31:火と煙と

31:火と煙と


『あっちだよ』


 馬車を停め、降りる。

 フォグが指し示した方向を一同が見やると、林の向こうに、黒い煙が幾筋も立ち上っているのが確認出来た。


「煙?野焼きかしら?でも生き物って?」

「あー……」

「どうしたの、ダーク」


 サーシャリアが彼女の顔を見上げると、そこにはいつものような飄々とした笑みは作られていなかった。


「あの煙の立ち方は、家屋が焼かれている奴ですなー。しかも幾つか。むかーし、何度も見たでありますよ」


 口調こそ、軽口を叩くような感じではあるものの。

 苦々しい、いや、忌々しげとでもいうような表情を浮かべて、煙を眺めている。


 サーシャリアは、ダークに過去を尋ねたことはない。だがその目を見れば、何かがあったであろうことは、容易に理解出来た。

 十五年前の【五年戦争】時。サーシャリアは東方諸国群に居たため戦争とは無縁であったが、この元同僚は戦火を知っているのだろう。おそらく、「思い知らされる」方で。

 そう察したがゆえ、彼女の言葉に相槌を打つことも出来ず。目を逸らすようにサーシャリアは顔をガイウスの方へと向けた後。

 息を呑んだのである。


 ……それは、憤怒であった。


 目を見開き、唇を噛み締め。全身からまるで湯気が立ち上る錯覚を起こしそうなほどに、ガイウスは怒気を漲らせ、かの方角を睨みつけていた。

 そして彼は素早く荷台から愛用の剣、フォセを取り出すと、ダークを一瞥だけ、し。まるで投石機で岩が打ち出されるかのごとく猛然と駆け出していってしまったのである。


 残された者達はあっという間に小さくなっていくその背中を呆けたように見つめていたが。

 やがてエモンが口笛をピュウ、と吹いたかと思うと


「俺も俺も」


 自身の剣を持ち追いかけて行ってしまった。続いてフォグも。


『ああもう!男ってのは後先考えないんだから!』

「あ!こら!待ちなさいエモン!フォグさんも!」


 サーシャリアも慌てて武器を取ろうとしたが……それはダークによって制された。


「ちょっと!何するのよダーク!」

「駄目であります。自分はデナン嬢をお守りするよう、ガイウス殿から命じられました」

「ガイウス様はそんなこと言ってないでしょ!?」

「目で言われましたゆえ」

「目で、って……何よそれ」

「ご理解いただきたい」


 何時になく、強い口調でダークから言われたサーシャリアは戸惑い、呻き。そして、静かに肩を落とした。


(……私が行っても……足手まといなんだ……)



 小さな、村だった。

 ある程度の村というものは街道沿いに宿や酒場を用意するよう領主から命じられるものなのだが、まだそのことも問われぬような、そんな、小規模な集落であったのだ。

 住民の数も、おそらく二十に満たない。


 いや……今、あの家の中で手下が嬲っている女共を含めれば、ぎりぎり二十人に届くだろうか?


 そんなことを考えつつ、その若い騎士……ロシュ=マクアードルは、柔らかい物の上に腰を下ろした。

 椅子代わりの【それ】は、先程彼が斬殺した初老の男の上に、更に若者の死体をもう一つ乗せ、高さを調節した代物である。


「この村は皆殺しでもいいはずだったな」


 膝に肘を乗せながら頬杖をついて、ぼそりと呟き。そして、家の中で行われている行為が終わるのを待つことにした。

 彼がそれに加わらないのは、泥臭い農民女を相手にするのが疎ましかっただけであって、別段良心によるものではない。


(まあ、逃げ延びた奴が居たら居たで構わん。少数の【証人】を用意しておくのも、任務の内だ)


 民家から略奪した酒に口をつける。安酒だが、時間潰し程度にはなるはずだ。

 溜息をつきながら瓶をあおるその姿から、警戒心や緊張といったものは感じられなかった。


 それもそのはずである。住人はあらかた殺してあるし、火付けもほぼ済んだ。もう近辺に脅威や課題と呼べるものは何もない。村が焼ける煙を見て、わざわざ寄ってくる行商人もいないだろう。本来であれば治安機構の巡回部隊でも警戒するべきであろうが、その心配もない。

 何故か?理由は単純だ。そもそもこの若い騎士……マクアードル自身が、治安を維持すべき立場の人間なのだから。


 不味い酒だ、と思いつつもう一口含むと、やや離れたところで燃える家の陰から、手下の一人がのっそりと現れる。

 鎧こそあてがわれたもので、それなりの物ではあるが……その中身……やや呆けたような表情の下卑た顔からは、知性と教養、そして良識が著しく欠けているのが容易に見て取れた。明らかに、装具と中身の釣り合いが取れていない。マクアードルが「部下」とは認めず「手下」と内心で呼称するのは、彼等のその、心身の醜さゆえであった。


 男は左手に少年を引きずっており。そしてその子供の頭部は殴打によって膨らみ、また、落とした葡萄粒のように窪んでいた。

 もう息はしていないし、していたとしても最早生きられぬ状態だろう。


「ヘヘヘ竈の中にコイツ隠れてたどうせ家焼くから同じなのに」

「そうか」

「殴るのは愉しんでから最後にすれば良かった勿体無い」

「そうだな」

「ああでも今からでも愉しめばいいのか」

「……構わんが、私の見ていないところでやってくれ」

「じゃあまた後で」


 男が醜悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと向きを変えた。

 マクアードルは口中が急に不快になり、死体に腰掛けたまま地面へと唾を吐く。

 そして、顔を上げた刹那。


 不意に現れた大きな影。

 醜いあの男の身体に、袈裟懸けに突き刺さる一閃。

 そのまま鉄塊を咥え込んだ身体が持ち上げられ、今度は振り回すかのように勢い良く壁面へと叩きつけられた。

 斜めの回転を加えながら浮かび、飛んでいく上半身。


 そう。

「胴鎧を着た人間が両断される」という馬鹿げた光景を、若騎士は目にしてしまったのである。

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