154:森へ

154:森へ


「やっぱり、この展開は避けられないのか」


 ケイリー派の本拠地フォートスタンド。

 兵、騎士の馬、輜重、商人の馬車。都市から流れ出ていく人馬の列を見張り塔から眺めつつ、ショーン=ランサーが口惜しげに呟く。


 予定より大きく遅れてフォートスタンドへ戻ったザカライア軍は、休息を終えると負傷兵を療養に残し、本来の目的であるベルダラス討伐へと出発したのである。彼らが先の「演習」で【大森林】の戦いに嫌気が差すのでは、というランサーの儚い望みは虚しく潰えていた。


「いやー。他所の軍隊とはいえ、やはり出陣光景は壮観ですね」


 冴えない貴族の心痛を他所に、塔常駐の若年兵が心躍る様子で感想を述べる。

 ランサーは「そうだね」と気のない返事をすると、再び列へと視線を戻した。


 やはり、大軍である。

 ゴブリン村において想定以上の損害を出したというが、それでも戦闘人員だけで未だ五百三十二名も有する大所帯なのだ。

 伴う馬車の数も、当然多い。あれらに加えてさらに物資が野営地に搬入されるというのだから、かなりの金が費やされているはずだろう。


「今のノースプレインであれだけの兵糧を集められるんだから、グリンウォリックのベルギロス家ってお金持ちなんですねー」

「ジガン家だって、すごいお金持ちだよ」

「ならケイリー様も、俺たちのお給金もっと上げてくれればいいのに」

「正論だなあ」


 だが。

 いっそジガン家に余裕がまるでなければ、このような内戦にも発展しなかったのではないか?

 ふとそんな考えが頭をよぎり、ランサーの顔を暗くさせる。


「あれだけの戦力があれば、獣人集落も陥落間違いなしですね。ランサー卿も良かったじゃあないですか、仇を討ってもらえますよ!」

「ああ、そうだね」


 森で妖精犬と戦う恐ろしさをその身で思い知らされたランサーとはいえ、コボルド側の勝利を想像するのは難しい光景である。中身もグリンウォリック正規軍というだけあり、魔術・魔杖兵を増やし近代化を進めつつある軍隊だ。


「……ご武運を」


 目を細めながら、ランサーが口にする。

 その真意を知らぬ若者は、「ですね!」と隣で人懐っこい笑顔を浮かべ頷いていた。



「ねえおやっさん。外歩かないんですか、春風が気持ちよさそうですよ」

「デブに行進はきついんだよ。膝とか腰とか色々とな」

「だったら、馬に乗ればいいのに」

「俺を背に負う馬の気持ちも考えてやれよ」

「確かに」

「だろ? 俺は優しい男なんだよ」


 行列、幌馬車の中にて。

 鼻毛を毟る【跳ね豚】ジョン=ピックルズと、銀のおかっぱ髪を揺らすヘティーが会話を交えていた。


「あんまり顔を合わせたくない奴がいるからよ、こうやって荷物の陰に引きこもってるのさ」

「グリンウォリック伯?」

「違う。ケイリーんトコから案内人が数名来てるだろ? それだよ」

「おやっさん、ケイリー様苦手なんですか? 一昨日の晩、会いに行ってたくせに」

「お前、つけてたのか?」

「だって叔母さんから、おやっさんが浮気しないよう見張れって言われてるんですもの」

「フフン、カミさんは俺にベタ惚れだからな」

「いや、うちの豚が他所さんに迷惑をかけたらお天道様に顔向けできないって……あ、泣いてるんですか」

「これは鼻毛を抜いたからだ、畜生」


 指に付いた鼻糞を幌の隙間から車外に落とし、【跳ね豚】は涙目でフゴッ、と小さく鳴く。


「……何でもねえよ。大人の話をしてきただけだ」

「なるほど不倫、と」

「おいよせ無実の罪を備忘録に書くな! お前が戦死して遺品になったら、無闇な信憑性が出てきちまうだろ!? 大体大貴族の女当主様が、俺みたいなデブの中年と好き好んで逢い引きするかよ」

「それもそうですね」

「そうですねじゃねえよ」


 渋面を見せる肥満上司。


「なら一体、何の話をしてたんですか」

「この戦いが終わったら教えてやる。あと、俺がケイリーと会ってたコト、それまで誰にも言うんじゃねえぞ」


 事実究明のため叔母さんに拷問してもらうべき、と手帳に書き込みつつヘティーは「はーい」と気のない答えを返す。


「あとな、ケイリーんトコの案内人に、金髪の男がいただろ」

「あー、すっごく顔のいい人いましたね。トムキャット氏でしたっけ」

「そうだ。へティー、色男だからって、あれに近付くんじゃねえぞ」

「えー、貞操なら大丈夫ですよ。確かにあの人メチャクチャ美形でしたけど。そもそも私、十三歳超えた男性に魅力を感じないんで」

「そうじゃねえし、予想以上に深刻な性癖をぶちまけるんじゃねえよ」


 ぶひぃー、という溜息。


「……俺はあのグランツ野郎から恨みを買っててな。部下のお前だって何かされるかも知れねえだろ? そうなったら、カミさんに会わせる顔がねえ」

「恨みってー。おやっさん、一体何やらかしたんですか」


 おかっぱ娘の問い。上司は数秒逡巡した後、苦々しく口を開きそれに答えた。


「五年戦争ン時、俺はあいつの弟を一人殺してるんだよ」



 ザカライア軍はライボローを経由し、予定より一日遅れで目的地へと到着した。

 それは事前に冒険者より入手していた周辺地理から目をつけていた場所。枯れ川入り口より約一里ほど南の森中にある泉、その近くだ。

 彼らは水源を確保して野営地を設営すると、近隣商人に手配していた食料物資を続々と搬入させ、【大森林】攻略の足がかりを確保したのである。これは、過去の討伐隊が敗れたのは短期決戦を強いられたためと分析したザカライアが、多額の資金を投じることで強引に実現させた。


 こうして物資の集積を進め、兵の休息も終えた頃合いに。

 コボルドたちが第三次王国防衛戦と呼ぶことになる戦いは、静かに、粛々と始まったのである。

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