8 人としての心

「数日のうちに次代様がご誕生になります」


 キリエの元に「親御様」付きであった侍女からそう報告があった。

 産婆がそう診断したとのことだ。


 この産婆はマユリアたちの両親の秘密を知った前の産婆、カースの村長の姉の弟子だ。師匠が亡くなった後を継ぎ、リュセルスで弟子を何人か取って産婆をしている。当代を取り上げたのもこの産婆だ。今では王族や貴族にも呼ばれ、先代と比べると、随分と手広く商売をするようになったが、腕がいいので今回もシャンタルを取り上げてもらうことにした。

 その産婆がシャンタルを取り上げたことを売りにして商売を広げようが、高い料金を請求しようが、結局はシャンタルが無事にご誕生になること、そして親御様が無事でいらっしゃることが一番重要だ。その産婆の人となりは関係がない。


 とは言うものの、やはり前の産婆の謙虚さ、その人柄を思うと、弟子ながらその俗っぽさが少々鼻につくのも本当だ。はっきり言うと、キリエがあまり好む人柄ではない。だが、そんなことは仕事にはやはり関係はない。


「分かりました。その日のためにしっかりと準備を進めてください。私も後ほどご挨拶に伺います」


 キリエはそう伝えて侍女を下がらせた。

 そして次の役割のために自室を出る。


 向かったのはマユリアの宮殿であった。

 今の時間は私室でお休みになられているだろう。まだ朝も早く、本日は特にこれという予定がおありではないので、少しゆっくりとお休みだろうとキリエは思った。

 もしもすでにシャンタルのところへ行かれているとしたら、そのように報告が来ているはず。入れ違いでなければご在室であろう。キリエはそう判断し、直接そちらに伺うことにした。


 昨日、マユリアの応接に呼ばれ、ルギと2人で色々と話を伺った。この国の未来にも関わる話をし、かなりお疲れでいらっしゃるだろう。

 本当はもっと色々と細かい話をしなくてはいけないのだろうが、昨日の段階ではあれで精一杯であったと思う。

 控えているのはあまりに大き過ぎる問題だ。たとえマユリアが神の身と言っても、本来はただ人であられる方、そしてもう一月ひとつきほどののちには名実共に人に戻られる方だ、とても背負い切れる話ではない。


 確かに当代マユリアが関わった事柄は大きい。千年前の託宣、「黒のシャンタル」のご誕生、そして「助け手たすけで」を迎えての「黒のシャンタル」の救出。今まではその全てをうまく切り抜けてきた。その采配、それはまさに神そのものであった。

 

 マユリアは生まれたその瞬間からすでに神であられた。

 キリエは歩きながらその日のことを思い出す。


 マユリアのご誕生の時、キリエはすでに侍女頭であったが、その先代、ラーラ様のご誕生の時には親御様付きではなかったため、シャンタルのご誕生に立ち会うのは初めてであった。


 マユリアは、お生まれになった瞬間から、そのお美しさが光り輝くようで、生まれたばかりの赤ん坊というものは、これほどに神々しいものなのかと思ったのだが、次の瞬間、その当時の産婆、カースの村長の姉が、


「これは、一体……」


 そう言ってすうっと一筋涙を流すと、言葉に詰まってしまった。


 キリエは気にはなったが、次代様がご誕生になったからと言って、そこで全てが終わったわけではない。むしろ、その後にはまたやることが山ほど控えている。


 産婆もその後は淡々と作業を進め、後産あとざんもおり、親御様のご様子も落ち着かれた。その時になって初めて、キリエは何が気になったのかと聞いてみた。


 産婆は当時50代、取り上げた赤ん坊は数百人ということで、ありとあらゆるお産を経験したが、


「あんなお子様は初めてです」


 ということであった。


「大抵の赤ん坊は、生まれた時はこう申してはなんですが、汚れているものなのです。それは、母の胎内にて羊水に浮かび、血と共に、つまりけがれと共に降りてこられるからです。それが神となられる方であろうが、人であろうが、命である限りみな同じと思っておりました。なのに、生まれたその瞬間からあれほど光り輝き、一切の穢れなどその身には寄せ付けぬと言わんばかりに神々しく、まことに神がお生まれになった、そう思ってしまったもので」


 産婆はキリエ様にだけ申し上げるが、とそう前置きをして、さらに説明をした。


「あまりのお美しさにかえって不安になってしまいました。この方はどのような運命を背負ってご誕生になられたのか、ただ人ではあられない。そう思うと思わず涙をこぼしてしまったのでございます。申し訳ございません」


 産婆はそう言って頭を下げた。

 

 そのようなお方なので、キリエは当代マユリアは神そのもの、人としてのお気持ちがおありだなどと、思ったことがなかったのだと気がついた。


 いや、違う。

 知っていた、マユリアとて自分と同じ一人の人なのであると。


 キリエは応接の前で立ち止まる。


 知っていて自分はその考えを封じていた。

 マユリアは神、ゆえに常に神として生き、神としてお考えくださるはずとそう思おうとしていた。

 そう思うことで、マユリアに人としてのお心があるということを認めなかったのだ。


 人にお戻りになる今、マユリアのお心は一体どこに。

 それを思い、キリエはドアを叩けなくなってしまった。

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