241:アルドウッズ橋

241:アルドウッズ橋


 コボルド村に面するノースプレイン旧侯爵領はイグリス王国中央北部だが、ザカライア=ベルギロスの治めるグリンウォリック伯爵領はその東隣、つまり王国の北東部にあたる。

 緑(グリーン)と名に冠するように、グリンウォリックは山と森、そして【大森林】を源流とする多数の川に恵まれた土地だ。

 そのため大昔からグリンウォリックの人々は危険な【大森林】に依ることなく、良質の木材を安定して他領へ輸出し続けてきたのである。今日でも昔気質の大工や職人には、グリンウォリックの木しか用いぬという者も珍しくない。

 グリンウォリック領の西側……旧ノースプレイン侯爵領寄りを流れるこのアルド川も、長年木材流送を担い続けたそのうちの一つである。

 そしてその流域にある町の一つが、安直な由来でアルドウッズと呼ばれていた。


「おやお姉さん、旅の人かね」


 アルドウッズの町中央を、橋に向け貫く街道。

 そこを進むグリンウォリック軍の列を町の人々と眺めていた淑女が、声に気付いて振り返る。


「ええ、東のナボナから参りましたの」


 白い帽子と長スカートが印象的なその女性は、ワイン色の長髪を揺らしながら答える。

 たおやかながらもどこか艶めかしい彼女の笑み。見る者が見ればそれは、実に巧みな化粧と計算された仕草が成すあざとさと察するだろうが……声を掛けた素朴な青年はそれには気付かず、彼女の雰囲気に一瞬酔いと呼吸を忘れた様子であった。


「……お、おう、そうか。領内だよな? ちょっと何処か分からなくて、すまんな」

「ふふ、お気になさらず。聖人教圏との国境近くにある、小さな小さな町ですので」


 白手袋の指を口元に寄せながら、くすりと彼女は笑う。


「ノースプレインに住んでいる伯母へ会いに行くのですが、少し間が悪かったみたいですね」

「御領主様の遠征軍が丁度今日、通るもんでよ。しばらくは街道にも橋にも近付かない方がいいぜ」


 青年が行列の先頭方向を指す。

 近日の雨で濁りを増したアルド川に架かるのは、町と対岸を繋ぐアルドウッズ橋だ。

 全長九十間(約百六十三メートル)にも及ぶ連続桁橋だが、総石造りのアーチ橋ではなく、石積み橋脚の木製橋であるあたりがいかにも現地事情らしい。川中央近くでトラス構造が組み合わされ支間が広めに確保されているのは、筏流しへの配慮か土台の問題なのだろう。


「作られてから、二百年は経つのでしたか?」

「いやいや、木でできてるからな。最初に架かったのが二百年前ってだけで、十回前後は架け直してるよ。橋脚が切り石積みになったのも、途中からって話だ。大昔は屋根付きだったそうだが、そのうち直すのが面倒になって、今じゃ欄干だけの地味な姿さ」


 地元民らしい親しみ混じりの皮肉で、ペラペラと語る。


「俺が七歳の頃までは、町近くの川中にレンガの塔が建ってたんだがね。大水で崩れかけたもんで、取り壊しちまったのさ。あれが残っていれば、多少は趣あったかも知れねえな」

「残念、登って川を眺めて見たかったですわ」

「そんないい物でもなかったよ、元々は牢屋に使われてたような陰気臭いオンボロでさ」

「監獄でしたの? まあ、怖い」


 そうは言いつつも、楽しげな様子だ。

 感触良しとばかりに、張り切る男。


「姉さん見なよ、御領主様の馬車だぜ、きっとあれ」

「あら綺麗なお車ですこと。これから戦に赴かれるとは、思えませんわね」


 隊列の後方には、彼女が評するように黒塗りの壮麗な四頭立て馬車が見えていた。


「いやあ、あんなでも今度の雪辱戦は相当気合い入れてるみたいだぜ? 噂じゃ兵士だけで二千人にのぼるとか」

「それはまたすごいですね! 昨年の遠征は五、六百人というお話でしたもの」


 情報通ぶれた男が、得意げに鼻を擦る。

 ただ実際のところ、グリンウォリック軍としては各地から全兵揃うまで待つのは難しかったのだろう。この行列は、約千名で構成された先発隊だ。


「だから今回は領都周辺だけじゃなくて、領内各地から兵を集めてるそうだ。ここアルドウッズからも、守備兵が結構引っこ抜かれてるな。あとは猟師お雇いの御触れに乗って、ここいらからも数名行ってるはずさ。まだ連中見ないが、列の後ろの方なのかな」

「あら、猟師さんを兵隊に?」

「ん? 何だ、姉さんの村には御触れ回ってこなかったのか? 犬を連れてる猟師だけ、結構なお手当で遠征同行の募集がかかってたんだぜ。後方の警備だけで戦いには加わらなくていいってオイシイ話だからさ、俺のダチのジミーなんかその辺の野良犬捕まえて応募しようとして、こっぴどく代官に怒られてたよ」

「……なるほど猟犬に警戒させれば、最低限の人員で後方への斥候潜入を阻止できる……対策は立てられていく一方でありますな……」


 表情を変えぬまま、口内で呟く淑女。しかし行列の足音と群衆のざわめきもあり、それが誰かの耳に届くことは無い。


「ま! しばらく街道は貸し切りだし、面倒を嫌って駅馬車も今日は出やしねえ。ど、どうだい姉さん。行列を見送ったら、酒場で一杯……どうかな?」

「あらあら、どうしましょう」


 諸々の世間話という牽制を経て本命に切り込んだ男に、淑女が照れるような仕草を見せた瞬間である。

 列の先、橋の方角……いや、そのさらに向こうが騒がしくなったのは。



 アルドウッズは橋の保守を担う町でもあるが、対岸は不便なせいか誰も住んでいない。建っているのもせいぜい資材置き場と、今はもうほとんど使われぬ船着き場の小屋くらいか。後は両脇を囲む、利用価値も無い雑木林だ。

 そのため初めてここを渡った者たちは、古き趣のあるアルドウッズ町内から打って変わった光景に侘しさを感じつつ、橋からしばらくは盛り土道の上をとぼとぼ歩いていくこととなる。


「あーあ。折角町があったのに素通りかぁ」

「ハ! お前みたいなガラの悪い奴に、良からぬことをさせねえためだろ?」

「そう言えば行列見てる町の奴らの中に、えらく助平な体つきの女がいなかったか?」

「おおーいたいた! 白い服と帽子の奴だろ?」

「いいよなあ、ああいうでっぷりとした乳と尻はよぉ」

「「「がはははは」」」


 住民の目が無くなったことも手伝ったのだろう。一部の兵が下卑た軽口を叩きつつ、街道を進んでいく姿も見られる。

 行軍なのにまるで近所の散策という調子だが、無理もあるまい。実際ここはまだグリンウォリック伯爵領内という言わば庭先であり、途中経路たる旧ノースプレイン領にすら入っていないのだから。

 それを踏まえれば、彼らの散歩気分も至極当然ともいえる。最初から兵の神経を磨り減らす必要も無いため、隊長たちも目くじらを立てはしない。

 まあ、強いて気を付けるべきは領主ザカライアの目であろう。だが冬からずっと姿を見せぬ伯爵は、カーテンで窓を塞いだ馬車に閉じこもったまま列の後方にいる。そのため兵の間では「伯爵は実は出陣しておらず、領都に残っている」と噂されるほどであった。

 道中の気も緩みも止むなし、というものか。


 ……ざざざざ、どすぅん。


 だから今回コボルド村へ向かうのが初めての楽観的な部隊も、昨年あの森で死線を潜り抜けた浮かぬ顔の将兵も……丘から滑り降りた数枚の丸太壁が行く手に立ち塞がった時、それが敵襲だとはまだ認識できなかったのである。


「何だ、流送の筏流しか?」

「筏組んでから運ばねえよ。川でやるだろ、川で」


 ぶわりっ。


 丸太壁の裏側から、突如上がる旗。いや正面だけではない。周囲の雑木林の中にも、それはいくつも翻っているではないか。

 そしてその生地に描かれた肉球文様が、ようやくグリンウォリック将兵に相手の正体とその意図を理解させたのだった。


「何だあれ……?」

「敵襲ーッ! 敵襲だーッ!」


 ロウ……アア……イイ……


 前、右、左。三方から響く【マジック・ミサイル】の詠唱音。

 それが行列先頭集団を縦深包囲した敵から叩き付けられる、第一射となることは疑いないだろう。


「お、応戦! 応戦用意!」


 貴族騎士が馬上から指示を飛ばすが、戦闘を想定せぬ旅次行軍中の兵に対応できるはずもない。


 ババ、バ、バシュウ!


 背嚢を捨て魔杖を構える暇も無く、彼らは魔素の嵐に晒されることとなる。


「各個に応射し……ぐふぅ!?」

「う、うわああああ!」


 これが後世に「アルドウッズ橋の奇襲」、または「アルド川の赤橋塗り」とも呼ばれることになる戦闘の始まりであった。

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