242:赤染めの橋
242:赤染めの橋
コボルド王国軍が長征し、グリンウォリック遠征軍を奇襲する。
ましてや敵領内に侵入した上で攻撃を行うなどと、当時予測した者はいない。昨年の第三次コボルド王国防衛戦で森外の本陣を焼かれ、今度の遠征ではその反省を踏まえた作戦を用意していたグリンウォリック軍ですら、だ。
コボルド軍は【大森林】の中で待ち構えてこそ本領を発揮できるのであり、ましてや遠方の敵地で捕捉、包囲されれば殲滅の憂き目は免れない。それは既存の情報に照らし合わせれば当然の認識であり、コボルド側当人にとっても同じくする評価だろう。
しかしだからこそ今回その先入観が、ガイウスとサーシャリアに作戦を決断させる材料となったのである。
人界侵攻ととられる対外印象上の懸念もあるが、そもそもグリンウォリックとコボルド王国は昨年より交戦状態のまま休戦協定すら結んでいない。捕虜返還云々は、あくまでケイリー=ジガンの仲裁によるものであったのだから。
ならば再遠征を公言する敵軍に一撃を加えるのは、自衛の範疇と言い訳も立つのだろう。もっとも相手の都合でそれが否定されるのも、世の常だが。
ロウ……アア……イイ……
「続けて撃て」
バ、ババシュウ!
正面【動く壁】群を従えるコボルド王の号令に合わせ、第二斉射がグリンウォリック先頭部隊へ叩き付けられる。縦深陣へ引き込んでからの包囲射撃は射線上に味方を置くため同士討ちの危険も孕むが、橋からしばらく街道は盛り土のため問題ない。
奇襲射撃に好条件の地形と言えよう。だが当然、これも選んだ上でのこと。
ガイウスはかつてイグリス国王直属の騎士団団長を務めていた男である。それは地方領と連携すると同時に、背かれた時は討つ立場なのだ。勿論各地の要衝は把握しているし、王族の地方巡覧に同行すれば戦場の下見をしておくのが常であった。
加えて彼はこのアルドウッズ橋を少年時代から幾度か通っており、事前にダークを送り込んで確認もさせている。
「ぐばっ」
「嘘だろこんなところでええ!?」
今回の作戦にコボルド王国軍が投じた戦闘人員は二百六十二名。そのほとんどが配されたこの射撃は相手先頭集団を文字通り薙ぎ倒し、生き残った者の戦意と秩序をも一息に粉砕した。
「この状態では駄目だ、下がれ、早く下がれーっ!」
騎士らの指示を待つまでもなく、雪崩を打ってアルドウッズ橋へ逃げゆくグリンウォリック兵。
そしてその隙間を埋めるように、コボルド側は【動く壁】を前進させ、半包囲陣を狭めていく。現地材料の即席物だが、性能的な問題は無い。散発的な相手の応射は、ことごとく丸太の壁に受け止められていた。
「おい馬鹿邪魔だ、下がれ! 下がれって!」
「状況が見えないのか!」
だがグリンウォリック先頭集団の後退は当然、橋で堰き止められることになる。
「分かってる! でもこっちも後ろが詰まってンだ!」
「押すなって! 落ちるだろ! 俺は泳げねえんだよ!」
渡りきったところで隊伍を直していた部隊も幾つかあったため、奇襲射撃に晒された兵は二百近い。それらの生き残りが一度に殺到したのだから、進み続ける後続と狭い橋の上でぶつかるのは当然だろう。
衝突現場である橋の上は、過密の上で混沌となった。哀れにも押し出された者がボトリ、ボトリと川へ転落し流されていく。そしてその間も集団の背は、【マジック・ミサイル】の嵐に晒され続けているのだ。
しかし混乱の極みにある前半集団と違い、まだ橋に差し掛からぬ後列の対応は早かった。
「敵襲!? 有り得ん」
「馬鹿、そんなことはどうでもいい!」
「止まれッ! 止まれー! 下がって、前の奴らが退く余地を作るのだ!」
後列騎士らはすぐに前進を止めさせると、兵へ逆進を命じたのだ。流石はグリンウォリックの正規軍。前回の戦いで揉まれた騎士らがたまたま後方に多かったのも、その一助となったのか。
列が、ゆっくりと下がり始めた瞬間。
……ぴゅーーーーいっ。
懸命に事態打開を図る彼らを嘲笑うかのように、喧噪の中に高く響く音。
それがこの場に不釣り合いな呼子笛だと幾人かが気付いた時には、局面は既に次へと移っていた。
『今だ、マーニャ!』
『頼むぞ、ミネア!』
『着火するぞー! 巻き込まれるな!』
ばきばきばきばき!
謎の掛け声と共に、町寄りの橋桁が二カ所崩落する。ある橋脚に繋がる木製部材が、突如破断したのだ。
「「「うわぁぁぁぁ!?」」」
上にいたある者は滑るように、転がるように落ちていく。その様子はさながら、孤立した橋脚を挟み対面する二つの滑り台であった。
なれど当事者はそんな穏やかな状況にない。行軍中の彼らは背嚢や荷を負ったままであり、到底満足に泳げる状態とは言えぬ。
「ごぼっ」
「溺れ……」
周囲はその叫びと惨状に気を取られており、川へ飛び込んだ水練達者の妖精犬たちと、それを不自然に追っていく木材に気付いた者は少ない。
妖精犬は橋の構造材に細工をした上で木(ウッド)ゴーレム改造を施し、合図で周辺部材を破砕しつつ川へ逃げたのだ。町の検査で発覚しなかったのは、変装を重ねて潜伏していたダークが作業時機を吟味したためである。
「まだ欄干や橋桁に捕まってる奴らがいるぞ!」
「縄だ! 縄を持ってきて助けてやれ」
ぶすぶす……ぼっ。
救助活動を始めるグリンウォリック軍後列の眼前で、孤立橋脚の上に残っていた木造部が燻り、そして炎を上げ始めた。コボルド側の仕掛けた【ゴブリン火】だ。
分断された橋脚を今更燃やす意味を理解できず、多くの者は怪訝な表情を浮かべていたが……滑落者へ縄を投げ始めたあたりで、彼らはようやく妖精犬の目論見に気付く。
「これじゃああっちに縄を投げて繋いでも、途中が焼き切れちまう!」
「助けに行くことも、逃がしてやることもできねえぞ!?」
つまり分断されたグリンウォリック軍先頭集団と橋上の将兵およそ四百名は、完全に後方約六百名と遮断されてしまったのだ。
◆
「あの姉ちゃん、どこ行っちまったんだよ……」
街道の兵たちからは離れた土手の上。野次馬町人でごった返すそこでキョロキョロ見回しているのは、先程まで白服の淑女を口説いていた若者だ。
二人揃って川まで騒動を観に来たはいい。しかししばらくして彼女は突然呼子笛を吹いた後、姿を消してしまったのである。
「姉ちゃんよー、どこだーい」
「おい見てみろよ、相手が橋まで取り付いてきてるぞ!」
戦場を注視していた野次馬が、指さし叫ぶ。
若者も釣られてそちらを向けば、その通り。グリンウォリック軍の敵手は、既に橋まで乗り込んでいるではないか。
「壁が動いてる……」
グリンウォリック将兵の死体……あるいは負傷者か……を踏みしだき、ゴーレム馬を動力にした【動く壁】が魔杖射撃を浴びせつつ前進していく。追い詰められたグリンウォリック前半集団は、腸詰め肉を輪切りにするが如く前から削られるばかり。
味方の骸を土塁として反撃を試みる猛者も見られたが、魔弾を撒き散らしながら防壁ごと迫り来る相手に、一体どれほどの抵抗になったのか。
凄惨なその様子が遠目で詳細に分からなかったのは、野次馬らにとって間違いなく幸運だったであろう。
「なあ、船を出して兵隊さん拾い上げてやったほうがいいんじゃねえか」
「無茶言うな、こないだの雨で増水してんだぞ。それに流されちまう方がずっと早い」
「畜生、何で橋がこんな時に落ちるんだ? 手抜き工事かよ」
「どう考えても、御領主様の敵が落としたんじゃろ。第一でなきゃ、あんなとこが燃える訳なかろうて」
「敵……すると従兄弟のベルダラス卿が、先手を打ってノースプレインの端っこから出張ってきた訳か。どんだけ戦が好きなんだよ、わざわざこんなトコまで」
「でもさ、変な崩し方してるわよね? 橋を焼くにしても、両脇落としたんじゃあちっとも燃え広がらないわ。無駄手間よ」
「まあおかげで俺らは二カ所橋桁を架け直すだけで済むだろうけど……確かに妙だな」
「ベルダラス卿が俺たちに遠慮して、橋全部焼け落ちないように工夫したとか?」
「ばーか。【イグリスの黒薔薇】って言えば、泣く子も黙る鬼畜の悪鬼だぞ?」
「ハッ。もしそうでも迷惑なのは変わりないわ。お貴族様の争いに、アタイらを巻き込まないで欲しいわね」
「まったくじゃよ」
騒ぎ立てる、アルドウッズの町人たち。
だが領主のものらしき黒塗り馬車が、兵を押し分けつつ橋のたもとまで来たのが見えると……流石に気まずく思ったのだろう。揃えたように目を逸らしたり咳払いで誤魔化した後、面倒を避け帰り始めた。
だがそんな中、結局淑女を見失ってしまったままの若者がぼんやり馬車を眺めている。何やら、領主の馬車上も揉めている様子だからだ。
「アンジー、車をこんな前に出すんじゃない! 不測の事態に備え、お館様には安全な場所で待機いただくのだ!」
御者台に座る半仮面女へ詰め寄るのは、領主側近と思しき貴族騎士。どうやら権限もかなり与えられているらしく、彼が今はこの現場を動かしているらしい。
ただ言われた方の彼女はぼんやりした表情で首を振ると、降りて馬車の横に取り付けられた何本もの馬上槍を外し始めた。
「おいアンジー、お前が止めんでどうする!」
「オヤビンが、今がその時だって」
「何だと? まさかっ!? ……お館様それは、それは危のうございます! 危のうございます! 何よりここでは、領内では! せ、せめて領民の前ではお止め下さい!」
貴族騎士は慌てた様子でカーテンの閉まった窓に取り付き、馬車の中へ訴えている。いや違う。これは、彼が必死に戸を押さえ込んでいるのか。
だが力が全く足りなかったのだろう。あまりにも勢いよく開いた戸に押し退けられ、彼は宙に身を泳がせた。
「えっ……?」
そしてその様子をぼんやり眺めていた町の若者は、息を呑むこととなる。
頭から落ちそうになった側近の足を、仮面女が機敏に掴んで助けたからではない。
馬車の中から現れた、「それ」に対してである。
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