04:帰郷

04:帰郷


 その森は、【大森林】と呼ばれていた。

 南方諸国群の北側に位置する森で、イグリス王国や隣国、そのまた隣国、また隣の隣、そのまた先まで含めた国々の領土に接している。

 広大な、とても広大な森だ。


 いや、この説明では正しくないだろう。

 物の順序が、違うからだ。


 南方諸国群は【大森林】の南に位置するから「南方」諸国と呼ばれているのである。

 大陸の主役は、あくまで森なのだ。

 ヒューマンなど、【大森林】にとって旨味の少ない「痩せた」土地に住む、平地猿に過ぎない。

 大陸の中心部に広がるその森は、実に大陸面積の半分を占める程であった。


 魔力を帯びた木々が生い茂るその森には、強大な魔獣が多数生息しており、南方諸国に住まうヒューマン達の、北への進出を拒んでいた。

 いや、拒むどころか。

 貪欲な【大森林】は、時折人の領域に進出して生存圏を削り取っていくことすらあるのだ。

 人々は、森が気まぐれに手を伸ばすのを必死に押し返しつつ。そのおこぼれの土地で、生を営み、子を産み育て、共同体を作り、そして、互いに争い続けていた。


 森と文明社会との関係がそうであるため。

【大森林】外縁に存在する開拓村は、森と人との最前線を担っていた。


 森を切り開く。

 あるいは、人の領域へと侵食してきた森を伐採する。

 魔獣との接触も珍しくはない、危険な生業だ。

 代わりに、切り開き、あるいは押し返し維持した土地は領主の公認を受け、開拓した者が所有権を主張することが認められていた。

 それが平民でも、移民でも、流民でも。

 森と接する地を治める領主は、そのような手段を用いてでも、森と戦わねばならなかったのである。


 そして。不思議とそれは、どの国どの地方においても、同じような慣習となっていた。

 自然、開拓村には様々な事情のある者達が集まりがちになる。

 一攫千金を狙う者、借金持ち、逃亡者、前科者、犯罪者、元傭兵、冒険者崩れ。


 イグリス王国の北側、【大森林】と領土を接するうちの一つ。ノースプレイン侯爵領、その北端の一角。

 人の領域の隅、そして森の外縁に、件の開拓村はあった。

 あったが、今はもう、無い。

【大森林】に、呑まれたからだ。


 職を辞し、爵位を返上したガイウス=ベルダラスは、王都を離れ。

 母の弔いのために、故郷に帰って来たのである。



「流石に、酷いな」


 かつて故郷であったその村の惨状を目の当たりにして、その男……ガイウスは深く溜息をつき、ぼそりと呟いた。


 昔、村人達が苦労して切り開いた畑は既に【大森林】にすっぽりと飲み込まれており。

 畑の遠く向こうに見えていたはずの森の木々は、村の中心部だった広場までその領域を拡大していた。

 もしも、かつてガイウスが母と住んでいた家のあたりまで行こうとしたならば、馬車を降りてしばらく歩く必要があるだろう。

 森に飲まれていない住宅も何軒か残ってはいたが、そのどれもが三十年以上の月日を経て、既に崩れ、土へと還りつつあった。

 当然といえば当然だが、どうも村の建物で使えそうなものは、もう存在しないようだ。


 道中聞き込んできた通りだとすれば、新たな開拓村も周囲には無いらしい。

 ここに、人が訪れた形跡も見受けられない。

 ノースプレイン侯爵であるジガン家が、この一帯の開拓はおろか確保すら放棄していることは、明白だ。

 近年続いているお家騒動のせいで統治に綻びが出ているという話は、事実なのだろう。


 ガイウスはもう一度溜息をつくと、馬車から降りてゆっくりと歩き始めるのであった。



 朝方とも呼べなくなろうかという頃。

 一通り廃墟となった故郷を見て回った所で、旧懐の思いも一段落した。

 ゆくゆくはかつての隣人達や母親の遺骨や遺品を拾い集め、弔いの塚を建てるのも良いかもしれないと思ったが、差し当たってこれからどうするかを考えなければならない。


 騎士団時代の蓄えが、それなりにある。

 どこか他の伐採村を探して、開拓民に加えてもらうか。

 最寄りの町まで戻り、そこで住居を探すか。

 町で大工や人足を雇って、いっそこの近辺に小屋でも建てるか。


(建てるにしても、何処に建てたものか)


 それなりに開けていて、平坦で、水源から近すぎず遠すぎず、といった場所があるといい。

 ガイウスはしばらく顎をさすりながら考え込み。


(そういえば、村の外れに川があったな)


 昔の記憶を呼び起こし、今はどうなっているのか、確認しに行くことにしたのだが。


 ……結論から言うと、川は干上がっていた。


 三十余年の間に何があったのかは分からないが、子供の頃に村の子供達と泳いで遊んだこともあったその流れからはすっかりと水が消え失せていて、今はただ、かつて川だった場所に沿って砂地の窪みが続いているだけであった。


 何が原因か、と上流の方向を見てみるが、何も分からない。ただ、川底がまるで掘り下げた道のように森の中へと続いているのが見えるだけだ。

 村は【大森林】に飲まれつつあるのに、干上がった川底には何故、あの貪欲な森の木々が全く生えてきていないのだろうか。川から水が消えたのがつい最近のことなのか、もっと以前のことなのか。流れが変わったのか、水源に何かあったのか。様々な疑問が頭に湧いてくる。


(そういえば、子供の頃も川の上流がどうなっているか見たことは無かったな)


 当然である。【大森林】に子供が入るのを許す開拓民の親などいない。ガイウスも幼い頃は、母親から口を酸っぱくして言われたものだ。


(……まあ、川が使えないなら仕方ないな)


 井戸を掘らせるのは大変だし金もかかるだろう。だが、雨水頼りというのは生活する上では心許ない。

 やはり今更この辺りに居を構えるのは難しいのではないか、と思えてきた。

 冷静に考えれば、町から離れている分、食料の調達も手間なのだ。

 王都を離れることを優先し、「故郷に着いてから考えよう」と無計画に帰ってきた自分の浅慮を改めて思い知らされ、彼はその太い指で自らの頭を掻くのであった。


 思えばこの適当さを昔から前王や姫、先輩や部下達からも度々注意されていたのだが。

 人間、そういうところは中々直らないらしい。


「そなたは思慮が足りぬところがあるから、部下の意見をよく聞くように」の言は前王。

「貴方って脳味噌まで筋肉で出来てるわよね」と口にしていたのは嫁いで行った姫で。

「ガイウス殿は、ほんっと適当でありますなー」というのは、昔ガイウス宅に居候していた騎士の言葉だっただろうか。


 姫のお守りだった頃や、一介の騎士だった頃はそれでも良かったし、ガイウス自身もそのままでいたかったのだが。

 分不相応な地位を与えられて以降、特に今代の王になってからは政治的な立ち回りや保身までも要求されるようになり、頭と胃の痛い日々を強いられていたのである。

 とにかく失言や失態のないように必死に注意し、ガイウスなりに慎重に行動していたのだが、そんな彼を見て、逆にあの居候騎士は「ガイウス殿はもう少し我儘に人生送ってもいいと思うでありますよ」などと言ってきたりしたので……本当に、分不相応な地位に就くべきではないな、と思ったものだ。


 ふう、と溜息をつきながら馬車の御者台に腰掛けたその時。


『あうぅ!』


 甲高い叫び声を、彼は耳にした。


(女……?いや、子供の悲鳴か!?)


 近い。


 瞬間、立ち上がるガイウス。

 その手には既に、荷台から選別した武器が一振り、握られていた。

 フォセと呼ばれる肉厚の剣である。

 大型の鉈、と形容する方がしっくりくるかもしれない。


 声のした方角を探るように、ガイウスが周囲を見回す。

 距離は近い。だが方向がはっきりとしない。


 すぅ、と勢い良く息を吸い込み、


「どこだ!!」


 と短く、しかし大きく叫ぶ。すぐに耳を澄ます。

 驚いた鳥達が飛び立つ音の中に混じって、


『うあああ!』


 という、先程と同じ声を聞き取った。


 左手前方森の中、と察するやいなや、その巨躯は猛烈な勢いで駆け出していく。


 そこに何がいるのか、何があるのか。どんな状況なのか。

 考える前に、彼の身体は動いていた。

 先程自分の短慮を嘆いたばかりなのに、既にそのことは忘れたかのように。


 だが、彼は悲鳴を聞いてしまったのだ。ガイウスが走る理由としては、それだけで十分であった。


 おそらく彼の元部下達がこの話を聞いたならば、「あの人なら、仕方ない」と答えるだろう。

 苦笑しながら。

 でも少し、誇らしげに。


 ガイウス=ベルダラスは、そんな男であった。

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