30:帰路にて

30:帰路にて


 こけーこっこっこっこっこ

 こけっこーこ? ここここ


 荷物と、布を被せた籠で狭くなったマイリー号の馬車。その隙間で、エモンとダークが膝を突き合わせるように話をしていた。

 彼等の会話を聞き取りづらくしている鳴き声の主は街で買った鶏達で、コボルド村の食糧事情改善のために集めたものである。

 コボルド達は農業は営んでいるが畜産という概念は無く。それに気付いたサーシャリアが導入を提言していたのだ。

 鶏は家畜の中では比較的育てやすく、飼料に関しても野草や昆虫を自力で探すためコストが低い。何よりコボルドの体格で対応可能な家畜、というのが大きかった。

 一般的な品種であるこの鶏の産卵頻度から考えても単一では食料源には成り得ないが、補助としては期待できるだろう。何より、色々試してみるのは良いことである。


「……たまにさ、股間がこう痒くなったり、爛れたり、かぶれたり、膿みたいなのが出たことがあるんだよね」

「でありますか」

「気になって本で調べてみたら、どうも性病の症状と似ているような気がしたんだ」

「勤勉でありますな」

「実は俺、こう見えても童貞なんだけどさ。おかしいよな? 童貞なのに性病とか」

「心配しなくても、全方位的に立派な童貞以外の何者でもないであります。喜ぶといいでありますよ」

「俺は、これが夢魔の仕業じゃないかと疑ってるんだ。ほら、サッキュバスっているだろ?」

「見たことも会ったこと無いでありますが、夢魔の話はまあ有名でありますな」


 夢魔というのは、眠っている人間に対して淫猥なことを行う低級の悪魔……というのが、一般的な伝承である。サッキュバスというのは女性型の夢魔を意味する言葉であり、やはり伝説上の存在とされていた。


「おそらく、俺が眠っている間にサッキュバスが現れて、卑猥なことをしていったんだ。その結果、知らない間にサッキュバスから性病を感染させられた……というのが、俺が導き出した結論なのさ。つまり俺は、自分でも気付かない間に童貞を喪失していたことになる」

「そんな発想に至った男は初めて見たであります」

「エモンは、想像力が豊かだなあ」


 御者席で運転しているガイウスが楽しげに笑う。


「ガイウス様、駄目です! こんな頭の悪い会話に混ざったら、馬鹿がうつります!」


 眠るフォグの頭を膝の上に抱え、ガイウスの横に座っていたサーシャリアがガイウスを窘めた。


「ひでえ! 俺は真面目に話しているんだぞ!?」

「尚更悪いわよ!」

「あんまりだ! 姐さんも、あのチビエルフに何か言ってやってくれ!」


 ダークは短時間でエモンを手懐けたらしく、いつのまにか姐さん呼びである。


「エモン、落ち着くであります」

「だって……」

「まず、残念ながらエモン。お前の推理は惜しくも外れであります」


 サーシャリアは「惜しいの!?」と突っ込みを入れたくなるのをギリギリで我慢した。


「確かに性病で股間がそのようになることは多いであります。でも、旅などで不衛生な環境が続いた場合、その辺で【毒】を拾って病気に似た症状を引き起こすことは、ままあるのでありますよ。ねえ、ガイウス殿」

「ん? あー、そういえば戦争中は……」

「ちょっとダーク! そんな話、ガイウス様に振らないでよ!」

「うーん、デナン嬢はお固いでありますなー」

「貴方が緩いのよ!」


 毛を逆立てんばかりにして反論するサーシャリア。

 一方、話の主役であるエモンはとてつもなく落胆した表情で、力無く俯いていた。


「じゃあ俺は……」

「残念ながら童貞のままでありますな。大方、毎日ちゃんと洗っていなかったのでは? 今後は、しっかり綺麗にするように心掛けるであります」

「分かったよ姐さん! 俺、毎日キチンと洗う!」

「うむ。分かればいいであります」


 優しく微笑むダーク。

 会話の内容さえ聞いていなければ、若者に助言を与える年長者という微笑ましい構図に見えるだろう。

 サーシャリアが「貴方達馬車から降りなさいよホント」とボヤいているが、彼等の耳には入っていない。


「あー、でもそれに気をつけていれば薬の無駄遣いをせずに済んだのになあ」

「薬?」

「これだよ」


 鶏の鳴き声の中、エモンが鞄の中から取り出した小瓶。その内部には、少量の赤い液体が波打っていた。


「これ、俺が家から持ち出してきた回復の魔法薬なんだ」

「ほう、ドワーフの秘薬でありますか」

「ねーちゃんが軍の支給品を持ち帰ってきた余りなんだけど、これ、飲んでも効くし、塗っても肉が盛り上がって傷を塞ぐんだ」

「えー? こんな薬液にそこまでの効果がぁー?」


 傷を癒やす魔法は存在するが、万能ではない。

 強制的に肉を盛り塞いだり止血する魔術や魔法は、魔術師なら誰でも使えるわけではないのだ。魔素の操作が巧みな治療術師の手でこそ可能なのである。特に内部への傷は対応が困難であり、専用設備の支援を受けて対応出来るかどうか。勿論、医療の知識も必要とされるのは言うまでもない。程度は分からないが薬液によってそれを実現するというのだから、もしこれがエモンの吹聴ではなく事実であるならば、ドワーフ達がいかに高い技術を有しているかということになろう。


「本当だって! ドワーフウソツカナイ! 現にこれまでだって、股間が爛れた時には、この薬をちょっぴり塗って治してきたんだから」

「貴方、そんな貴重な秘薬を何に使ってるの!?」

「まあ、秘薬だけに秘所に塗るのは必然、ということでありますかな?」

「ちょっとダーク、何「上手いこと言ったであります」みたいな顔してんのよ!」


 したり顔のダークを、眉を顰めてサーシャリアが咎めた時。彼女の膝枕で眠っていたフォグが不意に目を覚ました。


『んー?』

「あ、ごめんなさいフォグさん……起こしてしまって」

『いや、違うよ嬢ちゃん。馬鹿騒ぎはガキ共の相手で慣れてるからね。そうじゃあ、ないんだ』

「どうしたのだ、フォグ」

『臭いんだよ』


 エモンが驚いたように自らの股ぐらを覗き込むが、フォグはそれを一顧だにせず低い声でガイウスに告げた。


『火と煙の臭いさ……生き物も焼けてる、ね』

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