82:戦うおじさんとおじいさん

82:戦うおじさんとおじいさん


「聞いてねえ! 聞いてねえぞ、セリグマンさんよ!」


 先の攻撃によりまだ負傷者と死体が転がる枯れ川で。

 額から下顎まで伸びた傷跡が残る隻眼の中年冒険者が、怒気も露わに騎士へと詰め寄った。


「【イグリスの黒薔薇】が居るだなんて、一言も言ってなかったじゃねえか!」


 ギルドに登録する中でも比較的上位の実力を持ったパーティを纏める男で、普段は寡黙で落ち着いた人物である。

 それがこうも取り乱して声を荒げる様子に、セリグマンの内心は驚きを禁じ得ない。


「事は高度に政治的な案件なのだ。第一! その辺の山賊にあれほどの賞金が出るとでも思っていたのか貴様は!」


 苦い顔をして、若騎士はその抗議を突っぱねる。

 瞬時に同僚と兵を失った動揺と、先手を取られたことへの苛立ちの発散も兼ねて。その語気は必要以上に強く、かつ嘲笑的であった。


「ああ、そりゃあそうだろうさ! 大したもんよ! 俺はよ、五年戦争の時は連合国側にいたからな、あの化物とも出くわしたことがあるんだ! この顔の傷は、あいつに付けられたんだぞ!」

「ハッ! 何だ、丁度いいではないか。15年越しの意趣返しの好機だろう!?」

「馬鹿野郎! 【五十人斬り】を知らねえのか!? 俺は、俺のいた隊はな……」

「だったら尚更だ。50人? それがどうした。我々の隊はまだ150名近い人数で奴を追いこんでいるのだ。【五十人】の三倍だ。冷静に考えろ」


 他者へ向けて口にした言葉で、セリグマンは状況を再確認する。


「むしろこの場を逃せば、こんな好条件で奴に報復する機会など二度と訪れんぞ?」

「それは……」

「さあ行け。行って追い詰めて、討ち取ってこい。金も入る。復讐も果たせる。【イグリスの黒薔薇】を討ち取った泊もつく。だが今ここで退けば、貴様が手に入れるのは臆して逃げた事実だけだ」


 冒険者は残った片目を伏せ、少しの間躊躇していたが。やがて舌打ちをして、パーティの仲間を伴いながら森の中へと入っていった。

 セリグマンはその背中を眺めつつ、自分を言い聞かせる。


 ……そうだ。幸運に思うべきなのだ。


 ギルド長の方ではなく、自分の受け持ちに奴が現れたことに。

 同僚の死も、戦果を独占する絶好の環境であると。

 逆賊へと堕ちた【イグリスの黒薔薇】を討った若き騎士、セリグマン。

 実態はどうであれ、事実はそうなるのだから。

 そうだ、そうなのだ。運は、向いてきているのだ。


 敢えて下卑た思考をすることで、彼は先の衝撃を振り払い、自らを鼓舞した。

 褒められる精神ではないが。必要な対応では、ある。



『ほれ左の茂み! 一人待ち伏せしとるぞ!』


 長老の声に即応して、ガイウスが片手の戦斧を振りかぶった。

 ガイウスの膂力で幾つもの装甲を叩き割った刃はあちこちが欠け、歪みも出てきている。

 だがそれでも。投擲されたその鉄塊は回転しながら小さな藪へと鋭く突き刺さり、刺客から短い悲鳴を引きずり出すことに成功していた。


「流石ですな御老体!」

『森の中でコボルド相手に伏兵など、片腹痛いわ! ほれ右後ろ! 弓じゃ弓!』


 振り返ったコボルド王の視界、木々の向こう側から照準を付ける弓使いと弩持ち達。


「マイリーッ!」


 その呼びかけよりも早く、射線を遮るようにゴーレム馬が回り込んで膝をつく。

 ガイウスは身を滑らせるようにして馬体の陰に伏せると。次の瞬間、


 ひゅん! ひゅん!


 と空気を裂いて何本もの矢が頭上を掠め、またはマイリー号の体に突き刺さっていく。

 一際強い衝撃を伴って泥の身体を抉るのは、クロスボウのボルトだろう。矢除けの魔法や強化魔術がなければ歩兵の鎧を容易く抉る威力を持つ兵器だが、これはガイウスが泥(クレイ)ゴーレムの体内にあらかじめ呑ませておいた岩によって貫通を阻まれている。彼自身の戦訓による工夫だ。


『おーこわ! おー、こっっわ!』

「ちゃんと頭を引っ込めていて下さい!」


 その時間を利用してマイリー号の脇に積載されている武器の拘束を外し終えたガイウスの耳に、


 ロウ……


 という魔素を練り上げる音が届いた。魔術師の【詠唱】である。微妙なズレが、発信者の数を教えている。

 ガイウスは歩兵から逃げ回り、走り続ける内に冒険者達が整えていた十字射線点へと追い込まれていたのだ。

 それを察したガイウスは「なかなかやる」と小さく呟き、新たに取り外したヘッド・アックスを掴んで即座に駆け出す。


 アア……イイ……


【詠唱】が終わると同時に発射された【マジック・ボルト】の一発は全力で走る彼を照準しきれず外れ。

 そして身体に命中すると思われたもう一発はヘッド・アックスの幅広い斧頭で受け止められた。

 魔素の奔流がその刃先の三分の二を砕き、散乱した破片がガイウスの顎に小さい傷を作る。


 だがその鉄塊は未だ人頭を割るに十分な要件を満たしており。再詠唱を終える前に接近した巨躯からの斬撃で、魔術師一名の脳漿を散乱させるに至った。

 もう一人は、打ち合いで柄が曲がってしまったウォー・ピックにより額の骨を割られている。


 駄目になりつつある武器を持ち替えたいところだが、ガイウスには余裕が無い。

 発射間隔は長いが照準性と威力の高い弩。それが装填を終える前に始末をつける必要に迫られていたのである。

 彼は呼吸を整える間もなくそこから再び走り出し、先程射掛けてきた集団目指して木々の間をジグザクに進む。

 やはりクロスボウの準備は間に合っていない様子だが、通常の弓兵達からは既に次の射撃が行われている。接近を阻まれ、横移動で木々の陰を移動するのが精一杯。

 加えて冒険者の中には名手も何人かいるらしく、その狙いと射撃間隔はガイウスが知りうる一般的な水準をかなり上回っていた。

 盾にし得るマイリー号は、引き離してしまい距離がある。積載した武器と腹の中に呑ませた岩の重量で、愛馬は主人の全力機動には追いつけないのだ。


 ざくっ。


 一矢がガイウスの腹に突き刺さる。


『おいデカブツ!』


 それまでブツブツと何事か呟いていた長老が、背嚢から慌てて顔を出す。


「大丈夫です御老人、中の装甲板で止まっておりますので」


 しかしこれがクロスボウなら確実に貫通していただろう。

 それに、躱し続けるのにも限界がある。


「それより頭を下げて下さい。危ないですよ」

『いいから木偶の坊、突っ込め! 一度だけ止める!』


 戯れとしか思えぬ宣言であった。

 説明はあまりに不足しており、裏付けは無さ過ぎたのだ。

 だがガイウスは即座に


「分かりました。お願いします」


 と答えると、木の陰から躍り出て轟然と突撃を開始した。大きな唸りと、地を蹴る音を立てて。

 彼は、老人の言葉を全く疑わなかったのだ。


「ぐるぉおおおおおおおぅ」


 冒険者達は思いがけぬその行動に一瞬の怯えと戸惑いを見せたが、すぐに照準に取り掛かる。

 弩持ちが装填を諦めて抜刀に移った判断力も、確かなものだろう。


 だが、時を同じくして。


『風の精よ! 頼むぞい!』


 背嚢から身を乗り出した老コボルドの声と共に、猛烈な突風が弓兵集団を襲った。

 その風は大量の落ち葉を巻き上げ。土を、砂を冒険者達へ吹き付けたのである。


「うぶっ!」

「目っ!?」


 所詮はただの風、ただの埃。人を傷付けるに及びはしない。

 しかしながらそれらが産んだ僅かな狼狽は、凶獣が彼等に牙を突き立てるに十分な時間を稼いだのだ。


 一人目は頭頂にウォー・ピックの先端を食い込ませて倒れる。

 半壊した斧が二人目の側頭部を一撃した。

 ガイウスは柄が曲がって扱い辛くなったピックを放棄し、弩持ちの手を剣ごと掴むと。まるで自分の物のように別の弓使いの喉へ突き立てる。

 三人目を共同作業で葬ってしまった彼は、赤い粘液が付いたままのヘッド・アックスを顔面に打ち込まれて四人目の犠牲者となった。

 唖然とする別のクロスボウ使いの顔を、ガントレットで殴打して下顎を陥没させ五人目。

 目の埃が対応を遅らせた憐れな隣の者は、視界が回復する前に斧を叩きつけられて六人目に連なった。

 次になるはずだった赤毛の女冒険者はすんでのところで斬撃を躱し、弓を捨て転がるように走っていく。

 ここで斧が空振りして木の幹に深く食い込んでしまったことで、残りも同様に逃げ出す間隙を得るのであった。


 ……ぴゅう。


 ガイウスが死体から拾い上げた弓と矢で、逃亡者の一人が背中を射抜かれる。七人目。

 だが、そこまでである。それ以上は、木を盾に射角外へと離脱されてしまった。

 大半は得物を捨てての全力逃亡だ。しばらくは先程のような一斉射撃は出来ないと思われるが。


「フーッ、フーッ、フーッ」


 荒い息を整えながら、ガイウスが斧を引き抜く。

 ヘッド・アックスの刃は更に欠け、木製の柄は折れていた。もう戦闘には耐えないだろう。ウォー・ピックも、同様だ。


「お見事、御老体。流石は王国一のシャーマンですね」

『精霊にも都合があるからの。そう何度も使えるものでもないことは、覚えておけ』

「心得ました」


 追っ付け駆けてきたマイリー号の背中から大振りの剣……未使用のフォセを一振り取り外しつつ、ガイウスは答えた。


「手筈の方はどうでしょうか」

『攻撃隊の方が上手くいっておるようじゃ。嬢ちゃんからもそろそろ、と連絡が来ておる』

「では、川の方へ戻らねばなりませんな」

『そういうことじゃ。もう一頑張り行くかの!』

「いいですとも!」


 ガイウスはフォセを肩口に担ぐと。その方向へ、足を進め始めるのであった。

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