2 駆け出す平原

 ルギはアランをディレンの隣の部屋まで送り届けると、シャンタル宮警護隊隊長室へと戻ってきた。


 部屋に入ると、テーブルの上にトレイに乗った食事が置いてあるのが目に入った。

 時間的に夕飯だろう。

 そういえば朝食べたきり昼は食べていなかったと気がつく。

 そして空腹を意識した。


 まだやることは残っていたが、とりあえず食事を済ませてしまうことにして執務机に資料を置くと、テーブルについた。

 偶然なのか、もしかすると部下の誰かが気を利かせたのかは分からないが、ルギの好きな物ばかりが並んでいた。ありがたくいただくことにする。


 ルギはほとんどのことに執着をしない。

 日々の食事でも好きなもの、そうでもないもの、何が並んでも同じように食べ、特に好みで好き嫌いを言うこともなければ、もう一度食べたいと思うこともない。

 だが、何かの時に部下たちと食べ物の話になったことがあり、その後から「うまかった」と言ったものが多く並ぶようになった気がしている。


 誰もそうして気遣ってくれていることを態度に表さないので、もしかすると単なる偶然かも知れない。

 そうも思うが、今のように日々忙しく、今日のように気がつけば食べずに過ごしてしまっていた時などにそう感じることが多く、やはり何かの気遣いをされているように思う。


 相手が黙っているのであえてそのことを尋ねたりもしないが、黙って心遣いを受け取り、食器を返す時などに一言添えるようにしている。


 食べ終えて仕事を始めると、今日の当番の衛士が食器を下げにやってきた。

 隊長に頭を下げ、きれいに空になった食器の乗ったトレイを持って部屋を出ようとするので、


「今日の煮込みはうまかったな。おまえも食べたのか?」


 と、声をかけた。


「はい、いただきました」

「肉が柔らかく、よく味がしみていたな」

「私もそう思いました」

「そうか、よかった」

「はい」


 たったそれだけの会話だが、自分が満足していることを伝えれば、気遣ってくれている誰かがいたとしたらその者に言葉が届くだろう。


「それでは、私は本日はこれで交代させていただきます」

「ご苦労だった」

「はい」


 部下は食器を持って部屋を出て行った。


 ルギは一人で書類に目を通し、今日の出来事の報告に軽くため息をついた。


 今日はディレンとアランを逮捕することになった。

 どちらもあのことを知る者だ。

 知っていて宮のために動いてくれている。


 それは承知してはいるのだが、その秘密を公に出来ない今、扱いに困るのだ。


 扱いに困るだけではない。この先、どうすればよいのか自分の気持ちも定まっていない。こんなことは宮に来てついぞなかったことだ。

 

 あの日、すべてを失って自暴自棄であの洞窟を駆け抜けたあの日、当時のシャンタル、当代マユリアと出会い、その時から自分の生きる道を定めた。この方のために自分は存在してるのだ、そう確信し、それからはただその道を歩いてきた。

 

 だが今は、どうするのがマユリアにとってよい道なのかが分からない。

 今まではマユリアのめいに従うのが自分の道だと思っていた。そしてそれは間違えてはいなかった。今でもそう思っている。

 だが……


『もしも、託宣がなされずこいつが死ぬような時は、その後の、今の当代の任期が終わってシャンタルとマユリアの受け渡しが無事終わったら、ラーラ様と二人で聖なる湖に沈むつもりだった、そう覚悟してたってことだ』


 トーヤから聞いたこの言葉、マユリアがそんなことを考えていらっしゃるなど思ったこともなかった。

 もしも、マユリアが自分にそう命じたとしたら、とても従えるものではない。たとえそれが本当にマユリアの望みであったとしても。


 あの日ベルに言われた。

 マユリアの望みを聞いてやれと。聞いてやったことがないだろうと。聞いてやったら喜ぶと。

 だが、聞いてみたものの正直に言ってはもらえなかったと思う。

 おそらく、マユリアご自身も気づいてはおられない心の奥の想いだからだろう。


 あの小さな少女ですらやっていたこと。

 自分で決めるということ。

 それを自分は放棄してしまっていた、それだけが正しい道だと信じて。

 その結果がそれなのだ。


 ふと、さっき食器を持って下がっていった部下のことが頭に浮かんだ。

 あれは今日の隊長付きの当番だった。忙しく過ごす自分のことを気遣い、せめて好きな物を食べてもらいたい、そう思ってくれたのかも知れない。

 唯唯諾諾いいだくだくと命に従うだけならば、そんなことをする必要はない。用意された食事を時間になったら運び、食べ残しがあったり手をつけていなくてもそのまま下げるだけでいい。そしてまた時間になったら同じことを繰り返す。命令に従うというのはそういうことだ。


 まだ若いというのに、おそらく自分の身を気遣ってくれてのことだろう。

 自分の身に置き換えてみる。

 自分は、たったそれだけのこともできてはいなかったのだ。

 今さらながらにそのことに思い至り愕然がくぜんとする。

 

 ベルがトーヤたちと出会ったのは10歳の時だとアランが言っていた。

 そんな幼い少女ですら、兄を助けたい、その一心で何があるか分からない平原の中に駆け出したというのに。


 あの幼い日、考えなしに自分も洞窟を駆け抜けた。

 今、自分が駆け出す平原はどこにあるのだろう。

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