120:マニオンの進軍

120:マニオンの進軍


 軽装で統一されたマニオン軍は松明を手に。夜半、枯れ川への進入を開始した。

 水計により川跡を塞がれ行軍速度が落ちたとしても、陽がある内にコボルド村へと到達出来るように調整したのだ。所要時間の予測については、小柄な元狩人が蟲熊の糞になる以前に調べ、冒険者ギルド長へ提供した情報が流用されている。

 ワイアットは練度の低い冒険者を統制するために長大な縦列を強いられたが。マニオン軍は長めの方陣を組んだまま川幅一杯に列を広げつつ、出来うるだけ前後が伸びぬように枯れ川を進んでいた。調子も速い。

 一見、何でも無いことのように思えるが、この行軍自体がマニオン軍の練度を示すものと言えただろう。なまじ自身が訓練を受けた者ほど見落としがちだが、農民や市民をただ徴集しただけの兵では、実際には隣と歩調を合わせて行進することすら出来ないのである。

 マニオンまでもが同じ装備、そして徒歩で行軍していたが。これは指揮官が狙われにくくするために彼が講じた対策だ。マニオンは、ワイアット達の戦いで中級指揮官が狙われた例を戦訓としていたのであった。


「夜中に進軍するのは危険ではないのですか」


 ランサーが率直に疑問をぶつけると。マニオンは小さく嗤いながらそれに答えた。


「ふっ、小心者め……連中は森の中に仕掛けた罠へ引きずりこむことを目的としている。犬側の視点からいっても、そんなに外には仕掛けていられないだろう。工事には資材も人手も手間もかかるのだから、森の外縁ではなく村の防衛を考慮した場所に設置するはずだ」


 曖昧に頷くランサー。


「何故なら入ったばかりの森の中に仕掛けても、枯れ川経由で素通りされる可能性のほうがずっと高いのだからな。ということは、この辺りで森に引きずり込まれてもそもそも罠が設置されていない。つまり犬共はもっと進入してからでないと、策を弄するなり攻撃自体を仕掛けてこないという訳だ。その頃には日も昇っているから、夜闇を恐れる必要もない」


 そうやって小馬鹿にしながらも、どうも分析や理論を他人に説明するのは好きなクチらしい。

 鼻の穴を広げながら自慢げに語るマニオンに、若干可愛げのようなものを感じつつ、ランサーは次の質問を投げる。この若い上役は、そうされたほうが機嫌も良さそうだ。


「私達の動きが察知されていた場合、川に水を流されたりはしませんでしょうか」

「それも大丈夫だ。前にも話してやったのを忘れたのか? 水流は事前に察知出来る。つまり、水で押し流すことは出来ないのだ」

「はあ」

「あれはあくまで戦場地図を書き換えるための仕掛けに過ぎん。その程度分からぬようでは、先祖の勇名が泣くぞ、ランサーよ」

「面目次第もありません」


 頭を下げる彼をもう一度鼻で嗤いながら、若き貴族騎士は視線を前方へと戻した。その背中を見ながら、ランサーは小さく溜息をつく。

 マニオンの態度は終始このようなものであるが、彼のみがそうされている訳でもないらしい。郎党と思しき騎士や戦士長達、そして兵達に対しても同様なのだから、ある意味その姿勢は公平なのだとも言える。理不尽にそう認識することで、ランサーは自分を納得させていた。


「若、そろそろ矢避けの魔法を張り直します」


 指揮官の傍らに寄ってきた、茶色のローブを纏った若い女が頭を下げつつ提案する。

 呼び方からして、マニオン家が抱えているという魔法使いなのか。おそらくは今回連れてきたという二名の片方なのだろう。


「うむ……ぜんた―いッ! 止まれ!」


 ざっ、ざっ、と二歩置いて、ぴたりと集団の足が止まった。

 魔法使いは口中で何事か呪文のようなものを唱えると、腕を天にかざして掌を広げる。

 魔素の輝きが虚空を短く走った後。生暖かい、何か風のようなものが感触だけを伴ってランサーの背後へと駆け抜けていく。矢避け、矢落としの魔法と呼ばれるものだ。同様の効果でも流派や地方によって術式や工程も大きく違うらしいが、それは技術者以外にはよく分からぬ専門分野の話である。


「よし、行軍再開ッ!」

「……ですが若、矢避けを張ると敵の魔法使いにも察知されますが、宜しいのですか」


 集団に合わせ歩き始めた術者が、振り返って問う。


「私が集めた情報では敵に魔法使いなどおらんことが判明している。そんなことよりも弓の方がよほど問題だ。何より、私がその程度のことを分かっておらんと思うのか! 一介の魔法技術者ごときが差し出がましい口をきくな!」

「も、申し訳ございません!」


 女魔法使いは謝罪すると、慌てて元の位置へと帰っていった。

 彼女の背中を気の毒そうに眺めるが、ランサーはどう言える立場でもない。 

 それに、他人を心配するよりも。彼はまず自身が行軍に遅れぬよう努力せねばならなかったのだ。体力を考慮して特別に荷は省かれているが、それでもランサーには酷な行程なのだから。


 ……何度かの休憩を挟み、夜が明け、なお進み、また休み、そして歩く。繰り返し。

 途中、両脇の木々の密度がやたらに濃い箇所や、茂みが壁を成している場所を幾度か通り、一団に【犬】達からの奇襲を警戒させたが。そのことごとくが肩透かしに終わっている。


「もしかして、敵は私達の進入に気付いていないのでしょうか」


 あまりに緊張の空振りが続いたため、ランサーがマニオンにそう尋ねたほどだ。

 周囲の兵達も、敵の領域へ近付きつつあるのと反比例して緊張が薄れている。

 隊列はまた茂みの濃い領域へと差し掛かったが、もういちいちそれに身を強張らせる者は居ない。


「……貴様、ちゃんと資料を読んだのか? いや、読んだのに記憶出来ていないのか? あの成り上がりは、第一次討伐では不意打ちでベルダラスから接触を受け、第二次討伐でも奇襲を受けていただろう」

「つまり。既に発見されている可能性が高い、ということですか」

「可能性ではなく、確定だ。これからが本番だぞ。じきに何らかの行動に出てくるはずだ」


 その姿勢に辟易しつつも、ランサーは若い俊英の言葉を頷いて聞く。

 前の戦いについて集めた情報、資料に対するマニオンの分析と対策はやはり説得力を持っている。


(なのに、どうして何かが引っかかり続けるのだろう)


 ランサーがそう考えながら顎に手を当てようとすると。


『『『あぉぉぉん』』』


 突如として、遠吠えのようなもの……いや、犬の吠え声そのものが。

 両手に広がる木の葉の壁向こう、森の中から発せられたのである。


「え!? こ、これは!?」

「防御陣形ーッ!」

「「「防御陣形―ッ!」」」


 ランサーが狼狽の声を上げている間に。マニオンは号令を飛ばし、隊長達が復唱し、そして兵達は鞘から剣を抜いて枯れ川の中央に集まり、両岸へと向き合っていた。

 動揺は無い。かつ早い。見事と言って良い反応である。


「備えーッ!」

「「「備えーッ!」」」


 兵達が木製のスモール・シールドを突き出し、突撃に備える。

 あらかじめマニオンが準備させていた、コボルドによる森からの攻撃を迎え撃つための態勢だ。以前の討伐隊が受けた奇襲の状況、その情報を基に作られた陣形であった。

 川の中央に集まり、岸との空間を確保して対応の余地を作る。全員に装備させた盾は木製で小さいが、相手がヒューマンならともかく【犬】の膂力では割られることもない。突撃の圧力を十分に削ぎ、反撃へと繋ぐだろう。これは、矢を防ぐためにワイアットが冒険者達に持たせた板の盾が奇襲に想定以上の効果を発揮した事例から、マニオンが用意しておいたものだ。

 背後は兵同士が互いに守っているし、ベルダラスや黒い剣士も、うかつに飛び込んでくるなら列で飲み込んでしまえばいい。コボルド側がこの防御を打ち崩すには、弓で揺さぶりをかけるしかないが……


「矢落とし、効いてます!」


 先程の女魔法使いからの声。そう、その穴すらも既に埋められているのだ。

 前例を分析し、対策を講じた防御陣形。それを可能にする練度と指揮。

 ランサーは、マニオンの手腕に感嘆の声を漏らす。マニオンもその声に頬を歪めながら、川の両手を埋め尽くす茂みを睨めつけていた。後は、飛び出してくるコボルド達を、この開けた場所で迎撃するだけだ。


 さあ、来い、来い、来いッ! と。

 待ち構えるマニオンの、小隊長達の、兵達の心の声がランサーにも聞こえるようであった。


 だが、緑壁の向こうから届いたのは。

 小さな矢の嵐でも、雄叫びと共に突き出される穂先でもなかったのだ。


『『『『『『ロウ……』』』』』』


 それは幾重にも重なった【詠唱】。


『『『『『アア……』』』』』』


 こんな【大森林】の中で野良犬相手に聞くはずもない音。


『『『『『イイ……』』』』』』


 そう。攻撃魔術【マジック・ミサイル】の大合唱である。


「そんな馬鹿な!」


 マニオンの叫びは空気を裂いた魔素の音に掻き消され。何本、何十本もの魔素の奔流が兵達、そしてランサーの体へと突き刺さった。

 悲鳴と怒号が満ちる中、砂の上へ崩れ落ちたその瞬間。彼は今まで胸に纏わり続けていた違和感の正体に気付いたのだ。


「有り得ない! 有り得ない! 有り得ないッ!」


 マニオンが、顔を引き攣らせ連呼している。

 ……情報から立てた作戦は確かに理に適う。理論的だと、ランサーは思う。騎士学校で戦術理論の教官達から高い評価を受けていたという話も、得心のいくものであった。

 だが違う。違うのである。それはあくまで、明示された条件、課された題に限定してのものなのだ。

 敵が同じ手段を取るとは限らない。そんな約束など、あるはずがない。そしていつまでも成長せず、増強もせず、同じ姿勢で待ち続けている理由もない。相手は授業の教材でも、命令に従う彼の部下や領民でもないのだから。

 マニオンの分析は。根本的な想像力の欠如の上で、精密に組み立てられていたのである。


(ああ、そうか)


 ……胴に熱いものを感じながら。

 ひとりでに閉じられていく視界の中で、ランサーは納得するように呟いていた。

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