第七章 第二節

 1 ある夢の話

 ルギは驚いて顔を上げ、「あるじ」を見た。


 その言葉、聞いたことがある。あの日、神官長がルギに向かって言ったあの言葉だ。


『ある方からそんな国を作りたい、そううかがった時に、なんと美しい夢なのか、そう思いました』


 神官長は「ある方から伺った」と言っていた。まさか、その「ある方」とはマユリアなのか?


 もしもそれが事実であるならば、マユリアはルギには語ったことがない夢の話を神官長には話していたことになる。


(まさか……)


 これがトーヤであるならばまだ受け入れられる。八年前、ルギが聞いたことがない夢の話をトーヤとミーヤが聞いている。


『海の向こうを見てみたい、海を渡ってみたい、そう思っていました』


 そしてそれと同時に、


『シャンタルにもしものことがあった時には、わたくしの中のマユリアを次代様にお受け取りいただいた後、わたくしも聖なる湖に沈むつもりでおりました』


 そう決めてもいたと、そのことも二人に打ち明けている。


(どれも俺には話してはいただけなかったマユリアの御心おこころのうちのことだ)


 正直なところ、マユリアがトーヤとミーヤ、おそらく本心ではトーヤに対してであろうが初めてその御心を語られたと聞いた時、かなりの衝撃を受けた。


 まずは自分と、おそらくキリエにも何も話してはくださらなかっただろうという部分に関してだ。ラーラ様とは悲壮な決心を共有なさっておられた、それは悲しいが理解できる。ラーラ様はもうお一人のマユリアのようなお方、お二人でずっと物言わぬ「黒のシャンタル」を見守ってこられた、古い古い託宣を背負っておられたのだろうから。

 それを宮の内の者ではなく、外の世界から来た「助け手」には話された。託宣の客人とはいえ、感情的にはやはり反発が少なからずあったのが事実だ。


 だが、それでもやはり、そこに託宣が関係しているとなると、神々の世界のことに唯人ただひとである自分には、神の従者でしかありえぬ自分には触れられぬことであると、感情ではなく理性と理論で納得ができることであった。感情というものを交えなければ、当然のこととして受け止められる。それがマユリアの神としてのお役目であるのだからと。


 次にはマユリアがそのようにお考えであった、その事実に衝撃を受けた。あの日、あの小さな濃茶の髪と瞳を持つ少女に言われるまで、自分にはそのように考えることなどなかったからだ。

 マユリアにも御心があり、お考えが、そして夢や希望がある。そんな今にして思えば当然のことを、自分は全く考えることがなかった。ただひたすら、マユリアの口からこぼれる言葉に従うこと、それが自分の務めであり運命であるとしか受け止めてはいなかったからだ。


 だが今のマユリアのこのお言葉はどうだ。


(まるで、神官長と夢を共有なさっているかのような)


 戸惑うしかない。そしてあの時の自分の正直な心を思い出し、ルギは心の中で唇を噛む。


『女神の国は女神が治めるべきです』


 神官長の声が聞こえる。


『あなたもご覧になったのですよ』


 神官長がそう指摘する。


『この国をまことの女神の国にしたいとお思いになりませんか?』


 神官長が甘い言葉を投げかける。


『美しいとは思いませんか? この国がそのように美しい国になる、素晴らしい夢だとは思いませんか?』


 神官長の声が広がる。


『人は、きれいな夢を見ても良いのだとは思いませんか?』


 夢……


 海の向こうを見てみたいというマユリアの夢、両親と共にありたいというマユリアの夢。そのどちらが本当の夢なのか分からず、ルギは迷い、進めずにいた。


『あんた、マユリアがどうしたいか聞いたことあんのか?』


 そう言われた言葉が心に残り、思わずマユリアに尋ねていた。


『どうなさりたいのです』

 

 ルギの心が正直に主にそう声をかけた。


『分かった上で聞いております。マユリアには、道を選ぶことができる。そのことも申したはずです』


 マユリアが道をお選びになったら、それがどの道であろうともその道に従う、そう決めていた。


 それがたとえ永遠の別れるになる道であったとしても、マユリアが望むその道に進むために自分はすべてを捧げると。


 それなのに自分は神官長の言葉に揺れた。


永遠とわの忠誠を誓う、強く、けがれなき衛士。それ以外に女神にかしずく資格のある存在があるでしょうか、ルギ殿』


 そうだ、自分はその夢を「美しい」と思ってしまった。神官長が語る「美しい夢」を。


『夢を見るのはそんなに悪いことなのでしょうか?』


 神官長のその言葉を振り切ることができたのは、それが「神官長の夢である」と思ったからだ。


『美しい夢はいいでしょう?』


 去り際に神官長が投げかけたその言葉、それはまさに真実だった。


 美しい夢に溺れられるのなら、永遠にマユリアのおそばに控えることができるのならば、もしもそれがマユリアの真のあり望みならば、


(自分はその夢を叶えたい)


 そう思ったことこそ、それこそが真実であった。


『美しい夢を見たのです。この国が永遠に続く夢を。そしてそのかたわらにはおまえがいました。けがれなき衛士、永遠にわたくしを守る守護の衛士。本当に美しい夢でした。今、わたくしが叶えたいのはその美しい夢です』


 もしも、これがしんにマユリアがお望みの夢なのならば……

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