12 開ける道
ルギはキリエを見送ると、正装を脱いでいつも着ている平時の隊長服に着替えて部屋を出た。その腰にはさっき脱いできた第一正装にこそ似つかわしい、マユリアから
廊下を歩いて自室へ向かうと、すれ違う侍女や衛士、下働きの者たちが全員自分に頭を下げ、道を譲る。ルギはその開けた道を真っ直ぐに進み続けて自室に着いた。
いつからだろう、これが日常に、普通のことになったのは。剣を執務机に立てかけ、椅子に座ってルギは考えていた。
自分は本来カースの漁師の息子として生まれ、何もなければおそらく今もあの小さな村で魚をとって生きていただろう。年齢を考えると家庭を持って子どもがいたとしてもおかしくはない。そのことをどうと思うわけではないが、ただ、もしもそちらの道を歩いていたらと考えられないことはないということだ。
ルギは漁師の仕事が嫌いではなかった。父と叔父と兄2人と一緒に船を出し、汗まみれ潮まみれになってその日の漁の結果に一喜一憂する、そんな生活が幸せだった。
体が大きかったせいで、他の村の子どもたちより一足先に船に乗せてもらい、あの洞窟も教えてもらっていた。実際に海を渡ってキノスへ行ったことはないが、男たちが「秘密だぞ」と言いながら洞窟の端まで連れて行ってくれて、海の彼方を見た時に胸が踊ったことも覚えている。
「あの日は大潮だったな」
そう、先代を見送ったあの日と同じ大潮で、足元に打ち寄せる波に足を洗われながら、まだ見ぬ海の向こうはどんなところなのだろうと、いつか来るその日を楽しみにしたのだ。
だが、そんな日は来なかった。それからすぐに父と叔父、兄2人は波にさらわれ命のない者として発見された。
「忌むべき者」
それが自分に課せられた運命となった。そして共に残された母もその事実を嘆き悲しみ、父たちの後を追うように亡くなってしまったのだ。
その運命を恨み、一度は自分の命を投げ出そうとあの洞窟を行ったことがない方向に、輝く海の向こうに見た未知の世界とは違う反対の方向に向かって走り出したのだが、皮肉なことに、今度は違う方向に未来が開けた。
「それが今の俺か」
村にいた頃、家族と小さな幸せを
シャンタル宮警護隊隊長、マユリアの寵臣、そして男爵という貴族の地位。自分に向けられるそんな声を、だがルギは、どれも気にしたことなどなかった。
ルギの望みはただ一つ。いつまでもマユリアのために生きること、それだけだ。
あの日ルギは確かに神を見た。まだ幼い当時のシャンタル。ほんの子どもであるはずのその人からは、不思議な光を感じ、全てを捧げるのはこの方しかないと自分の運命を知った。あの不思議な森で聞いた不思議な声、己の運命を探せとというあの言葉はこの方のことなのだと、一瞬で分かった。
それからその時の誓いのまま、わが主のためにだけ生きてきた。なんの疑いもなくただ一筋に。
カースにいた頃、ずっとそうあるだろうと思っていた生活が失われることなど思いもしなかったように、今度はマユリアのためにだけ生きることが永遠に続くとばかり思っていた。実際は何事もなければマユリアは二十歳で人に戻られ、ご自分の家族の元に戻っていく。そんなことすら忘れるほどに、それは自分にとっては永遠へと続く道だったのだ。
もしも、マユリアが他の代々の方と同じく、人に戻られ、ご両親の元に戻られていたとしたら、自分はどうしていたのだろうと考えてみたが、不思議なぐらい、そんな未来を想像したこともなかったことに気づく。もしも八年前、あの託宣がなくて、あの嵐がなくて、「助け手」と呼ばれる人間が流れ着かなければその先に当然あっただろう、一番可能性が高かったはずの未来を。
今となってはそのことがもう不思議だと思うしかない。その不思議を不思議とは思わないほど、自分の未来は永遠にマユリアの、唯一の主のものだった。
「だが」
ルギはポツリとそれだけを口にして、後は心の中でつぶやく。
(キリエ様はたとえ外の方がいくら代わろうとも、中におられる神は永遠に御一人だと言っていた)
それはルギも知っている。宮に来て衛士としての教育を受ける中で教えられた。
「神は唯一人」
分かってはいた。ただ、それは自分にとっては唯一人あの方でしかなかった。
ルギの神は当時のシャンタル、当代マユリアただ一人。それが真実だ。
交代があり、当代が人に戻られた時には、自分には衛士でいる意味も、この宮にいる意味もなくなる。だが、だからといって人に戻ったマユリアに付いて行くのかと言われれば、それも「否」としか答えることはできない気がする。
マユリアは王家と婚姻の絆を結び、人のために王家の一員となるとおっしゃった。それでもそのお方、王家の方となったマユリアに仕え続けるのか。
「もしも、それがマユリアのお望みであれば」
そうは思うが、それはマユリアの本当の望みとはとても思えず、またルギは迷うしかない。主が迷う限りルギに新しい道は開けない。
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