8 神の母

 ラーラ様は寝間着の上にガウンを羽織り、小さなシャンタルが覗いていらっしゃる扉に近づいてきた。


「一体どうなさったのですか? 何かありましたか?」

「あのね、ちょっとこちらに来てほしいの」


 小さなシャンタルは「母」の手を握りくいくいと引っ張る。ラーラ様はそのまま、引かれるままにシャンタルの寝所へと入り、いつも腰掛けているあの椅子に近づこうとして、そこに誰かがいるのに気がつき、思わず足を止める。


「シャンタル、あれは一体……」

「いいから、ちょっとだけ来てほしいの」


 どうやらシャンタルはそこにいる誰かのことを知っているようだ。いや、その誰かに会わせたいという感じか。


「シャンタル?」


 ラーラ様はあれが誰かと問うようにシャンタルに視線を投げた。


「もうちょっとだけこっちに来てほしいの」

「あっ、シャンタル!」


 シャンタルはそう言うと握っていたラーラ様の手を離し、さっと自分の寝台に上がってしまったもので、ラーラ様も急いで寝台へと駆け寄った。相手が誰であろうとも、何かがないように自分がシャンタルの盾にならなくては。


「どなたでしょう」


 ラーラ様は背中でシャンタルをかばいながら、椅子に座っている頭から布をかぶった人影にそう声をかけ、その時になって椅子の向こうにもう一人の人がいるのに気がついた。ますます警戒を深め、いつでもシャンタルを抱きかかえられるように、やや左側に身をよじるような姿勢で肩越しに、視線をななめ下に落とす。


「お久しぶりです、ベルです」

「えっ?」

「謁見やお茶会でお目にかかりました」

「あのベルですか?」

「はい」


 ベルはそう答えると被り物を脱いで灯りの方に顔を向け、ラーラ様は確かにベルだと確認する。


「確かにベルですね。では、その後ろの方は」

「はい、エリス様と呼ばれる方です」


 ベルの声に合わせるように、「エリス様」がゆっくりと頭を下げた。


 相手が誰なのかは確認できた。だが、ラーラ様にはご一行が姿を消したとだけ報告をしてある。アランだけが戻ってきて、今ではシャンタルと文通をし、「お友達」と呼ばれるつきあいをしてはいるが、他の三名は行方不明のままだとしか伝えられていない。


「どうしてここにおられるのです、一体どこからここに」


 もしも堂々と宮に戻ってきたのなら、きっとキリエから報告があるはずだ。それをこんな深夜に隠れるようにして、あろうことか神の寝所にいるなど、とてもまともなこととは思えない。警戒を解くわけにはいかないと、ラーラ様はまたあらためて身を硬くする。


「色々とお話をさせていただかなければならないのですが、そのためにもと、エリス様がシャンタルとラーラ様には直接お話をさせていただきたいとのことです」

「直接、ですか」

「はい」

「それは、エリス様がご自分でお話をなさるということですか?」

「そうです」


 ベルははっきりそう言い切ると、エリス様に向かって軽く頭を振って見せる。エリス様もベルに向かって一度軽く頭を振り、もう一度ラーラ様とその後ろに座るシャンタルの方に向かって頭を下げたように見えた。


「でも、エリス様はこちらの言葉がお分かりにならないので、それでベルが通訳をしているという話ではありませんでしたか?」

「いえ、それは違います。エリス様はこちらの言葉をお分かりになられます。ただ、中の国の女性は家族と決まった人間以外には顔を見せることができません。そのため、万が一のことがないように、私が通訳を務めておりました」

「そうなのですか……」


 そういえば、確かにエリス様が言葉が分からないと言っていた記憶はないとラーラ様も思い出す。


「分かりました、では、エリス様から直接、今度のことを説明していただけるということですか」

「はい。それから、エリス様はシャンタルとラーラ様にはお顔をお見せしてもいいともおっしゃっておられます」

「ええっ、エリス様のお顔を拝見できるのですか!」


 この言葉にラーラ様の後ろからシャンタルが思わず声を上げる。


「ですが、エリス様は他人に顔をお見せにはなられない、そう誓われているとお聞きしていますよ」


 ラーラ様がシャンタルを静止するようにそう答えた。


「はい、確かにそうお誓いになられておられます。ですが、シャンタルは神、そしてラーラ様は神の母、人ではいらっしゃいません。そうではありませんか?」

「それは……」


 確かにシャンタルは神だ。だがラーラ様は今は神の座から降りて侍女としてこの宮にいる、つまり人に他ならぬ存在だ。真名を受け取ったあの日、神が自分から去られ人に戻ったあの時の感覚をあらためて思い出す。自分はすでに神ではないとの自覚もある。神の母だとて決して神ではない。


「それに、ラーラ様はマユリアの前のシャンタルであられたお方と伺っております」

「一体誰からそのことを」


 ラーラ様の出自に関しては隠してはいないものの、公にもされていない。宮の者と外部では一部の者だけが知っていることだ。


「そのことについてはまた後ほど。ですが、私どもはラーラ様をさっきも申しました通り、神の母、神と同じ存在と思っております。それではいけないでしょうか?」


 ベルの言葉にラーラ様はどう答えたものかと考え込んだ。

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