11 マユリアの決意

「人に戻ったのち、わたくしが故郷こきょうへ帰るという話なのですが」

「はい」


 キリエはいつもと変わらぬ顔で返事をしながら、心の中には複雑な思いを抱えていた。


 代々のマユリアは「真名まな」を知って人に戻られたのち、その日のうちに宮を出ることになっている。そのために前もってその家族、多くは両親に連絡をし、出迎えてくれるようにと宮から伝える。もちろん当代マユリアの実家にも侍女頭であるキリエ自らが手紙を出し、お迎えをお願いいたしますと伝えた。


 だが、マユリアの実家からの返事はつれない物であった。

 まず、王都からは遠いことが理由の一つとして上げられていた。マユリアの故郷は王都とは正反対の位置、シャンタリオの東の端の町であった。王都まで馬車を使って半月以上はかかる。その上にマユリアの母はすでに亡く、上の子たちと長年の月日を空けてマユリアを授かった父はすでに高齢で、最近は子や孫らのことすら良く分からぬ状態である。さらに兄弟姉妹も親子ほどに年齢が離れているため、それぞれに家庭や仕事もあり誰も迎えに行けるような状態ではない。戻ってくるのならば受け入れるがそれで精一杯。このような手紙が返ってきた。


 これが神であられた妹を持つ家族の返事なのか、とキリエは悔しく感じた。

 だが、よく考えてみると自分の身の上とて似たようなものだ。そう気がついてふっと呆れたような笑みを浮かべた。現実とはそういうものなのかも知れない。

 ただ、その現実をマユリアにどうお伝えすればいいものか。そのことを考えると胸が詰まる思いがする。だがいくらその後のことが気がかりであろうとも、「侍女頭」がお仕えするのは「シャンタル」と「マユリア」であり、人に戻られたお方とはもう関わりを持つことができなくなる。それもまた現実であった。


「キリエ?」

「あ、はい」

「どうしたのですか、おまえらしくもないことです」

「いえ、失礼いたしました」


 母のごとくお優しいマユリアが、自分のことよりも眼前がんぜんの侍女頭を気にかけてくださった。そのことをキリエがありがたく感じてゆっくりと頭を下げる。


「お話の続きを」

「そうですか?」


 マユリアはまだ心配そうな表情を崩さぬまま、続きの言葉を口にした。


「おまえがそのことで色々と気を配ってくれているだろうと思っています。ですが、お断りしてもらえませんか」

「今、なんと?」


 思いもしない言葉に思わずキリエがそう聞き返した。


「わたくしは人に戻った後に故郷へは戻らず、そのままこの宮で侍女として、シャンタルと次代様にお仕えしたいと思います」


 一体なぜそのようなお考えに。

 突然の言葉にさすがのキリエも驚く。


 もちろんさきほどの「黒のシャンタル」の託宣と関わりがあるだろうと推測はできた。だが、それは自分の家族との再会を捨てることである。今はまだどこのどのようなお方であるかも知らぬ両親とお会いしたい、以前、マユリアは確かにそうおっしゃっていた。なのにそれを捨てるとおっしゃっているのか。


「それだけのことが起きている、おまえにはそう知っていてもらいたいのです。たとえわたくしの帰郷をお待ちくださる家族に説明できず、親不孝な者と思われたとしてもその道を歩むと決めたのです」


 マユリアは自分が家族からうとまれていることをご存知ではない。それを知るキリエは胸が痛んだ。マユリアは自分が故郷に帰った後、両親が喜んで出迎えてくれる、親子の時を持てると信じていらっしゃる。だが事実は、生みの母である親御様はすでにこの世にはなく、お父上はすでに老い、もしかすると神であった娘の存在すら忘れておられるかも知れない。そして兄弟姉妹は言うまでもない。ならば、それならそれで良いのではないか、そんな考えが頭をよぎる。


「キリエ?」


 マユリアが黙り込んでしまったキリエをいぶかしむように見た。


「いえ、あまりのお覚悟に思わず……申し訳ありません」

「いいえ、それは突然このようなことを言い出したのですもの。驚かせてしまってごめんなさい」


 疑うことを知らぬ純粋なお方が侍女頭の言葉に謝罪をする。


「ですがもう決めたのです。わたくしはこの先の生涯をおまえと共に当代と次代様に捧げると」

「マユリア……」


 マユリアは決意を秘めた黒い瞳を侍女頭に向けた。


「ですから、お迎えには来られませんようにとおまえから伝えてください。わたくしも人に戻った後にお手紙を差し上げます。もしも王都に来られてお会いするようなことになるとどちらもつらいばかりですから」


 澄み切った黒い瞳のその奥に悲しみを隠し、マユリアはそう言い切った。


「あの託宣は代々マユリアにだけ伝わる託宣。今はわたくし一人の胸にありますが、交代を済ませた後には当代もそのことをお知りなる。黒のシャンタルがお生まれになった今、そのことを当代お一人に背負わせるわけにはいきません。とても耐えられることではありません。わたくしも共に、その運命を背負い、お支えしたいのです」


 マユリアのあまりの覚悟にキリエもゆっくりと頭を下げ、そのようになさると決まった。

 そうして人に戻られた後、マユリアはラーラ様となり、十八年後の今日まで、お言葉の通り宮で主たちをお支えになられている。

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