32:肉と血と

32:肉と血と


 同僚との手慰みに、果物を置いて据物斬りをしたことがある。

 ショート・ソードが薙いだ刹那。刃に引っ張られるようにして、半分になった果実が飛んでいったのを覚えている。

 そう。あれは確か、林檎だったはずだ。

 林檎だから、ああ出来たのだ。

 ……なのに。


 だが、マクアードルの眼前で、分離し、浮かび、回転し、そして落下したのは紛れもなく人間の半身であったのだ。しかも、装甲を付けた人体である。

 そして、その「作業者」は一息つくと


「……何をしておるか」


 漲る怒りを押さえ込むかのように、低く、太く、そして荒い声で問うてきたのだ。


(何をしているかだと)


 こちらの台詞だ、とマクアードルは思った。

 何故、この人物がこんな所に居るのか?

 一体、何をしに現れたのか?

 それは、マクアードルがこの男に見覚えがあったからである。


「何をしておるかと、聞いておるのだッ!」


 ヒューマン離れした巨躯。猛獣のような凶相。そして、左頬に刻まれた薔薇の印。


(ガイウス=ベルダラス……何故ここに!)


 だが、それは相手も同じだったようだ。


「貴様、確か先日の……」


 反射的に「まずい」と理解したマクアードルに、判断力が蘇った。

 立ち上がり、剣を抜き、構え。後退しながら「敵だ!」と叫ぶ。

 すぐに、家の中から三名の手下が出て来た。反応が妙に早かったのは、「順番待ち」で手持ち無沙汰だったからだろう。


 荒事には慣れた連中である。マクアードルとの連携ではなく、培った経験からすぐに為すべきことを察し。すぐさま大男……ガイウスを囲むように位置取ると、それが完了した時点で剣を手に襲いかかった。

 右後背、左後背、そして、牽制のために前面から。三点による半包囲攻撃だ。

 後背に回った二名は構えとも言えぬ上段持ち。前面の者は剣を顔の高さまで上げ、切っ先を相手に向けた、所謂【右雄牛の構え】である。恐らくこの者のみが、何処かで剣術修行の経験があるのだろう。防御に対応が柔軟であるこの構えを選択したのは、引き付け役に徹すれば体格差も問題無いと判断したからに違いない。


 だがガイウスはそんな相手の目論見を容易く蹂躙した。反射対応を遥かに上回る速度で前面へと踏み込むと、水平に、強烈な斬撃を加えたのだ。

 防御を行おうとした相手のロング・ソードごとその頭部を文字通り吹き飛ばし、付いた足を基点に素早く向きを変え、右後背の敵へと躍りかかる。

 左脇腹からの逆袈裟斬りで次の相手の腕と首を斜めに切り離すと、状況認識と体勢の立て直しが追いつかない残り一名目掛けて急接近し、大ぶりの鉈のようなその剣……フォセを、胴へと横薙ぎに叩き込む。

 刃は胴半ばで止まり、相手はまるで仕込み中の野菜のような姿で動きを止められた。だがガイウスは、食い込んだ剣を両手で相手ごと持ち上げると、これまた丸ごと地面へと叩きつけ。先程同様、まさに「薪割り」の要領で人体を両断してしまったのである。


 壊れた玩具のように転がっていく、手下の上半身。マクアードルはそれを、目を見開くようにして見ていた。


「これが【イグリスの黒薔薇】……!?」


 尾ひれの付いた昔話だと思っていた。上司があんなに興奮していたのも。年輩者にありがちな、懐古に対する過大評価なのだと。

 だが、マクアードルはその考えを改めざるを得なかった。そして、次の犠牲者が自分であるという認識も加えなければならなかったのである。


 しかし、彼は幸運であった。


 彼が幸運を手に出来た理由は、二つある。

 一つは、彼我の実力差を認めて、全ての思考を逃走へと注ぎ込んでいたこと。

 もう一つは、このタイミングで残りの手下達が家から出て来たことである。


「斬り伏せろ!」


 マクアードルはそう命じておきながら、自身は背を向けて走り出す。

 元よりこの【手下】達は使い捨てなのだ。彼等に対する情や義理など、マクアードルは髪一本分の重さすら持ち合わせていなかった。


「ひ、ひいいいい!?」


 憤怒の表情を露わにしたガイウスが手下達を肉片へと加工している間に、マクアードルは集落の外れの木に結びつけていた馬へと辿り着く。

 追撃に使われぬためと、手下達に時間を稼がせるため。自分の馬以外は全て解き、追い払う。

 背後は、確認しない。振り返る時間すら、惜しかった。


 マクアードルは震える手足を懸命に動かし、なんとか鞍にまたがると。

 そのまま馬を走らせ、全力で遁走したのである。



『全く馬鹿な子だよ、後先考えずに飛び出して』


 顔が陥没せんばかりの蹴りを凶賊から受けたエモンが、フォグから手当てを受けている。

 彼はガイウスを追って村へ来たものの、賊の一人と交戦し、あっという間に敗れていたのである。

 エモンを救ったのは、後を追ってきたフォグ。彼女はガイウスから贈られた短剣を用いて、敵を倒していたのだ。

 不慣れなはずのヒューマン用武具を早々に使いこなし戦えるあたりは、流石、コボルド族一の戦士と言うべきセンスであった。


「……大丈夫か、エモン」


 そこに、敵の首格を取り逃したガイウスが、肩を落としながら現れた。


「前が見えねー!」

「……まあ、君は大丈夫だと思っていたが」

『この子は頑丈だからね。アンタは?』

「私は問題ない。それよりも、フォグ。ダークを呼んできてはくれぬか。生き残りの女性がいるので、介抱させたい」

『ん、分かったよ』


 フォグは軽く頷くと、馬車の方へと駆け出していく。

 ガイウスはしばらくその後姿を見送っていたが、やがてフォグが倒した賊へと近付くと、片膝を突いて屈み込む。

 そして死体の兜の面当てを外し、中身を確認すると。苦々しげに舌打ちして、自らの後頭部を掻いた。


「どうしたんだ、オッサン」

「見てみろ、エモン」

「……って、こいつは……」


 エモンは、この男の顔を知っていた。

 浅黒い肌に、汚れた髭。頬に大きな火傷痕の目立つ、中年男の顔。

 そう、それは以前、エモンを襲った強盗団の頭目であった。


「逃げた敵の首格は、同じ日に会った冒険者ギルドマスター、彼の部下だ」

「え……?どういうことだ、オッサン」


 ガイウスは即答を避けた。彼自身、まだ推論でしかないことを理解しているからだ。

 だがその予想はおそらく当たっているであろうし、的中したところで何一つ良いことはもたらさないだろう。

 死体の面当てを再び閉じると、ガイウスはゆっくりと立ち上がり、呟く。


「……もうライボローには、買い出しに行けぬな」

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