121:第二次コボルド王国防衛戦

121:第二次コボルド王国防衛戦


 マニオンの目の前で、【マジック・ミサイル】の一発が女魔法使いの顔に命中し。反対側の頭骨を蕾のように膨らませる。

 その近くで、混乱する部下達を叱咤していた顎髭の騎士は胸と腹に二発続けて被弾し、前のめりに崩れ落ち。すぐ脇の年若い兵が慌てて彼を抱き起こすが、上長の口から出て来たのは血泡と隙間風のような音だけであった。


「若! ご無事ですか若ッ!」


 赤く濡れた肩を押さえつつ呼びかける壮年の戦士長の声は、再び両脇の森から発せられた【詠唱】の大唱和によって掻き消された。第二射だ。

 バ、バ、バシュウ! と。木の葉の壁の中から再び放たれた何十条もの魔素が、またも襲い来る。兵達は腹を抉られ、脚を撃たれ、肉を削られ倒れていく。


「そ、総員ッ! 茂みへ突入せよ! 犬はその中だ! これ以上の射撃を許すな!」


 第三射が来る前に自失から回復し、状況を把握。そして直ちに対応策を指示したのは、総指揮官たるマニオンであった。

 想定外の状況に陥ったとは言え。彼は、決して無能ではない。


「川に居ては標的にされるだけだ! 切り込め! 近付いて魔術を使わせるな! 死にたくなければ行け! 行け!」


 森に入るな、と徹底していた指針を即座に放棄し、号令を飛ばす。

 総指揮官の意を察した中級指揮官達はそれぞれの部下を叱咤し、素早く立ち直らせた。それに応じて行動を開始した兵達の練度も、確かにマニオンが精鋭と誇るに値するものであっただろう。

 マニオン軍は喊声を上げつつ、両岸へ向け、分かれて走り出す。第三射でまた何名かが撃ち倒されたが、そもそも川自体に幅が左程ない。ほとんどはすぐに木の葉の壁へと取り付くことに成功した。マニオンも、同様である。

 彼等は鬱蒼とした枝と葉の、背の高い茂み……触れてみれば、そのように見せかけて人為的に構築された濃密な緑の壁……を掻き分け、その中を進もうとした。したが、それはすぐ阻まれた。

 行軍中に何度も見かけた藪、木々の間を埋め尽くす自然の垣根へと巧みに偽装されたそれらの中には、進入を拒むように縄、いや縄や蔓、茨で作られた網が張り巡らされていたのだ。


「マ、マニオン様! 網が! 網が張られています!」

「こっちもです! 入れません!」

「切れ! 剣で!」


 マニオンは剣を大きく振りかぶり、緑の壁の中にある網を断ち切らんと、刃を叩き込む。鍛錬を積んだ立派な体躯からの、鋭く、力の籠もった一撃だ。だが対象は縄であり、紐を切るのとは訳が違う。微妙なたわみも力を軽減し、一刀に切り払えるはずもない。

 それでも懸命に、何度も、何度も刃を振るう。打ち込む度に網の目が裂けていく。周囲では他の兵も、同じく必死に緑壁と格闘し続けていた。力を合わせて網を引き倒そうとしている者も居るが、森の木を支柱代わりに構築されていることもあり、剣で切る方が遥かに現実的のようであった。よじ登ろうとした者はよほど目立つのか、中から槍で腹を抉られている。

 だが。切れる、切れるのだ。突破は出来る。何処まで続くか分からぬ緑壁の端へ走るより、その方が容易いと思わせる程度の作りであった。

 剣を打ち込みながらマニオンが頭を素早く左右に振ると。列の前後では壁に取り付くのを諦め、川沿いに走った兵が大男や黒い外套の剣士、そして小さな毛皮の戦士達に囲まれ、討ち取られているではないか。

 コボルド歩兵達はそのまま突入してくることなく、横陣の槍衾で蓋を被せるかのように行く手を阻んでいる。つまりマニオン軍は、緑の壁に左右を、そして敵の歩兵に前後を塞がれた形になったのだ。

 これがただの壁ならば、マニオン達はその向きを敵歩兵へ向ければ良い。だが、両脇にいる大量の魔術師……もしくは魔杖兵を放置したままそれを行うのは、自殺行為と言える選択だ。


「クソッ! クソッ! こんな、こんな子供騙しの戦い方があるか! 戦争とは、こんな、こんな巫山戯た、児戯のようなものではッ!」


 城塞戦での定石だが。攻め手を敢えてある空間に誘い込み、城壁や櫓門で接敵を阻んだ防御側が一方的に矢や石、魔法魔術で二面ないし三方から攻撃する手法がある。北方諸国群で発達した、虎の顎や虎口とも呼ばれる防御設備だ。

 無論、野戦で用いられるような代物ではない。だがコボルド側は、工作と偽装、そして心理誘導により。簡易的ながらそれを模し、実現させたのである。

 ……バ、バ、ババシュ、バシュ!

 そうこうしている内に六回目にもなる射撃が行われ、また幾人もの兵達が砂へと倒れ込んでいった。

 緑壁の内側から槍を突き出され喉に穴を空けた者もいたし、縄に夢中のあまり、接射で腹を撃ち抜かれた兵もいる。

 ただ同士討ちを避けるためか、反対側から背中を狙ってくる分は少ない。取り付いた側の岸から死角になり撃たれずに済んでいる者も多い。その分始めより斉射毎の被害は減っており。障壁を突破しても、まだ反撃の戦力を維持出来そうに考えられた。茂みの中の敵兵が魔術師にせよ魔杖持ちにせよ、短時間で連射を重ねるほど熱で射撃効率も落ちる。最初よりも斉射間隔が伸びているのは、その証左だ。

 ……ばき、ばき。ばさ、さ。

 その時。木材が折れる音、葉と枝が擦れ合い散らばりゆく音、そして地面に倒れ込む音を立てて。両岸の緑壁、その一部がそれぞれ枯れ川へと倒れてきたのである。その動きは、閉じた跳ね橋が勢いよく降ろされた姿を皆に彷彿とさせた。脚を撃たれ砂に伏していた兵が一人その下敷きになったが、そこに注意が向いた者は少ない。


『開いた! 穴が開いたぞ!』

「誰かが障壁ごと引き倒したか!」

「突破口が開いたぞ!」

『ここから入れる! 入れるぞー!』

「走れ! 走れ! そこから切り込め!」

「駆け込め! ここにいたら撃たれるだけだ!」

「手を貸せ、こいつを運ぶ!」

「せーの!」

『走れ! 走れ!』

「もっと奥へ行け! 行け! 後がつかえてる!」

「詰まるな! 立ち止まるな! 走れ!」


 暗闇の中に差し込んだ陽光。いや、溺れる最中に目にした水面のようなものである。両岸に開かれた突破口に、たちまち兵も戦士長達も殺到した。元々その突入はマニオンが下していた指示通りなのだ。躊躇する理由も余裕も、彼等には無かった。七回目の射撃がその時行われたことも、拍車を掛けただろう。だがその【マジック・ミサイル】の数が先程より激減していることに気付いた者は誰もいない。

 マニオンも数瞬視線を泳がせた後に、それを追う。どちらかの岸に絞って避難させる隙はなかった。今は一兵でも多く、魔術攻撃の射線から逃すだけだ。

 突入口から進入したマニオンの兵達は、森を少し走った後、すぐに踵を返す。

 混乱しながらも取るべき行動を見失わないのは、訓練の賜物と言えただろう。


「行けっ! 行けっ! 一匹残らず殺せーっ!」


 号令で兵達は踵を返し、緑壁の裏側へ踏み込む。

 これまでの攻撃でマニオン軍は三分の一以上の戦力を喪失していたが、ここに来てようやく反撃の機会を掴んだのだ。罠に掛けられた憤り、仲間を無惨に倒された怒りもあって、その動きは力強く、荒々しい。だが。


「い、いません!」

「こっちもです!」


 先程まで彼等を魔術で蹂躙していたはずの敵は既になく。草や土に残った痕が、辛うじてそこに何かがいたことを物語るのみ。


「我々が突入するのを見越して、既に退避していたというのか……!?」


 この若き貴族騎士は、与えられた材料から正解を導き出すのに長けている。

 先程の開門が、緑壁が崩される前に意図的に仕組まれたものであったとすぐに理解した。

 そして、仕組んだものだからこそ。マニオン達が侵入してくる前に魔術兵を後退させることが出来たのだ、と。

 愕然として周囲を見回すマニオン。

 そして先程自分達が飛び込んできた緑壁の跳ね門を捉えた時。彼は敵による次の一手に気付いたのだ。

 作戦段階で織り込み済みだったもの。察知可能で、対応は出来ていたはずのもの。


「枯れ川に、水が……」


 それは、徐々に水位と勢いを得て濁流に変貌していく枯れ川の姿であった。

 マニオン軍はコボルド側が作り上げた虎の顎で大きな損害を出し。全力をもって囲みを突破する前に、敢えて開けられた穴から行き先を誘導され。そしてその騒ぎに紛れて、川に水を流されていたのだ。

 何よりも戦力の集中と、森へ引きずり込まれぬことを念頭に置いていたはずのマニオン軍は。枯れ川を進むことで虎の顎に噛み砕かれ、森へ押し込まれ、そして対岸の戦力を切り離されたのである。

 現在、総指揮官の周囲にいる兵は約40名。

 彼が率いてきた精鋭は。この短時間でその数を、三分の一以下にまで切り崩されていた。

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