12 天秤
「戻ってきたのが見えた?」
トーヤが光の波を聞きとがめた。
「おい、待てよ。俺はあっちで生まれてあっちで育って、こっちには一瞬たりとも来たことはないぜ? それがなんで戻ってくるんだよ。ルークはが本当はこっちの生まれで戻ってきたってのなら分からんでもないが、少なくとも俺は違う。どういうことだ?」
光はトーヤの疑問には答えずもう一度告げる。
『戻ってきたのです』
トーヤは混乱した。
自分とルークが「釣り合った天秤」だと言われたこと、2人共「助け手」だったということ、そして「戻った」と言われたこと。
「わけ、わっかんねえ!」
ついベルの口癖が出る。
「なんでもいいから分かるように説明してくれよ、大人しく聞くからよ。このままじゃ頭が変になりそうだ……」
光がふわふわと揺れた。
『天秤』
「まずそれだよな、なんだよそれ」
『天秤は釣り合うもの、どちらも同じ重みを持つもの』
「そりゃ分かる。おもりを乗っけて重さ計ったりするし」
『あなたはルークの背負うものの重さを知り、ルークを助けるために手を放しました』
「そう、かも知れねえ。本当のところはもう分かんねえけどな。何しろあんなギリギリの状態だったし」
『そのような状態、手を放せば自分は命を失うかも知れない、それを知りながらルークに慈悲をかけました』
「慈悲……」
なんとなく自分には似つかわしくない、今までそんなことを考えたこともなかった言葉にトーヤは考えこんだ。
『その慈悲の分、天秤はあなたの方に傾き、その結果としてあなたが生き残ることになったのです』
「な!」
『シャンタルは慈悲の女神、シャンタリオは慈悲の国、慈悲の神域、あなたの慈悲の心があなたの命を助けたのです』
言葉もなくトーヤが立ち尽くす。
『あの時』
光が、固まったように動けないトーヤの上から降り注ぐ。
『あなたは、頭ではなく、心でルークの身の上を想って手を放した』
『その時』
『ルークは、心ではなく、頭で自分の身の上を想って手を放さなかった』
トーヤの体から力が抜けた。
上下左右何もないと見える空間にトーヤは座り込んだ。
「なんっ、だよ、そりゃ……」
左手を頭に当て、息を吐きながら首をふるふると振った。
「つまり、あれかよ、家族のために死ぬわけにはいかねえ、そう考えて手を放さなかったから、それでルークは死んだ、そういう意味か?」
トーヤは目をつぶってまた首を振った。
「それは、あんまりなんじゃねえの? あいつは、ルークは家族のために学問を諦めて船に乗って、家族のために、家族を助けたいために海賊船に乗ったんだ。それが、その気持ちのために死んだってのか、おい?」
光は何も答えない。
「そんで、俺はなんも持ってなくて、なんも抱えてなくて、そんで、そんで色々抱えてるルークに思わず板を譲ったら、その気持ちのために助かった、そう言うんだな?」
トーヤは静かに尋ねたが、光は何も答えない。
「あんまりだよな……あいつは、ルークは家族のために死ねねえ、そう思ったらその気持ちのために死んだ。そんじゃ、誰かのため、何かのためって生きてる人間は、それだけで生きる資格がないみたいじゃねえかよ、おい。おい、違うのか!?」
最後には思わず声が大きくなる。
『ルークもあなたのことを考えることはできたはず』
『ルークは心優しい人、穢れなき心の持ち主』
『ですが』
「ですが?」
『自分は、あなたより生きるべき人間だ、そうも思っていました』
トーヤはガリガリと頭をかいた。
「それな、人間だったら誰だって持ってるもんじゃねえのか? 特にあいつみたいに抱えてるもんが多いやつは」
『あの時、あの瞬間、あなたはそう思っていましたか?』
「あの時……」
言われてトーヤはできるだけ気持ちを押さえて考えてみたが、
「そんなん、分かるはずねえだろ!」
とうとう感情を
「あのな、あんな状況でな、そんなこといちいち考えてられねえし、覚えていられねえんだよ!」
『あの瞬間』
光が静かに答える。
『あなたの心にあったのは、手を放すことだけでした』
「そう、かも知れねえな。けどな」
トーヤはできるだけ気持ちを押さえて続ける。
「俺だって助かりたい、そう思ってたさ。死にたくない、そんなん人間だったら当然だろ?」
『あの瞬間』
また光が続ける。
『ルークの心にあったこと、頭で考えたこと』
――僕は――
光の中、いきなり若い男の声が聞こえてきた。
――僕は、トーヤより生きていていい人間だ――
トーヤはギクリとした。
おそらくルークの声だろう。
――僕は、トーヤより生きる価値のある人間だ――
おそらくこれはルークの本音なのだろう。
ルークは人生の前半を恵まれた環境で生きてきた。
家が落ちぶれてもそれに負けて
だが本人も知らぬ心の奥底に、学もなく、出自もはっきりせず、手を血に染めて生き、海賊業にもすんなりと身を投じたトーヤのことを、卑しい人間と思う心があったのだろう。
『ルークの心の驕りです』
恵まれた環境に生まれ育ち、多くを持ったことがあるが故の、そうではない人間を見下す心のことだった。
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