243:第四十四分室

243:第四十四分室


 ……話は一時、王都イーグルスクロウの冬まで遡る。


 王城でのコボルド村討伐会議を終え、ザカライア=ベルギロスを残し【剥製屋】や【若禿】が立ち去った後のことだ。


「望むなら、喜んで力を貸そうではないか」


【白黒の人】ことムーフィールド公爵、王国宰相エグバード=ビッグバーグ。

 彼が投げたその言葉に誘われるまま、ザカライアは王都郊外まで馬車に揺られてきていた。


「宰相閣下、ここは……?」

「王室の狩猟森だ。もっとも先王が崩御されて以降、狩りに使われることはなくなったが。先程一度、馬車を停めただろう? あれは、森番の詰め所だな」


 先代イグリス国王は狩猟中の落馬が原因で命を落としたこともあり、忌避されてもいるのだろう。加えて現王は、活動的な人物像とは程遠い。

 そのため、使われぬ狩り場を森番が封鎖し続けているという訳だ。


 ……その後も馬車はぐねぐね続く林道をしばらく進み、もう二度ほど関所じみた場所を経てから、ようやく目的地へと辿り着く。

 降りたザカライアの前に建つのは、飾り気の無い石造りの館……というよりは小型の要塞、もしくは監獄にも見える建物であった。


「森の中に、このようなものが」

「元々は幽閉施設だ。殺すには忍びない王族や貴人を、それなりの礼節をもって生涯閉じ込めておくような、な。もっとも近世無用になり久しかったものを、改修を施し別件で使っている」

「では現在は、何の建物なのですか?」

「王立技術工廠、第四十四分室」


 王立技術工廠は実在する公的機関だ。だが当然、四十四もの分室があるはずもない。このふざけた名一つとっても、これが決して表に出ぬ施設ということは明らかだった。

 宰相に案内されるまま中へ入り、そして廊下の奥から地下へ続く階段を降りていくザカライア。その後また通路と部屋を幾つか経由した後に、ようやく彼らは目当ての一室へ着く。


「やあ【白黒】ン、来たかい」


 生臭く淀んだ空気のそこでザカライアたちを迎えたのは、三十にも届かぬ若い女性だ。


「休暇を返上させて悪く思う、室長」

「なに構わないよ。他ならぬキミの頼みさ」


 一国の宰相に対し、あまりにも気安い態度と言えよう。しかし当の【白黒】はまるで変わらぬ無表情のまま、紹介を始める。


「彼女はアール=タンク。王国騎士であり、ここ第四十四分室の第二代室長だ」

「キミがグリンウォリック伯爵か。【白黒】ンから話は聞いているよ。ボクはアール=タンクだ、よろしく」

「わ、吾が輩はザカライア=ベルギロス……です。よろしくお願い……します」


 先程同様の調子で差し出された手を、困惑しつつ握り返す。

 宰相が彼女の無礼を良しとしているのだから、彼が拒む訳にもいくまい。ぬちゃりと掌に伝う感触への呻きも、噛み殺すのみ。


「彼女は所謂天才という生き物でな。この場を提供して、王国のため研究開発に従事してもらっている。何分国家の機密であるため、口外してくれるなよ」

「は、はい。それは勿論心得ておりますが……」

「で、いいのかい【白黒】ン。ザカライアンに教えちゃって」

「彼には、その価値と意味がある」

「そうかね」


 フケと脂だらけの長髪を手櫛で掻き上げ、立ち上がり奥の石壁へ歩み寄るアール室長。そして指の粘りを腹で拭いながら、覗き窓へ寄るよう二人に促す。


「これは……処刑……の部屋……? ですか?」


 鉄格子向こうの薄暗い部屋。その中央には、台が据えられていた。

 頭を置き斧で頸部を切断するための、ごくありふれた断頭台。ただ奇妙なのは、そこに跪く囚われ人の全身が太い鎖で縛られていたことだろうか。しかも何本も、厳重に、厳重に。

 執行前の囚人が暴れることは珍しくもないが、この男はどうやら薬物で眠らされている様子。それをここまで過剰に拘束するのだから、やはり異様と言う他ない。


「いあ、処刑じゃ無くて説明だよ。ザカライアンのためにね」

「説明?」

「ちゃんと教えておかないと、お家に帰ってからやる時大変だろうと思ってね。いやあー、こうやって説明できるようになるまで結構大変だったんだよぉ? 試行錯誤の繰り返しでねえ。最初は刺す場所が大事なんじゃないかと思って総当たりで調べたのに、結局は鋲への処置のほうが重要だったって分かったり。高純度ミスリル被膜を施した上に、魔術や呪術刻印で何重にも加工してやるんだけど、それもまたまた手探りでさぁ。お次は素体にも素養が必要だって分かるまでにまた結構かかって、さらには……」

「室長、その辺にして本題へ入ってやれ」


 早口で語り始めたアール=タンクを、宰相が制する。


「ああすまない、【白黒】ン、ザカライアン。研究のことになるとどうもさ。まあ結局ボクが口でどうこういう以前に、やり方と効果を見てもらったほうが早いってことなんだ、【聖鋲】のね」

「【聖鋲】?」

「言葉の雰囲気でキミだって察しが付くだろう? 【天使】と同じく古代遺跡からの発掘物さ。もっともこっちは、ずっと希少なんだけども」

「それに一体、どのような力があるというのですか」

「ヒトの身体を【天使】に作り替える」


「馬鹿な」と伯爵が口にしかけた時だ。処刑部屋へ十尺(約三メートル)近い巨体が入ってきたのは。


「始めちゃってー」

「はい、アール様」


 フード付きローブに身を包んだその人物は囚人を右手で押さえつけると……残る左手で相手の脇腹へ、ブズリと金属片のような何かを突き刺す。ぴゅい! と噴き出した血が、石の床を汚していた。


「ちなみに彼女は成功例」

「彼女……ですか」

「言っとくけど、あげないからね。貴重な助手二号なんだ」


 動きで乱れたフードの下から顕わになった顔は、身長の近いオーガやトロルではなくヒューマン女性のものだ。それも、平凡な市井の女という相貌の。

 単にヒューマン顔というならば【天使】もそうだが……巨体に比し頭部の大きさは標準的な人間並みであり、ザカライアの知る【天使】とは異なってかなり歪な印象を与えていた。


「この後はどうしますか? アール様」


 助手が囚人を押さえつけたまま、アールへ問いかける。


「合図で処分して。さっきイワンが部屋の隅に新しい斧を置いてくれたからさ」

「ああ、あれですね。分かりました」


 若干以上の驚きをもって、巨人助手と室長のやりとりを聞くザカライア。

 彼が以前使役した【天使】らのように曖昧なものではない。これはしっかりした疎通、ヒトとヒトの会話であった。目線そして顔の動きからも、知性と理性の存在が窺える。


「アンジーでも、これほどには……」

「ほらほらザカライアン、始まったよ! ちゃんと見たまえ」


 動揺する伯爵の背中を叩き、室長が注意を促す。

 ここにきてザカライアは、囚人をがんじがらめに縛る鎖の意味を理解した。


 ……ばぐん、ばぐん、ばぐん!


 激しく震え暴れる、囚人の肉体。いや痙攣だけではない。その全身が異様に膨張し、肉が盛り上がっていくではないか。背も不自然に隆起し、何かが突き破って現れんばかりである。


「なっ……!?」


 ザカライアが呼吸を忘れているわずかな間に、囚人の五体はヒューマンの枠組みを外れ何か別のものへと変わりつつあった。


「あー不適合だねこりゃ、精神が保たなかったか。やっぱ罪人はダメだなー、気合いが足りないというか、なんというか」


 アール=タンクが溜め息を吐く。囚人の身体はまだまだ変貌途中だが、どうも早々に見切ったらしい。

 そしてそれはつまり、早々に見切れるほど回数を重ねてきたことを意味するのか。


「おーい、もう首刎ねちゃって」

「分かりました」


 巨人助手が、いつの間にか手にしていた大きな斧で実験体の首を切り落とす。しかも片手でハタキを振るように、だ。膂力は明らかに、ヒューマンのそれではない。

 そして彼女は死体の胸部へ指を差し入れると、先程自身が打ち込んだ人間の指ほどある金属鋲を抜き取ったのだ。今更説明を受けずとも、それが【聖鋲】であることはザカライアにも察せられる。


「さて。一発で分かっただろうザカライアン? これが上手くいくと、助手みたいになるわけだ」

「……は、はい」


 そもそもザカライアとて、【天使】のような怪物を聖人教団から仕入れ用いた男なのだ。そこで実物を見せつけられれば、怪異にも頷くしかあるまい。


「それにしても、これほどの代物をどこから……」

「私は貴公以上に、聖人教団にツテがあるからな」


 宰相のムーフィールド公爵領は、聖人教団の高僧へ多額の金を貸し付けているという噂がある。教団の高位聖職者が、権力争いや私欲を満たすために用いる金を。


「だから教団が死蔵していたこれ……もっとも研究もせぬ彼らにとってはただの鋲でしかなかったが……を提供させ、タンク室長の研究欲を一つ満たすこともできた訳だ」

「ボクは全然満ち足りないがね、【白黒】ン」

「やることは不足していないだろう」


 頬を膨らませる室長を、掌が制している。


「さて。今『試し打ち』させたものを含め、現在この四十四分室は二本の【聖鋲】を有している。その内一本を貴公に進呈しよう。これを今度の戦で、有効に用いるがいい」


 ようやく告げられた、招待理由。


「そ、それほどまでに稀少なものを、どうして吾が輩に」

「言っただろう。私は貴公に期待しているのだ」


 光の無い瞳が、じっと見据えてくる。

 こう言われてしまえば、ザカライアの立場でそれ以上は聞けぬ。代わりに彼は、フケ頭を掻く女へ問いかけていた。


「ところで室長。上手くいかなかった場合、刺された者はどうなるのですか?」

「え、普通に死ぬけど?」


 さらりとした答え。そこへ、宰相が言い添える。


「心身が耐えられなかった不適合素体は、融合前に死亡する。融合前なら【聖鋲】は死体から回収すれば良いだけだが、素体はどうもならん。だからこれを投与する相手は、十分に選ぶ必要がある」


 当然だろう。安易に貴族や騎士などを用いれば、家中の動揺は避けられまい。失敗しても、成功したとしても。

 かといって罪人や無頼に使っても、それが大人しく従ってくれるはずもないのだ。


「んー、ボク個人の意見としては、小さい子供のいる母親とかがお勧めだね。武芸とかそういうのの心得は期待できないけどさ、ああいうのは芯が強いんだよ。気概があるっていうのかな? おまけにその後、言うことも聞いてもらいやすい」


 室長がしみじみと発する、やたらと具体的で実感のこもる言葉。


「アール様、【聖鋲】です」

「おっといけない」


 彼女は格子越しにフードの巨人から【聖鋲】を受け取ると……子供に飴玉を渡すような微笑みを浮かべつつ、ザカライアの掌にそれを置く。


「ま、後の素体選びはキミのやることだ。グリンウォリック領の主ともなれば、命を投げ出してくれる、信頼しうる人材はいくらも見繕えるか、作り出せるだろう? 覚悟の据わってるのが、さ」

「覚悟……ですか」


 びっしりと刻印の刻まれた鋲が、燭台の揺らめきを受けて七色に薄く輝いている。

 ザカライア=ベルギロスはそれを見つめつつ、誰に言うでもなく呟くのであった。


「……そうだ、覚悟なのだ……」

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