21 血の涙
「わたくしの民、わたくしが守る人たち……」
そう、全てはそのためなのだ。これから自分が行おうとしていること、そしてこれまでにやってきたこと。全ては人を愛するが故。
マユリアは鏡からその身を離すと、今度は厳しい目を鏡の中の人物にぶつける。そこにはなんとも複雑な色が見えた。そこには尊敬と愛情、非難と憎しみという相反する感情があった。
マユリアはまさに愛憎と呼ぶべき視線で自分か、それとも他の誰かか分からない美しい人を、じっとみつめる。
「シャンタルは、人を見捨てた……」
あの時の絶望感をマユリアは思い出す。
マユリアが自分の身を人の世に与えた後、ようやく新しい次代様の両親が現れたが、それは新しい絶望をもたらす結果でしかなかった。しかもその夫婦がシャンタルの親となるには、
だが主シャンタルは惜しみなくその身を与え、人として生を受けさせた。そのことにマユリアは感動し、永遠にこのお方に仕えることを新たに心に誓った。主が人を思うだけではなく、人を思う自分の気持ちにも応えてくださった、そのことに打ち震える。そして主の半身である当代マユリアが産まれた。
その方はまさに主そのもの、そしてその方を支えるマユリアは自分の身を持つラーラという
「これこそがこの世界の
ラーラの内でマユリアはそう祈った。
これまでになく平穏な十年が過ぎ、主のもう半身を持つ新たなシャンタルの誕生の時を迎えることになる。
だが、産まれた方にマユリアは
そのお方はシャンタルでありながらシャンタルとは似ても似つかぬご容姿の持ち主で、さらに男性であったからだ。
「なぜ次代様はあのようなお姿でお産まれになられたのでしょう? 主の半身でいらっしゃる、当代シャンタルと同じ母、同じ父からお産まれなら、鏡に映したようにもう一人の主たる方がお産まれになるはずではないのですか?」
マユリアの疑問に主はこう答えた。
『当代はわたくしそのもの、そして次代はわたくしではあらぬもの。二人が共にあって初めて、この神域は完全なものとなるのです』
マユリアには理解できなかった。そして人の世でも新たなシャンタルの出産を受け、周囲の者たちが戸惑っていた。同じ神でありながら主の心は理解できず、人の心の方が今の自分にはよく理解できる。そのことにマユリアはさらに戸惑う。
戸惑いのうちにその日が来た。シャンタルの交代が行われ、主その人そのままであった当代シャンタルはその座を
その瞬間、今までいくら考えても分からなかったことをマユリアは魂で理解した。
――同じ神でも「次代の神」たる主と自分はあまりにも違う――
いくら自分が人を愛して愛して愛し尽くそうとも、人が
(なんという不公平か……)
本当に刹那の間、マユリアの心に浮かんだその思い、だがそれはすぐに封印された。その
突然の衝撃! 一体何があったのか分からないまま、マユリアは当代マユリアと共に激しくなにかに弾き飛ばされた!
(なんという不公平か……)
その途端、心の奥深く深く、本人すら意識していなかったその気持ちに何かが鋭く突き刺さった!
(そうよね、不公平よね、分かるわ……)
一体誰の声なのだろう。今までに触れたこともない、聞いたこともないそんな声、そんな思い。
(どうしてあの人ばかり優遇されるのだ、不公平だ……)
(どうして私がこんなに苦しまなければならないの……)
(私の方が上なのに、なぜあんな女が!)
(ああ愛しい我が子、いなくなってしまった……)
(死ねばいい!)
(なぜ死ななければならなかったの……)
(私の方が上だ!)
(憎い……)
(ざまあみろ、私の方がこうして生き残った)
(この恨みをどうか憎いあの人に!)
(ちょっとした失敗をしただけだったのに)
(こんなきついお仕置きを)
(つらい)
(憎い)
(苦しい)
そんな赤くて黒い何かがマユリアの心の奥に手を伸ばす。
(あなたも同じよね)
(そう、一緒なの)
(あなたの方がずっと深く思っている)
(あなたの方がずっと)
(本当ならあなたが)
(そう、わたくしこそが)
マユリアははっとしてそんな思いを振り払う。
(いいえ、わたくしはそんなことを思ってはいない!)
(本当はどう思っているの?)
(憎いでしょ、苦しいでしょ)
(わたくしはただ愛しているだけ!)
(私も愛していたの、あの人を)
(だけど裏切られた……)
(捨てられた……)
(切り捨てられた……)
(そう、主は捨てようとしている)
(わたくしは主に裏切られた)
「シャンタルは、人を見捨てた……わたくしの想いを見捨てた……」
マユリアの心が血の涙を流していた。
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