2 淀みと穢れ
『そのようですね』
光が微笑む。
『ベルは、トーヤを大好きなのでしょうね』
「えっ!」
「はっ?」
ベルがそんな声を出し、トーヤもこんな声を出した。
「いやいやいやいやいやいやいやいや、そーんなことないって!!」
「俺だってこんなガキに迷惑だっての!!」
2人はある人の視線を気にして必死に否定する。
2人とも冷や汗をかいている。
『心が心を受け取り、また心を返すのです。二人のやりとりは本当に微笑ましい』
「いや、ちがいますって!」
「そうそう違うから!」
さらに強く否定する2人。
と、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
その方向は2人が気にしているある人がいる宮の部屋だ。
恐る恐るそちらに目を向けると、その人が笑っているのが見えた。
その笑顔は、恐ろしくはなかった。
2人は心底ホッとして、息をつきながら視線を交わす。
よかった、と。
『ベルがトーヤを大好きだと思い、トーヤもベルをかわいいと思っている。お互いの心を返し合う、そしてさらに絆が深くなっていくのです。二人の心の間には距離がなく、つながっているのです』
「心の距離……」
それは、八年前にミーヤがトーヤにくれたのと同じ言葉であった。
『はい、トーヤとフェイの心の間には距離がなくつながっている、それで十分だと私は思います』
フェイが実父に
『全く違う二人、その二人とのトーヤの関わりですが、その本当の形は同じなのです。互いに相手を思い、思えばまた相手も自分を思う。そうして心と心が近づき距離がなくなったのです』
トーヤがフェイを愛し、慈しみ、フェイがトーヤを愛し、慕ったこと、それとトーヤがベルを愛し、慈しみ、ベルがトーヤを愛し、慕っていることは全く同じということだ。
『神域を閉じ、慈悲で満たせば、人は皆、そうして慈悲を、愛情を返しあってくれる、そうすれば争いなどなく、平和な日々が続くだろう、わたくしはそう考えたのです』
結果はそうではなかったのだろう。そう感じさせるように、言葉の最後はさびしげであった。
『どれほど聖なる空気であろうとも、慈悲に満ちた空気であろうとも、動くことがなければ淀むのです。どれほど澄んだ水であろうとも、とどまり続ければやがては腐った沼になるように』
光が言い続けていた「淀む」という言葉の意味が、やっと分かったような気がする。
『始めは良かったのです。人は互いに相手を尊び、心に心を返し合う。人の世界をまとめる王を信じ、王も民を慈しむ。わたくしが思い描いていた世界がそこにはありました。ですが、たった十年で淀みが生じ始めたのです。それは本当に
トーヤもアランもベルも、そしてシャンタルも「半分の葉」のことを「ほんの一滴の黒」のことを思い出していた。
どんな始まりも最初はそうなのだ。そしてその蓄積により、ある日突然、葉は池全部を覆ってしまい、白は黒に反転する。
「それが代々のシャンタルを体を借りることにした理由なのか」
『その通りです』
光が弱く瞬く。
『トーヤに言われた通り、わたくしはきっとひどいことをしたのでしょう。人の人生のうちの決して短くはない年月をわたくしに貸してもらう、それがどれほどその者の一生にとって重い出来事であるのか、それは分かってはいたのです。ですが、それしか方法がなかった』
光の声が消え入るように細くなる。
「色々と言いたいことはあるけどな、今さら言っても
『どう申せばいいのでしょう』
光が言葉を途切れさせた。
光はシャンタルをじっと見て、シャンタルも光をじっと見ているようだった。
「トーヤ」
ベルが言いにくそうに口を開く。
「なんか、勝手な想像なんだけど、今の言い方聞いてたら、その淀みの集まったのがシャンタルみたいに聞こえた」
「ああ、そう聞いた」
ベルが苦しそうに顔を歪める。
「勘違いするな。俺はそうじゃないって言ってもらおうと思ってそう聞いたんだ」
トーヤも光をじっと見る。
その目には最初に感じられた敵意も反感も感じられない。
ただ素直に、疑問を口にしている。
そしてそうではないと確信している。
そんな目であった。
「俺はこいつを信じてる。何しろ八年の間ずっと一緒にいたからな。こいつは純粋だ。そらもう能天気を形にしたようにな。だから、あんたが言うその淀みってのが積み重なったとしたら絶対にこいつにはならねえ。俺はそう確信してる。だからこそ確かめたい。そういうことじゃねえよな?」
「トーヤ……」
ベルがホッとしたようにトーヤを見て、そしてシャンタルを見た。
「おれも信じてる! シャンタルは淀みでも穢れでもねえ! こいつみたいにいいやつ、おれは見たことない!
「そうだな、こんななんも考えてない淀みや穢れなんてあるわけねえよな」
ベルに続いてアランもそう言った。
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