156:犬のお籠もりさん

156:犬のお籠もりさん


 第一部隊の隊長は、コボルドの防御壁を視認すると全隊に停止を命じた。足並みを揃えるように隊列が止まり、同時に隊長の命を受けた伝令兵が後続へ向け走っていく。戦闘人員全てが職業戦士(マンアットアームズ)であることによる、統制の取れた挙動だ。


「隊長、ついに出ましたね」


 駆け寄ってくる、副隊長の年若い騎士。

 近代化しつつある地方領正規軍であるため、身につけるは古風な全身鎧ではなく、前面に厚みを集中させた胸甲と兜のみ。騎士を示す装飾を除けば、一般的な魔杖・魔術兵とほぼ同じ装備である。


「見ろ。連中、壁向こうに籠もって我々を待ち構えるつもりらしい」


 視線の先には、おそらくヒューマンの胸程度の高さに作られた壁。十数名の原住民が、その上から魔杖を構えて意図を示していた。一端の防御陣地なつもりらしく、ご丁寧に肉球の旗まで掲げられているではないか。


「調子に乗った真似を」

「だが実際、防御陣地にいる相手と射撃戦なんか分が悪すぎる。取り付くにもこの枯れ川では、幅も狭いから散開できずに撃たれる一方だ」

「あんな防御設備を作っていたから、連中は川に水を流さなかったのですね。二本足の犬の分際で、小賢しい」


 聖人教かぶれの若騎士に溜め息をついた隊長は、左右の森へ視線を走らせる。


「となると、森に入って側面攻撃をかける必要があるが……」

「やってやりましょう!」

「落ち着け。後続と伯が追いついてからだ。それまで森からの攻撃を警戒しつつ、このまま敵魔術の射程範囲外で待機する」

「了解! 全隊ーッ、待機! お前とお前の班は、脇の森に入って索敵と警戒!」

「「はっ!」」


 部下らの勇ましいやり取りを聞きつつ、前方へ再び視線を向ける隊長。


「……ま、慌てる必要はない。どの道勝手に動くわけにはいかん。これは御当主さまの戦なんだから、な」



「奴らの目的は明白だ。枯れ川の狭さを利用して数的不利を補うつもりなのだろう」


 諸隊長を集めての緊急軍議。集まった指揮官らを前に、ザカライアは自身の分析を大声で述べた。周囲では工兵や歩兵が全力で第三陣地を設営中であり、ともすれば掛け声や斧を振るう音で会話が掻き消されかねない。


「奇襲狙いかと思いきや、こんな防御線を敷いてくるなんてね。獣のくせに……」


 第二部隊長である若い女騎士が、腕を組みながらこぼす。


「いやいや、相手は単なる犬ではありません。飼い主はあの【イグリスの黒薔薇】、ガイウス=ベルダラスでございますぞ?」


 痩身を揺らしつつそう諭す、眼鏡の第三部隊長。だが主君が不快げな表情を浮かべたことに気付くと、慌てて言葉を繋ぎ先言を誤魔化した。


「ま、まあ猪武者の四半トロルだけでなく、冒険者の噂によればコボルドどもには【欠け耳】と呼ばれる参謀がついていると聞きます。なんでも蛇のように蠢く赤髪を生やした醜いエルフの魔女だとか。かつて片耳を正義の騎士に切り落とされたため、ヒューマンを激しく憎んでいるそうですぞ」


 近衛と第一、第二隊の長が揃って「ほほう」と声を漏らす。

 彼らの興味を議論へと引き戻したのは、ザカライアの咳払いである。


「正面から一気に粉砕しますか」

「フム、その役は近衛隊にお任せあれ」

「駄目よ。マニオン卿の軍は両脇からの射撃で総崩れになったと聞くわ。ならばおそらく今回は正面と側面の三方向。やれないこともないけど、被害も馬鹿にならない。私は左右から迂回して壁の側面を突く方を推すわね」

「いやいや、森に入ることこそ敵の思う壺でございましょう! 冒険者らも森に引きずり込まれた結果、敗れておるのですぞ?」


 戦のない時代に訪れた、思いがけぬ武勲の機会だ。隊長らの議論は活発で、意欲的であった。遠征にあたりザカライアが前当主色の濃い老臣を外し、自身の影響下にある若手貴族だけを選別していたことも、その一因だろう。

 そして各々の意見が衝突し、停滞し始めたころ。主君は箱の上に置かれた即席地図から視線を上げ、騎士たちに告げたのである。


「私はその全てを実行する」

「全て……とおっしゃいますと、ザカライア様」


 首を傾げる第一部隊長。


「まず、近衛は正面から防壁へ取り付かせる」

「でもそれでは、三方から射撃を受けますわ」

「吾が輩もそう睨んでいる。だから同時に、他の部隊で左右の森を牽制させるのだ」


 ザカライアが地図に、その経路を書き込んでいく。

 枯れ川内を始点にコボルドの魔杖射程外から森に入ったペン先は、近衛に並行して木々の領域をツツツ、と走っていった。


「森の中を進んでくるのであれば、側面の敵は枯れ川への十字射撃を諦め対応せねばならない。しないならこちらは、そのまま壁の裏へ両翼から回り込むだけだ」


 防御線の裏側へ回り込んだ線に、矢印の頭が書き加えられる。


「西岸に当たる左翼に第一部隊、東岸の右翼には第二第三部隊をあてる」

「右翼に二つ、でございますか」

「もし川で戦場を分断した場合、犬の村に直結するのは西側である。当然、東よりも罠と防御が厚いと見るべきだろう。よって薄い方に戦力を偏らせ、突破力を高める。左翼はその分抵抗が大きいと予測されるので、牽制が主目的だ」


 二本に増やされた、東側の線。


「加えて近衛には、輜重を二台潰し即席の戦争馬車を用意する」


 戦争馬車(ウォーワゴン)とは文字通り、戦闘用の馬車だ。

 騎兵より昔に機動戦力を担った古代戦車(チャリオット)とは真逆の兵器で、重厚な構造材による防御力を利用した移動式の簡易陣地である。馬車砦(ワゴンフォート)という別名が、その機能と姿を端的に表しているだろう。


「なるほど、衝角の無い破城槌(ラム)みたいなものですな」

「そうだ近衛長。加工した車体で兵員を魔杖射撃から保護。底を抜き内部の人力で前進させ、防壁へ肉薄する。両翼部隊が側面を牽制しておけば、より容易く近付けるはずだ」


 皆の視線が、枯れ川を進む線をなぞる。

 確かにこの方法なら、相手の作った戦場優位を無為にしつつ、防衛線を突破できるだろう。ザカライア側は正面と右翼、いずれかが目標へ到達すればよいのだから。

 どちらも囮であり、本命でもある。


「そして防御線が突破されたなら、奴らは吾が輩たちの足を止めるために川へ水を流し込むだろう。壁を越えられたら、放水を躊躇する理由はないからな。だがその水が引いたときこそ、好機である」


 ……コボルド側に水計を使わせる。いや、使うよう追い込む。

 ザカライアによるコボルド村攻略計画の骨子が、それであった。


 溜め込んだ水を一度解き放てば、当分の間再使用はできない。そうなれば、枯れ川はただの道と化す。

 濁流を警戒し思うように動かせなかった大部隊も、一気に村まで攻め上げることが叶うだろう。ましてザカライア軍の橋頭堡は既に、回廊半ばに築かれている。

 水を流してこなければ、今までの手順を繰り返しさらに詰め寄るだけのことだ。


「水が流され始めた時点で、全隊は速やかに後退。この第三陣地で敵の攻勢を凌ぎ、水が引くのを待つ」


 今までの討伐軍は濁流によって乱され、分断され、打ち倒された。そもそも前提として、状況が落ち着くのを待つ時間的余裕が無かったのだろう。

 だがザカライア軍の状況は違う。彼らにとって一時の後退や停滞は織り込み済みであり、逆襲を凌ぐ橋頭堡もこのために築いてあるのだから。


「今日はこのままここで陣地を整え馬車を加工し、夜明けと共に行動を開始する。各隊周辺の警戒を続けつつ交代で休息し、明日に備えるように」

「「「はっ」」」


 敬礼にて応える隊長らを、真剣な面持ちで見回すザカライア。


「働きに期待しているぞ。吾が輩に、恥をかかせてくれるなよ」


 鉛色の髪を垂らした美貌の青年が、目を細めて愉快げにその姿を眺めていた。

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