119:マニオンの下準備

119:マニオンの下準備


 ランサー家は、元々は姓をランダーという。

 ずっと昔。まだ【交差の篭手】の紋章すら使う以前のジガン家の下で武勲を立てたショット=ランダーは、功に因んで家名を槍兵(ランサー)に改め。以降ランサー家は武門として幾人も名だたる武人を輩出してきた家柄であった。

 過去形で語られるように、現当主のショーン=ランサーも武人とは程遠い型の人間だ。どちらかといえば宮廷の住人や、詩吟や絵画に入れ込む遊興貴族と評した方が、説得力がある。実際、本人の気質もそれに近い。五年戦争の従軍時はほぼ数合わせでさしたる功もなく、戦後も小さな町の代官や役人を勤めたことがあるくらいだ。

 だからこの任務にあたって、マニオンが名指しで彼を補佐役としてケイリーに請うた時。ランサー自身が一番、その選考に首を傾げたのである。


 ……そんなランサーにとっても、マニオンが行った準備は、なかなかに入念なものと思えた。

 もっと性急に攻撃を仕掛けるものと思われていたが、意外にもマニオンはライボローで情報を集めることから始めたのである。

流石に自ら聞き取りに行きはしなかったが。彼が割いた人員と費やした金は、決して少なくはない。

 五年戦争も終わって平和が続き、兵を集めてぶつけることしか知らぬ現役も多い中。その姿勢は確かに才気を感じさせるものがあった。


「あの低能が失敗したのは、単純に言ってしまえば森に引きずり込まれて兵力の分断を許したからだ」


 集められた情報を整理し構成した報告書の冊子を手の甲で軽く叩きながら、マニオンは断言した。

写しに目を通し終えたばかりのランサーが、覇気のない声でそれに答える。


「分断? ですか」

「戦力の集中は戦術においては初歩中の初歩だ。貴様も貴族ならその程度は学んでおいて然るべきだろう。その歳まで何をしていたのだ」

「も、申し訳ありません」


 十歳以上もマニオンの方が下であるはずだが、その口ぶりは侮りに満ちていた。

 だが家柄も実績も彼の方が上であるし、それに基づいてこのような態度をとる人物は、家格が上になるほど珍しくない。

 だからランサーも、不快ではあるが怒りはしなかった。軽んじられるのにも慣れている。


「奴は冒険者のような有象無象を用いたため、統制をとることが出来なかったのだな。それ故に、幼稚な陽動にかかって森に誘い込まれたのさ。浅はかな考えで兵数を稼ごうと企むから、こうなる」

「はあ」


 実際には冒険者を戦力化しようと発案したのはケイリーであり、ワイアットは苦労を強いられた側なのだが、彼等はそのことを知らない。


「ではマニオン様は今回、どの様に対応するのですか」


 問われたのが癇に障ったのか。マニオンは舌打ちして軽く睨めつけると。


「こちらの兵数を絞る」

「兵を減らすのですか!?」


 戦は、人数が多いほうが強い。それは子供でも分かる理屈だ。

300人以上の戦力を投入して敗れたワイアットの前例を考慮して、ケイリーからも、マニオンの手勢に加え600もの兵と物資を用意する旨が伝えられている。

それを絞るという発言に、ランサーは少なからず驚かされた。


「そうだ。我が軍は単純な数量よりも、統率を優先する。それがこの戦いの鍵だ」

「数より、統率ですか」

「兵士……平民というものは怠惰で臆病な生き物だ。我々貴族の目の届く範囲でなければ、十分に戦えないし、戦わない。従いもせぬし、逃げもする」


 蔑みが込められた言葉であるが、事実とも言えた。

封建制における戦争とは基本的に支配階級同士の抗争であり、庶民にとっては他人の利害を決める儀式に過ぎない。

 事情がなければ、統率も士気も弱いのが自然である。


「だから戦というものは、開けた場所で兵を一箇所に集め、指揮官が掌握出来るようにするのが定石なのだ。貴様の歳なら、この程度知っていて当然だぞ」

「申し訳ありません」

「まあいい。承知の上だ」


 ならば何故自分を補佐役に指名したのだろう、と疑問に思いつつ。ランサーはもう一度頭を下げる。


「前回の場合、兵は冒険者だが同じことだ。むしろ我が強い分、平民よりタチが悪かっただろう。平野ならともかく、こんな地形で300名を超す有象無象の混成部隊を長蛇で率いるには、中級指揮官の数が足りなさ過ぎる。視界のない森に誘い込まれれば尚更だな。指示など届くものか」


 冒険者の話を元に描かれた地図を指でなぞりながら、マニオンが愉快そうに分析を述べた。


「だから今回の討伐には、我が手勢から選抜した150名だけで向かう。臨時で集めた兵とは違い、私が鍛え、備えている精鋭だ。そこに騎士や戦士長が10名程で睨みを効かせるから、つまらぬ小細工で冒険者のように誘い込まれることもない。森に深く入りさえしなければ、犬共の罠にもかからん。直接戦うのであれば、犬はヒューマンの敵ではないからこの数まで減らしても支障はない」

「なるほど」


 ランサーがぱらぱらとページをめくる。確かに、コボルドは肉体面で大きくヒューマンに劣る、という記述がある。枯れ川で奇襲を受けた際は、むしろコボルド側の損害の方が大きかったとも書かれていた。

 同じ罠に嵌らぬため手勢だけで臨むという話も合点がいく。むしろいきなり600名も他所の兵を貸し付けられれば、それこそ先の戦いでワイアットが踏んだ轍をなぞることになりかねないという訳だ。

 話は分かる。理にも適う。ランサーは、そう思いながら頷く。


「加えて、我が家が抱える魔法使いから二名を同行させて矢避けの術を張らせる。前の前の戦いで混乱を招いたという犬共の小さな矢も、それで無力化する。成り上がりは冒険者を率いたため装備の統一が出来ず、自軍の弓矢を封じることが出来なかったのだな。それとも、矢避けが使える魔法使いまで手配が間に合わなかったか」


体内魔素を操る【魔術】師の技術だけでも生きる選択肢は多いのに、神秘の力を引き出す【魔法】の術者であれば南方諸国群では引く手数多なのだ。そもそも魔法使いが冒険者に身を落とすこともないだろう。 


「魔杖が数本鹵獲されているようだが、その程度では集団に対して効果は薄いだろう。我々が用意する魔術師や魔杖兵の方が、数も多い」


 再び頷きながら、ランサーは紙面へ視線を移す。


「報告書によると、コボルド側は枯れ川に水を流してきた、とありますが」

「ああ。それも存在自体を知っていれば脅威ではない」

「と、おっしゃいますと」

「一瞬にして川に水が満ちるのではない。予兆として、まずは少量の流れが来るのだ。その後に濁流が押し寄せてくる。音もするから、分かっているなら退避する時間はある」


 ランサーが報告書をめくると。負傷者の手当にあたっていた治療魔術師からの証言が、確かにそのように書かれている。


「だから犬側も、冒険者達を押し流すのではなく分断することに使ったのだ。確かに水を流されれば川を横断出来んが、予め避難する岸を決めておけば被害は出ない」


 この場合は左側だな、と口にしながらマニオンは地図を指差す。


「その後は川沿いの森を進むことになるため、行軍速度は落ちることになる。それを見越して兵の装備も軽装で統一しておくが、小柄な犬相手に重武装はむしろ不要だから問題は無い」

「なるほど」


 ワイアットが敗れた要因の一つ一つを分析し、対策を立てている。そして、マニオンの家が抱える常備兵ならこその統率と体制が、それを可能にするだろう。


「……【イグリスの黒薔薇】については、どう思われますか」

「ガイウス=ベルダラスか」


 一連の裏事情は、マニオンにしか知らされていない。だがコボルドの首魁がベルダラス元男爵であるという情報は、聴取の結果として報告書にも記されていた。その武勇についても、だ。


「彼の腕が如何に立とうとも、所詮一人のヒューマンだ。150名の兵を斬り伏せられる訳ではない」

「それはまあ、確かに」

「途中で仕掛けてくれば、その時点で包囲して仕留めれば良い。来なければ犬の村を焼いて誘き出すまでだ。私としては、後者のほうが兵を展開しやすいだけ有り難いがな。だが、今回の作戦ではその辺りが最も損害を被る局面だと見越してはいる」


 自信を漲らせて語るマニオンをして、損害を覚悟せねばならないと言う。

 その言葉に、ランサーは思わず唾を飲み込んだ。


「フ、臆するな。お前は矢面に立つ必要はない。同行はしてもらうが、いざという時は兵の後ろに隠れて、我々の戦いぶりをつぶさに観察しておけ」


 そしてランサーはこの時、マニオンが自分を指名した理由を悟った。

 彼は補佐役が欲しかったのではない。自身の作戦に口を挟む小煩い人物が目付役に寄越されぬよう、無用無能の人間を選んで先にその枠を塞いでおいたのだ、と。


 ……こうしてショーン=ランサーは討伐軍に、補佐役として同行することになった。

 マニオンによる調査、ワイアットの敗因分析、そしてそれを活かした準備や作戦立案は道理だと思われたし……ランサーがそれ以上の対案を思いつくこともなかった。だからこそ、彼は補佐役に請われたのだが。


(罠だらけの森に誘い込まれない、個別に撃破されないために兵を分断されない。最大限簡素に要点を絞るなら、この二点を守るだけで私達は負けないのだろう。集まった情報から考えれば、確かに、マニオン様が仰る通りそれで十分のはずだ)


 しかしそれでも何かが頭の隅にひっかかる感覚を、ランサーは自己の怯懦によるものと敢えて決めつけ。

 慣れぬ装具を身に着け終えると、出撃のため天幕から出ていくのであった。

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