自分が知る限りの情報をキリエに伝えようとし、キリエもそれを理解している。
「ラデル」
この名をキリエは知っている。
当然だ、ラデルは当代の父親、お父上である。
トーヤの仲間たちはラデルの工房にいるのだと知ることができた。
「ありがとう、いい話を聞かせてもらいました」
「いえ」
リルが丁寧に頭を下げる。
「それではこれで失礼します。夜分に申し訳なかったですね」
「いえ、私でお役に立てましたなら光栄です」
そう言いながらリルは少しだけがっかりしていた。
もしかしたらキリエからトーヤの消息を知れるのではないかと思ったからだ。
きっとベルたちも宮に潜入したトーヤがどうしているかを知りたいだろう。
それに――
「あの」
「なんです」
「あの、その後ミーヤはどうしておりますか」
「大丈夫です」
「でも、あの」
「大丈夫です」
キリエはそうとだけ答えた。
そう言い切られたキリエにそれ以上何かを聞ける人間はいない。
「それではお邪魔いたしました、失礼します」
「はい、お気をつけて」
「おまえもいい子を。あまり他のことに気を止めず、その子のことだけを考えなさい」
「はい、ありがとうございます」
キリエは不安そうな顔を隠さないリルを置いて玄関の待合室へと移動すると、待っていたルギに声をかける。
ルギは隊長としてここに来たのではない。あくまで従者として主人の帰りを待つ
「待たせましたね」
「いえ、こちらへ」
来た時と同じ形で馬に乗ると宮へと急ぐ。
二人が宮へと戻ったのは、もうすっかり深夜を回った後であった。
自室へと戻り、キリエはこれからのことを考えていた。
「シャンタル宮の闇……」
代々の侍女頭をはじめとする、限られた者だけが知るそのことを。
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