99:ライボローのあの人

99:ライボローのあの人


 意気揚々とギルドオーダーで出撃した冒険者達は、無残な姿でライボローへと帰ってきた。

 ギルド長ワイアットも戦死し、ギルドは統制力を失って実質崩壊したに等しい。

 自然、口止めする者も無く。彼等が【大森林】の外縁で体験したことは、すぐに街中に知れ渡ったのだ。


 三百名を超す冒険者は、少数の野蛮な獣人に敗北した……と。


 撤退した者、怪我を負った者、逃げ出した者、虜から解放された者達が断片的に語ったもの。


 ……曰く、人を切り刻む凶人、蘇った五年戦争の悪夢、【イグリスの黒薔薇】。

 ……曰く、憤怒に燃える赤髪、獰猛な獣人を手足のように従えるエルフ、【欠け耳の悪魔】。

 ……曰く、罠を張り巡らし槍や斧で追い立てる、犬のような小さな獣人【コボルド】。


 その仔細はライボローの住民達に少なからぬ驚きをもたらしたが。

 中でもある一人の男の心身を、雷鳴のように揺さぶったのである。


(そうか、あの旦那が【イグリスの黒薔薇】だったのか! そして時々抱きかかえていた犬達が、【コボルド】って奴に違いねえ!)


 ロング・ソードを受け取りに来た女剣士からコボルドの話を聞かされた鍛冶親方は、深く息を吐いて目を閉じた。


「いやぁ、ウチはもう金輪際、【大森林】には近寄りたくないね。罠だらけの森の中であの野良犬共に斧や槍で追い掛け回されたら、誰だってそう思うはずさ。ウチは捕まった後謝り倒して逃がしてもらったから助かったけど、パーティまるごと壊滅した奴等だっている」


 目を閉じた彼の脳裏に、小柄な犬達が鋼鉄の斧や穂先の付いた槍を携え、冒険者へ襲いかかる姿が浮かぶ。


(ああ! ああ! 俺が、俺が作った槍が! 斧が! その戦いの趨勢を決めたのか! 犬っころ達の運命を変えたのか! 何てことだ、何てことだ!)


 ……あの穂先は子供用ではなかった。

 森の獣人達の未来を切り開くための刃だったのである。

 そのことに気付いた親方は。同じヒューマンへの同情よりも、自分が鍛え上げた武器が彼等に快挙を為させたことに心を震わせていたのだ。


 眉間を押さえて首を振る親方の様をしばらく気味悪げに見ていたが。女剣士はじきに、肩をすくめてから去っていった。

 彼女も、今回の件でライボロー冒険者ギルドを見限る者の一人なのだろう。


 客が帰った後も親方は、俯いたまま目を閉じて動かない。時々「ああ」と深く溜息をついては額を掌で叩いている。

 だがおそらく、この鍛冶場ではよくある光景なのか。弟子達は大して気にした風も無しに、作業を続けていた。


 そしてそのまま四半刻も経った頃。


「おい、ハンス」

「どうしたんで?」


 やっと顔を上げた親方から名を呼ばれた弟子が、薄い茶を飲みながら生返事で答える。


「ネルと祝言挙げろや」


 弟子が吹いた茶に顔面を直撃されたが、親方は動じない。


「お、俺がお嬢さんとですかい!?」

「オメーが一人前になってもまだここに残ってるのは、ウチの娘と懇ろだからってのはとっくに知ってんだよ」

「え、ええー!?」

「ホントはテメーが根性出して言い出すまで待ってやるつもりだったが、そうもいかなくなった。だからとっとと、祝言挙げてここを継げ」

「そ、そんな、いきなり」

「返事は?」

「は、はい! 宜しくお願い致します、お義父さん!」

「誰がお義父さんだボケ!」


 拳骨で一撃された弟子が、目を白黒させる。


「さて、それじゃあグズグズしていられねえな、今日はもう店仕舞いだ。オメーもオフクロさんトコへ走ってとっとと知らせてこい!」

「へ、へい」


 急かされ、慌てて鍛冶場の外へ出ようとするハンスであったが。

 ふと何事かに気付いた様子で。入り口で立ち止まると、くるりと振り返って親方に尋ねた。


「……でも、俺が後を継いだら、親方はどうするんですかい」

「ああ? 決まってンだろ。旅に出るんだよ。夢を追いかけにな」


 何が決まってるというのか、との言葉は飲み込み。ハンスは「はぁ」とまた気の抜けた返事で応じた。

 親方が訳の分からないことを言い出すのは、別段、今に始まったことではない。


「前に言っただろ、鍛冶屋は人斬り包丁作ってナンボだってな」

「割りとしょっちゅう言ってますよね」

「そんなに言ってねえ。月に十回くらいだ」

「はぁ。で、それがどうしたんで」

「決まってらあな」


 親方は槌を握りしめた右腕をぐっ、と突き出すと。

 高揚感で頬を歪めて、楽しげに言い放つのであった。


「最高の環境で、人斬り包丁を打ちに行くのよ」



 本来であればすぐにでも出発したい親方であったが。

 ハンスとネルの婚礼と、鍛冶場を引き継がせるための業務に追われ。出発までには結局、一ヶ月半近くもの時間を要してしまった。


「うっし、これとこれは積んだ。あれも大丈夫」

「旅先で店を開くんですかい? お義父さん」

「誰がお義父さんだタコ!」


 ぽかり。

 ガツン!


 前者は親方発ハンス行の拳骨で。

 後者はネル発親方行の鉄拳である。


「おごごごご」

「もう! いい加減にしてよ、お父ちゃん! 事ある毎にハンスの頭をポカリポカリって! もうハンスがここの親方なんですからね!」


 親方は何か言い返そうとしたが


「あぁん!?」


 と娘に凄まれてしまい、すごすごと荷物の確認へと戻っていった。娘夫婦には見えない角度で、その顔には笑みが浮かんでいる。

 これだけ気が強ければ、十分にハンスを支えていけるだろう。死んだ母親もそうであった。強すぎるのが問題ではあったが。

 そこに。


 ……コンコン。


 と入り口の柱を叩く音がしたのはその少し後だ。


「失礼致します、こちらが鍛冶場とお聞きしまして……」

「ああ、すまねえなお客さん。今日明日は休みなんだ。急ぎでなければ注文だけ聞いとくが……」


 白髪の混じり始めた顎髭を擦りながら、親方が客人の方へ歩み寄る。

 そして入り口に到着したところで、彼は来訪者の顔を見た。いや、見上げたのだ。


 ……大きい。


 あの【旦那】程ではないが、それでも身の丈六尺一寸か二寸(185~188センチ)はあるのではなかろうか。

 いや、大柄なだけならばそこまで珍しくもない。冒険者ギルドにも、そんな男は沢山居た。何度か取引のあった顔役も、七尺近かったはずだ。

 だが親方が驚いたのは、相手が女性……しかも顔つきからして少女と思われる年頃のヒューマンだったことだ。

 加えて、その顔や手には何やら魔法的な紋様が多数刻まれており。只者ではないことを伺わせている。


「探しているお方が、もしかしてこちらに立ち寄られたかもと思い。少しお話をさせていただければと」


 そう言って少女は和やかに微笑んだ。

 よく見れば、旅装ではあるが身なりは良く。物腰からも、彼女がそれなりの家の出であることが察せられた。

 親方にとっては普段相手にすることのない類の人種である。やや気圧され気味に、反射で頷く。


「まあ! お忙しいのに、有難うございます!」


 ぱぁっ、と表情を明るくして少女が喜ぶ。

 健康的で人懐っこい笑顔を浮かべる背の高い彼女は、親方に向日葵を連想させた。


「あ! 名乗りが遅れて、失礼致しました! ワタクシ、ナスタナーラ=ラフシアと申します! 探しているのはガイウス=ベルダラスというお方でして、猛獣みたいなお顔で背が高くて、ほっぺたに薔薇みたいな呪印が入っているオジサマなんですの!」

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