16 反面の意味

 まるで時が光と共に凍りついたような空間にトーヤたちは浮かんでいるようだった。


「お、おい、ベル!」


 いきなりアランの戸惑った声が響き渡り、みなが濃茶の髪の少女に注目した。


 ベルはただ黙って涙を流し続けている。


「おい、ベル、どうした」

「だって、だって……」


 ベルはアランの声にしゃくりあげるようにして、やっとのように言葉を口にした。


「ひどいよ、今までで一番ひどい……無って、無ってさ、ないってことだろ? それ、シャンタルがいないやつって言ってんだよ、ひどいよ、そんな、こんなひどいこと、聞いたことない……」


 光は「黒のシャンタル」を、ベルの仲間で家族の銀の髪、褐色の肌、深い緑の瞳を持つ美しい人を、「無が形を取った者」だと言った。それは確かに受け止めようによっては、そのようにも受け止められないこともない。


「ずっとさ、光と闇だとか、善と悪だとか、なんかわかんないけど、ずっとシャンタルそういうのの良くないやつ、みたいに言われてきた。おれ、ずっと腹立ってた……言ってる方にも、それ聞いて知らん顔のシャンタルにも、ずっとムカついてた……でも、でもさ、それって、いくら悪くても、シャンタルがいる、シャンタルがここにいるんだってことだったけど、今度は、いないみたいに、ないって、そんな言い方、今までで一番ひどい……」


 ベルはやっとそこまでを口にするとうつむいて、ただただ、涙を流し続けている。


「落ち着け」


 トーヤがさっきかけたのと同じ言葉を口にしながら、ベルの頭に左手を伸ばした。


「おまえは、ほんっとーに簡単なやつだな。さっきシャンタルも言っただろうが、そんな簡単な話じゃねえって」

「俺もそう思うぞ」


 アランもそう言ってトーヤの手の上から自分の右手を重ねた。


「二人で乗っけたら重いだろ……」


 ベルがさらに下を向きながら、それでもいつものようにそう言って返す。


「とはいうものの、俺もお前の言ってることは分からんでもない。ただな、あまりにもややこしい話なんで、怒るのはもうちょい話を聞いてからにしたい、ってこった」

「俺もトーヤに同意。俺らの仲間が一体どういうもんなのか、もうちょいきちんと教えてほしい。まあ、どういうもんだとしても、今までとなんも変わることなんかねえけどな」

「トーヤ、兄貴……」


 ベルがそう言って顔を上げて2人を見て、またくしゃっと顔を歪ませる。


「ぶっさいくな顔してこっち見んな」


 トーヤはあの時と同じ言葉を言いながら、ベルの頭をぐいっと抱きかかえてやる。


 あの時、ベルが自分がフェイの身代わりなのだろうと言った、トーヤとシャンタルが八年前の出来事を語ったあの夜のように。それはあの時と同じく、ベルを宝物のように優しく包みこんだ。

 アランはそんなトーヤとベルを見て、父親がぐずった娘をなだめているのを見る兄のように、仕方がないなという表情を浮かべている。


 分かっている。どれほど自分たちが深い絆で結ばれているのかを。本当の家族であることを。


「だからな、一瞬のそういう感情に振り回されるんじゃねえ。しっかりと、俺たちの家族がどうなってんのか、きちんと受け止めるんだよ。そんでアランが言う通りに、何がどうって言われても、こいつは俺らの家族だ、これまでとなんも変わることはねえ。おまえも分かってるよな、もちろん」

「そうだね」


 シャンタルはいつもと全く変わることがなく、だが楽しそうな笑みを浮かべてクスクスと笑った。


「おかしいよね、そういうこと言われてるのは私なのに、ベルの方がそうやって先に怒ったり泣いたりする。いつもそう」

「おまえがいっつもそんな感じだから、だからおれが先に言ってやって泣いてやってんだろうが!」


 その言葉を聞き、トーヤとアランが声を上げて笑った。


「まあな、こんな感じだから、何聞いても大丈夫だ」

「というか、今のだとやっぱりまだよく分からないです」


 トーヤとアランが光にそう声をかけた。


『ありがとう』


 光が瞬きもせず揺れもせずまっすぐにそう言った。


『童子』


『そうではないのです』


『無はなにもないという意味ではない』


『無は無があるということなのです』


『無があるのです』


『無も有も神より分かたれしもの』


『無は有と同じ重さを持つものなのです』


「いや、やっぱり意味分かんねえ」


 ベルがトーヤの腕を振りほどくようにして顔を上げ、光を見上げた。


「でも、それじゃあれか、シャンタルはいないやつってことじゃないんだよな?」


『その通りです』


『わたくしのないことから生まれしもの、それが『黒のシャンタル』なのです』


『故にわたくしとは違う姿をし、違う力を持っている』


「あ、それで男なのかシャンタル!」


 女性である女神シャンタルとは違う性、違う髪、違う肌を持つもの、それが「黒のシャンタル」である意味がおぼろに分かった気がした。


「でもさ、じゃあおかしいんじゃない?」


 ベルが至極真面目な顔で光に問う。


「あんたと反対って言うなら、シャンタル、あんたと同じ美人じゃなくてぶさいくに生まれないとおかしいじゃん」


 その言葉を聞いた途端、空間にいる人も神も同じ笑い声を上げた。

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