19 空の棺

 キリエは無言のまま、表情も変えぬまま、神官長の言葉をそのままに受け止めている。動揺を感じさせてはいないはずだ、そう思う。


 神官長は少しの間キリエをじっと見つめていたが、また言葉を続けた。


「自分でも一体何を見たのかすぐに理解はできませんでした。とにかく恐ろしくて恐ろしくて、一刻も早くこの場を離れないといけない、そう思って誰もいないのを確認すると、そのまま元来た方向へ向かって急いで帰りました。神殿に帰るまでの間も、誰かが後ろから追って来てはいないか、そう思いながらも後ろを振り返ることもできず、ただひたすら、急いで急いで神殿の自室へと戻り、寝室の鍵をかけてやっと安心すると体の力が抜け、そのまま床の上に座り込んでしまいました」


 恐ろしい体験を話すというのに、神官長の目は愉快そうにキリエに向けられている。


「その夜、一体何が原因か、熱を出し、翌日から数日の間寝込むことになりました」

「さようでしたね」


 そのことはキリエも覚えている。シャンタルが亡くなったその翌日に、今度は神官長が寝付いたということで、意味もなく怯える侍女が出たのだ。


「かなりの高熱が続き、自分は見てはいけないものを見たために神の怒りに触れ、このまま死ぬのではないかと思ったものです。まあ数日でなんとか熱は下がりましたが」


 そうだったとキリエも思い出す。神官長がやっと落ち着いたとの連絡が来た時、キリエもホッとしたものだった。特に親しい仲ではないというものの、それでも長い年月に渡り、女神を支えてきた同じ立場の者であるという意識からだ。


「体調が整うに従い、あれは何だったのかとあらためて考えることになりました。ですが、誰かに話すとか誰かに尋ねるなどということもできませんでした。口に出してはいけないこと、あれは夢か何かだったのだ、そう思って心に蓋をするので精一杯で」


 そう、それでよかったのだとキリエは思っていた。

 それが夢ではないことはキリエにはよく分かっている。だが、何も知らぬ神官長はそうして口をつぐみ、なかったことにしておいてくれればそれでいい。それなのになぜ、今その話を持ち出すのだ。


「あの秘密のことも」


 神官長がキリエの思考を遮るようにして続ける。


「そう、あの秘密のことです」


 あえて重ねてそう言う。


「私は何も知らない、そう自分に言い聞かせ、黙って日々を過ごしておきました。あなたがそうしていらっしゃるのと同じように。そうしておけば、それは自分の人生の続く間には何も影響のないこと。おそらく、今のあなたがそう考えて知らぬ顔をしていらっしゃるのと同じく、私もそう考えておりました」


 それは違うとキリエは心の中で否定はするが、それを口に出すことも表情に出すこともしない。

 秘密とは、人に言えぬこととはそういうことだ。

 キリエは神官長が何を言おうとそれに反応することはすまい、とあらためて思っていた。


「そうして、しばらくの間はなかったこととして心に閉じ込めておりましたが、それでも何かの折にあれはどういうことであったのか、と考えることはございました。そしてある結論にたどり着いたのです。興味はございませんか? 私がどのような結論を出したのか」

「いえ、特に」


 神官長は愉快そうに笑う。


「まあいいでしょう。ですが最後までお聞き願いたいと思います」

「まだ長く続くのでしょうか」

「なんですと?」

「いえ、色々とやらねばならないことがありますので、あまりに長い話になるのでしたらまた今度にしていただきたいものです」


 神官長はキリエの答えを聞いて楽しそうに吹き出した。


「いやいや、さすがに鋼鉄の侍女頭。何事にも動じない」


 キリエは表情を変えず感情のない目で神官長を見る。


「時間がかかりそうですか」

「いえ、もうすぐに終わります」

「そうですか」

「はい」


 そう答えると神官長はクククク、と少し笑ってから話を続ける。


「あの黒いひつぎ、私たちの目の前で聖なる泉に沈んだ先代をお納めしたあの棺は、一度ルギ隊長とトーヤなる者の手によって引き上げられたのですよ。その後、またあらためて棺を沈め直した。これはなぜだとお思いですか?」


 神官長が答えぬキリエの目をじっと見て続ける。


「時間がないということなので手短てみじかに言わせていただきます。あの二名が、ルギ隊長とトーヤが、先代のお体を棺から出した後、空になった棺をもう一度沈めたのです。いかがです?」

「さあ」


 キリエは短く答える。


「さあ、ですか」


 また神官長が楽しそうに笑う。


「私はそう確信しております。そしてなぜそんなことをしたのか、そう考えていて分かってしまいました。先代はお亡くなりにはなっていない。故に、助け出す必要があったのです」


 なぜこの男はそんなことを思いついたのか。キリエは静かに脈打つ心臓を押さえながら知らぬ顔を続ける。


「そうして助けられた先代は、今度は『エリス様』という中の国の奥様としてこの宮に帰ってきた。あの顔を隠していた護衛がトーヤであると知り、すべての答えを手にしたと思いました。いかがです?」


 キリエは無言、無表情を貫くしかない。

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