155:第三次コボルド王国防衛戦

155:第三次コボルド王国防衛戦


「これより先はコボルド族の領域。無断の進入を禁ず」


 文言に肉球の判が添えられた、素朴な立て札。

 蹴り倒されたその脇を抜け枯れ川へ進入していくのは、ザカライア軍近衛に第一から第三部隊まで、計二百名ほどの集団である。物資を積んだ馬車と作業者の群れも、ぞろぞろとその後を追いかけていく。


「総掛かりで突入するんじゃ、ないんですね」

「あれでも多いさ。枯れ川じゃあ、どうせ大人数を展開できないからな」


【大森林】へ続く数百の横顔を眺めつつ、肥満上司はヘティーの問いに応じた。

 両名は配置を外されたための見送りだ。おかっぱ娘は大喜びだが、ピックルズは渋面である。


「じゃああれは、やり過ぎってことです?」

「いや、今回はそういうわけでもねえ。あの兵力で周辺の森を制圧して、その間に陣地を作らせるのさ。それを枯れ川沿いに何度か繰り返して、森の奥へ進むための足がかりにするんだとよ」

「へえー。強引にここまで来たくせに、いざとなると随分ゆっくりなんですね、伯爵は」

「まあ実際、橋頭堡も無しに敵地で押し負けたら悲惨だからな。補充補給に負傷者の後送、連絡や退路の確保。特に退路の有る無しで兵隊の心理は全然違うしよ。お前だって嫌だろ? 【大森林】の中であてもなく逃げ回るなんざ」


 うええ、とヘティーは呻いた。


「これまでの連中は短期決戦だったから、時間的な余裕も無えし一度崩されると立て直しがきかなかった。だからボンボンは相手の出方で対策を講じられるように、場合によっては後退して再編する余裕を確保することにしたのさ」

「結構、慎重なんですね」

「それだけ本気ってことなんだろ。まったく、昼行灯なんか気にせず放っておきゃいいんだ。あんな糞漏らしに領主なんか務まらねえのは、分かる奴にはちゃんと分かるんだからよ」


 舌打ち。


「糞漏らしって、まさかあのおっかないベルダラス卿のことですか!?」

「おう。アイツとは初陣が一緒だったんだが、騎兵の突撃受けた時に糞を漏らしやがってな、ブハハハハ」

「おやっさんは?」

「俺はちゃんと替えの下着を持っていたから、差し引き零よ。あ、グリンウォリック伯!」


 異議を申し立てる部下を押しのけた【跳ね豚】は、行列の中を進む白馬の大貴族に声をかけた。


「何だね、軍事顧問殿」


 疎ましげな表情で、それを受けるザカライア。


「私も連れてっちゃくれませんかね? 確かにお父上の差配で呼ばれた身ですが、仕事もせずに帰ると流石に立つ瀬がないんですよ、へへへ」

「ならぬ。これは吾が輩の戦いだ。計画書と報告は渡しているだろう? それで最終的に口裏を合わせれば良い。豚殿の悪いようには、決してせぬ。安心されよ」

「ですがねえ」

「……ザカライア様」


 やり取りを遮ったのは、鉛色の髪を垂らした艶めかしい青年だ。

 彼はザカライアに馬を寄せると、耳元へ吐息をかけるように語り始めた。


「軍事顧問殿は……ベルダラスと騎士学校にて同窓であったと聞き及んでおります……もしやとは……思いまするが、手心を加えるおつもり……やも」

「何、それは誠かアッシュ」

「……はい」


 伯爵の目に、暗い熱が籠もる。


「ああいや確かにアイツは同級生ですけどね、別に仲良くは……」

「【跳ね豚】殿の助力が必要ならば改めてお頼みしよう。待機も重要な役目であるというのは、武人ならば分かるだろう」

「ですが」

「くどい。まったく、どいつもこいつもベルダラスベルダラスと」


 吐き捨て、列の流れに戻っていくザカライア。鉛髪の従者が、彼をぼそぼそと讃えつつそれを追う。


「……まったく。頼むから、無茶しなさんなよ」


 豚子爵と若い部下は、森に飲まれていくその後ろ姿を見送るしかなかったのである。



 騎士二十名を含む五百三十二名の遠征軍戦闘員は概ね四、五十名規模で分けられおり、近衛と第一から第十までの部隊、合計十一隊に編成されていた。

 魔杖兵二百に魔術兵百という地方領正規軍らしい充実した……彼らは知らぬがコボルド側の四倍以上となる……火力はそれぞれに割り振られ、単独で様々な局面への対応しうる部隊構成をとっている。

 ザカライアはこの中から近衛と三部隊を陣地設営の護衛とし、枯れ川に進入したのだ。


 奇襲を警戒し慎重に前進し、四日かけて彼らは川沿いの森中に二箇所の陣地を構築する。

 急造ではあるが、それらはあまりにも豊富な現地資源を用いた防盾装置(マントレット)や柵、要所には丸太の胸壁までもが設けられており、休息中の兵を奇襲から守るに十分な機能を備えた代物であった。

 ザカライアはそれぞれの防御と整備に野営地から一部隊ずつ呼び寄せ、並行して前線に必要な補給物資を輸送させていく。

 これにより彼らは連絡と退路を確保した上で、さらに奥を攻略する力を得ることとなる。


 ……だがこの間、コボルド側からは一切攻撃が無い。

 ギルドが破れた経緯を冒険者から比較的詳細に聴取していたザカライア軍は、奇襲と森への誘引、そして枯れ川放水を警戒していたが……兵たちは獣人の姿を見ることすらなかったのだ。

 結局四日の間に彼らを脅かしたのは、陣地設営で縄張りを荒らされ怒り狂った木喰い蜥蜴と、血の臭いに釣られた蟲熊だけであった。なお一連の駆除にあたり一名が死亡、二名は重傷で後送されている。


「もしや、緩慢に軍を進めている間に獣人とベルダラスは村を捨て逃げてしまったのではないか?」


 当然の可能性であるそれを、兵や騎士らが疑い始めた五日目のことだ。先頭を進む第一部隊は、ついに敵との遭遇を果たす。

 第三陣地を作る予定区域にて枯れ川回廊を塞ぐ丸太の防壁。それを盾にザカライア軍を待ち構える、コボルド軍の防衛部隊である。

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