15:彼女の場合
15:彼女の場合
人通りの少ない廊下の隅で。
友とは呼べない級友達に、彼女は取り囲まれていた。
「半端者の癖に、調子に乗るなよ」
「そうだ。生意気だぞ、デナン家から追い出された分際で」
半端者、というのは彼女の能力を侮った言葉ではない。
その出自を嘲笑ったものである。
級友達に取り囲まれた少女。
いや、童女とも言えるような外見の彼女の耳は、ヒューマンのものとは違い、長く、尖っていた。
それは彼女の血が、純粋のヒューマンではないという証左である。
少し前まで彼女がいた東方諸国群では珍しくもない混血児も、南方ではそれだけで奇異の対象であり、侮蔑の理由ともされた。
そんなハーフエルフが、騎士学校の定期試験で上位をとってしまったのだ。
彼女自身が侮られまい、とするための努力の成果であったが、その結果は貴族の子息達から不興を買っただけであった。
今の時代、【騎士】は純粋な騎士を指さない。鎧兜で馬に乗り槍を振るうのが【騎士】とされた時代は、それなりの昔に終わっていた。戦場の主役も、剣槍から魔杖兵へと移りつつある。
現在における騎士階級とは国や貴族が抱える武将や常備の上級軍人であり、また、統治のために武力を行使する代官候補であった。
イグリスの王国騎士学校は、そんな時代の流れを受けて、「王国に必要な人材を、貴族平民問わず取り立て、養成する」ために数代前の王が制度化したものであり、推挙や縁故が主である周辺国や貴族領に比べて、先進的なものと言えただろう。
だが年月と共にその理念は徐々に失われ。特にここ最近では、騎士学校は貴族の子弟が箔をつけるための通過点扱いにされがちであった。
平民が成り上がる階段としての機能が失われなかったのが、せめてもの救いだろう。
そんな中でこの半エルフの少女は、「高貴な」若者達を差し置いて優秀な成績を取ってしまったのだ。
平民出や立場の弱い者は「わざと」成績を抑えて、貴族の箔付けを邪魔しないように気を遣う程であったのに。
だが、彼女はそういった自己保身が出来る程世慣れてはいなかったのである。
「大体、お前みたいなチビが国の役に立てると思っているのか?」
そう言って、金色の髪をした貴族の若者は少女の耳を抓り上げる。
ひっ、と彼女は苦悶の声を漏らすが、抵抗はしない。
いや、出来ないのだ。
エルフ属は長寿であるため、その成長は遅い。精神的な成熟も、身体に引き摺られてやはりヒューマンよりも時間がかかる。
混血である彼女も、その法則の例外ではなかった。
年齢こそ17と騎士学校の入学資格を満たしていたが、その心は、まだ幼かったのだ。
ましてや彼女がデナン家の血を維持するために東方諸国からイグリスへと連れてこられたのは比較的近年である。
そういった「政治」に疎いのも、無理からぬ話だろう。
今この少女に出来ることは、ただひたすらにこの貴族達が飽きるのを待つことだけだった。
「すいません、すいません!」
涙を目の端に浮かべながら、必死に謝る。
何も悪くないはずなのに。
その顔に、別の貴族が唾を吐き捨てる。
それに対しても、少女はただただ謝り続け、耐えるしかなかった。
(どうして私は、こんな所にいるの)
正当な跡継ぎが産まれたデナン家からは、用済みとばかりに騎士学校に放り込まれた身である。
後ろ盾はない。育った故郷へ帰してももらえない。
ここを逃げ出しても、行く先など、無い。全く無いのだ。
(お母さん、どうして私を売ったの)
「大体、ハーフエルフが栄誉ある騎士学校に入学していること自体がおかしいんだ」
金髪の貴族が少女の顎を掴み、ぐい、と持ち上げた。
小柄な少女は爪先立ちをするようにして、必死にそれに合わせる。
「出てけよ、とっとと」
囁くように、その貴族が彼女の耳に吹き込む。
少女の心を、黒いものが塗りつぶしていく。
(もう嫌だ、もうこんな所にいたくない、もうここから逃げよう)
そうだ。たとえ行くところがなくても。
もし野垂れ死んだとしても。
ここよりは、遥かにマシなのだ。
(だから……)
その時であった。
がしっ、と。
貴族の腕を、大きな手が掴んだのは。
何事かと振り返った、いや見上げた貴族達の顔が、驚愕のあまり凍りつく。
少女の呼吸も、恐怖で止まってしまった。
……凶相。
その男は、まさに凶相と言うべき相貌をしていた。
傷だらけの顔に、暴力的な力を帯びた眼差し。ご丁寧に、左頬には入れ墨まで入っている。
誰がどう見ても、まともな人物には見受けられなかった。
それが、貴族の子弟が多数在籍する王立騎士学校に侵入したなど、大問題である。
少女は、自身を故郷からこの地へと連行した【冒険者】達を思い出す。
いや、そんな者など、比較にならない圧倒的な威圧感。
暴力と殺意の権化。そういった瘴気を発しているかのようにすら、感じられた。
「ひっ」
「な、なんだお前は!」
「え、衛士は何をやっているんだ!?」
取り乱した級友達が、口々に喚き立てる。
だがじきに、その内の一人が、はっ、と気付いたように
「ベルダラス男爵……」
と呟いた。
その一言を聞いて、喚き立てていた者達が凍りついたかの如く静まり返る。
(聞いたことがある)
少女は思い出していた。
五年戦争で名を馳せた英雄。
そして勇名を上回る悪名を持つ、「味方殺しのベルダラス」「人食いガイウス」。
前王の狂犬、血に飢えた怪物。
ガイウス=ベルダラス男爵!
(「イグリスの黒薔薇」……!)
噂に違わぬ、いや噂以上の凶悪さを備えたその様に、少女の膝ががくがくと震える。
そしてそれは、貴族達も同様であった。
「あー……今……君は……ハーフエルフはどうとか、言っていたようだね」
ベルダラス男爵は、金髪貴族の腕を離すと、ゆっくりと話し始める。
若者は、がくがくと震えるように首を縦に振った。
同意の意味なのか、恐怖心からなのか。それは少女には分からない。
「実は私も、四分の一トロルなのだが」
えっ、という風に、級友達の顎ががくんと落ちる。
「昔、騎士学校にいたのは、やはりまずかったかな?」
ベルダラス卿は、そこまで言うと「にぃ」と歯を剥いて彼等を威嚇した。
金髪貴族は「そ、そんなことはありません!」と裏返った声を懸命に捻り出し。
「し、しつれいしましゅ」
と。半泣きの体で走り去っていってしまった。
残りの級友達も、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
ベルダラス卿は「ああっ」と呻いて彼等の背後を眺めていたが。
しばらくして軽く溜息をつくと、少女の方へと向き直った。
「大丈夫かね」
「ひゃ、ひゃい」
声が、思うように出ない。
先の級友達の様子も、無理からぬことである。そう、少女は感じた。
男爵は懐からハンカチを取り出して少女に渡すと、頬に吐かれた唾を拭うよう、促す。
ここに来て少女は、ベルダラス卿は彼女を救けたのだ、と初めて気付いた。
「あ、ありがとうございます」
そうではない、とでもいうように。
卿は歯を剥いた威嚇でそれに応じる。
「それより、頼みがあるのだが」
「な、何でしょう」
「教官室へ、案内してもらえないだろうか?」
少女は震える声で、それを引き受けた。
「いやあ、助かる。実は届け物があったのだが」
少女が卿の左手を見ると、そこには「体育着」と書かれた巾着袋が握られている。
彼は、これを届けに来たというのだろうか。
「私が居た頃とは建屋が変わっていて、さっぱり分からないのだ」
「は、はあ」
曖昧に、相槌を打つ。
「では、お願いしよう」
そう言って男爵は、少女に先導を頼んだ。
……道中のことを、彼女ははっきりと記憶していない。
ただ、後ろを振り返るのが怖くて、早足で歩いていたことだけは覚えている。
教官室までの案内を終えると、ベルダラス卿は
「ありがとう」
と言い残し。そして再び歯を剥いて彼女を脅かしてから、部屋へと入っていった。
少女は「ひっ」と驚いて後ずさりすると、慌ててその場を立ち去る。
……それが彼女、サーシャリア=デナンとガイウス=ベルダラスとの、初めての出会いであった。
あの表情が「威嚇」ではなく「微笑み」だったのだ、と彼女が知るのは。
もっと、ずっと後になっての話である。
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