81:牙と共に

81:牙と共に


 荒い息を整えたワイアットは、きっ、と近くの冒険者達を睨めつけると。


「この時点で無理に追う必要はない! どの道相手は村から離れられん! 犬共が逃げるなら、我等は歩いて村へ向かい、奴等の帰る場所を焼いてやるだけだ! あの獣人どもはそれを防ぐため、わざわざこのような手を打ってきておるのだぞ! それが分からんのか! この痴れ者共が!」


 心臓を揺さぶるような怒声で、彼等の精神に冷水を浴びせかける。


「冷静に考えろ! 落とし穴如きで数十人を無力化出来ると思うか! 貴様等が調子に乗って散らばるから、みすみす敵の術中に嵌まるのだ!」


 ワイアットは来る途中で目にした犠牲者の姿から、既にコボルド側の目論見を見抜いたと確信していた。


「罠が怖いか! ああ怖いだろう! ならば集まって、地面でも叩きながら前に歩けばすむ話だ! それなら仕掛けにも掛からんだろうよ!」


 敢えてあまりにも幼稚で単純な、それでいて誰にでも理解しうる対処を叫ぶ。それでよいのか、と思うだけで十分なのだ。その時点で、精神の崩落に歯止めがかかるのだから。

 実際、彼の声が届く範囲で健在な冒険者達が、次々と落ち着きを取り戻していった。


「復唱せよ! 伝えよ! 追っていった者、散らばった者にも届くように!」

「は、はい!」

「おい! 止まれ! 戻ってこい! 伝えろ!」

「戻れ戻れ!」

「分かった、おーい! 戻れ、戻れ!」

「一人罠に掛かっているんだ、手を貸してくれ!」

「助けをよこしてやれ。ただし、注意してな」

「そっちの奴! もういい! 一度戻れッ!」

「動けないんだよ! 助けてくれよぉっ!」


 怒号が、木々の間を飛び交う。

 だが先程までとは違い、その声には意図と理性が篭っていた。


「ここなら丁度いい」


 ぐるりと周囲を見渡したワイアットが、指示を叫び続ける部下の肩を突いて注意を向ける。


「アシュクロフト、ここに皆を呼び集めろ。ある程度開けたこの場所なら、再編成もし易いはずだ」

「はっ」

「お前達は罠の確認だ。味方が集まる空間内だけでいい。慎重にな」


 率いてきた冒険者や、雇い入れた狩人達へ指示を飛ばす。

 返事と共に、彼等はすぐに行動を開始した。


「さて、シリル。村へは近付いているのだな?」


 ぎろりと視線を投げられ。手枷を嵌められた小柄な元狩人がびくりと身を震わせる。


「ひっ……え、ええ。かなり。後はまっすぐあっちの方向へずーっと進めば、村のある草原に出られます。ここは僕が見つけた抜け道の途中で、歩き易く目印代わりになるトコなんですよ。はっきり覚えているから、間違いありません」


 ワイアットは無言で頷く。


「そ、それよりもギルド長。手枷を外して下さいよ。こんなんじゃあ、何かあっても対応出来ません。それにもう、案内も要らないと思うんですが」

「駄目だ。本来であれば足枷も着けてやりたいところだ。お前のせいで、前回はあれほどの犠牲が出たのだからな。生かしてもらえるのは、この討伐を終えた時だけだと知れ」

「そ、そんなぁ」


 周りの冒険者達から、けっ、と吐き捨てるような声や嫌悪の視線が彼へ向けられる。

 死んだヒューバートに人望があった訳でも、同業他者への連帯感があるのでも無い。が、それでもシリルの所業が受け入れられる筈もなかろう。


 そうこうしている間に、重装備のため遅れていた者達も追いついてきた。

 先行していた者も引き返し、負傷者の回収も進んでいる。死体は後回しだ。

 その間にもやはり数名が罠にかかって被害を出したが。バラバラに進んでいた時とは違い、救助も可能であるため恐慌には陥らなかった。


「連中も、当てが外れたようですね」


 アシュクロフトの言葉に、負傷者の収容を指示していたワイアットが振り返る。

 見ると、村があると言われた方角の木々の陰からコボルドや女剣士達が未練がましく冒険者達が集まるのを眺めているではないか。


「あの様子からしても、奴等の目的は明白だったな。これだけ集まってしまえば、最早近付くことも出来まい」

「そうですね」

「随分とやられたが、これで作戦行動に復帰できる」


 負傷者の後送を管理出来れば、所属するパーティーの者も憂いなく戦える。全体が足止めを食うこともない。

 ワイアットが追いついたことにより、森へと引きずり込まれた者達は集団としてほぼ立ち直った。


 ……そのはずだったのだ。


 手枷に疲れた腕を休ませるためしゃがみ込んでいたシリルが、突如として立ち上がる。

 罠の確認を終えた狩人達も、急に怪訝な顔をして周囲を見渡し始めた。


「聞こえたか」

「ああ」

「け、警戒音だよ、間違いない!」


 真剣な顔で意見を交わすシリル達に、アシュクロフトが問う。


「何だシリル、警戒音って」

「縄張りです、縄張りに入った相手に対して発する音なんです。ピューッ、っていう細い鳴き声なんですけど。何処に居るんだろう、何処なんだろう」

「だから何の音だと……」


 若い騎士が苛立ち紛れに顎髭を掻いたその時。彼は、負傷者を担いで戻ってくる冒険者が、悲鳴とともに跳ね飛ばされるのを見た。


「な、なんだありゃ!?」

「ま、魔獣かよおおお!?」


 茂みの続く方向から現れたのは、胴だけで二間に届くかという巨大な蜥蜴だ。

 それを見た狩人の一人が叫ぶ。


「蜥蜴だ! 木食い蜥蜴だああああああ!」


 猛烈な勢いで巨大な質量が迫る。迫る。


「俺に任せろ!」


 と叫んで立ち塞がった全身鎧のメイス戦士は、盾の上から体当たりを受け。

 ふっ飛ばされた上で木に衝突すると、がくりと頭を垂れたきり動かなくなった。

 その重装甲故に生きているかもしれないが、誰一人確認する余裕は無い。


 木食い蜥蜴は冒険者達が再編成を行っている空間へ闖入すると、手近な者の腕に噛み付いてその骨を砕き、尻尾を振り回して更なる怪我人を作り出した。

 集団は再び、混乱し始める。


「囲め! 囲んで殺せ! この人数なら魔獣とて十分対応出来る!」


 剣を抜き、散り散りになりそうな冒険者達を叱咤するワイアット。

 だがその彼の眼前で。新たな木食い蜥蜴が木陰から飛び出し、魔素の練成中であった魔術師を轢き倒したのだ。


 そしてその時ワイアットは見たのである。

 木食い蜥蜴の首に、足に、結び付けられた黒い縄があるのを。


 そう。

 この接触も、突入も、自然の遭遇ではない。

 コボルド側が予め捕らえておいた木食い蜥蜴を、この潮時で討伐軍へ向けて放ったのである。

 そして突進性の強いこの魔獣は。拘束を解かれた場所から真っ直ぐに冒険者達の再編場所へと躍り込み、立ち直りつつあった集団をかき乱したのだ。


 ……こんな大型生物を捕らえ、固定しておくなど、短時間に出来るものではない。

 つまりそれは。ワイアット達がこの場で再集結を図ること自体が、コボルド側の作戦通りだったことを意味するのである。


「馬鹿な! どうやって、どうやってこんなに巧妙に、正確に!」


 今度こそ正確にコボルド軍の意図を理解したワイアットが、拳を握りしめながら怒鳴った。

 だが、今は目前の魔獣に対応するべきであり、折角集めた兵が分散する前に収集をつけねばならないのだ。


「アシュクロフト! 一頭ずつ私が仕留める! お前は冒険者達が散らばるのを防げ!」


 大丈夫だ、大丈夫。

 蜥蜴二匹程度、この鎧があればすぐに斬れる。

 肉体への負担も、織り込み済みだろう。

 大丈夫。まだ十分想定内だ。


 心中でそう自分に言い聞かせつつ魔剣【ソードイーター】を握るワイアット。

 刹那、彼の耳に入る雄叫び。


『うああああ!』


 コボルドの叫びである。


「この時を狙って斬り込んでくるかッ!」


 赤い鎧を鳴らしながら向きを変えると、視界の端に、走り込んでくるコボルドが見えた。

 まるで怯えて泣きじゃくるように声を上げながら、一直線に向かってくる。


「……一匹だけだと?」


 狂乱に近い様子で迫るコボルドは、武器も持っていない。

 明らかに異常である。あるが、それに何の意味があるかも分からない。


『ああんあああんー!』


 突入してくるかに思えたコボルドは、ワイアットの目の前で一本の木にしがみつき、まるで虫のような動きで樹上へと上っていってしまった。

 周囲の喧騒と混乱を他所に、唖然とそれを見上げていた彼であったが。

 視線を水平に戻して、その理由と意図に気付いたのである。


 ぐおおおおおおぅぅん。


 吠え声を上げつつ木々の間を抜け、枝と葉を揺らして迫るもの。


 森の外に迷い出た「それ」の討伐に、幾度かワイアットも加わったことがあった。

 だから彼も一目で判別出来たし、【大森林】を少しでも知っているものなら、その外見的特徴と凶暴さ故に真っ先に名が挙がる魔獣である。


 厚い茶色の毛皮に包まれた巨体と六本の脚。

 背中に槍を突き刺され怒り狂った、【蟲熊】だ。



《発:攻撃隊 宛:指揮所……魔獣 突入 成功》

《発:指揮所 宛:攻撃隊 コボルド隊 3班 4班 5班……了解 攻勢 開始セヨ》


 混乱を極める冒険者達を眺めていたダークが、霊話兵に指揮所とのやり取りを終えさせる。


『……いよいよアレだな!』

「皆、うずうずしていたでありますからなー」


 頬を緩めて話すレイングラスに、同様ににやついた表情を浮かべながら答えるダーク。


「ブルーゲイル! 一人討ち取った褒美に、大役を任せるであります」

『ありがとうございまッすッ!』


 返り血がついたままの青いコボルドが、光栄とばかりに声を上げ。手に持ったそれを勢い良く掲げた後、地面に突き刺した。


 ……それは、獣皮に消し炭で描かれただけの簡素なもの。

 成長しても指にならないコボルドの後ろ足。その肉球を模したものを描いた、単純で微笑ましい旗だ。

 配置につき伏せていた他の班からも、同様に旗が上がる。


 これは、皆が頭を突き合わせて絵柄を議論し決めたもの。

「そんなことに時間や労力を割かなくても」とサーシャリアはこぼしたが……ガイウスは「いや、大事なことだよ」と笑っていた。

 そう。皆は、この旗を掲げる瞬間を待ち望んでおり。同様に、次に続くものも用意し温めていたのだ。


 しゅらん、と勢い良く音を立て、ダークが剣を鞘から抜く。


 そして切っ先を敵集団へ向け、息を小さく吸い込んだ後。

 コボルド達が切望していた、その声を発したのである。


「牙と共に!」

『『『『『『牙と共に!』』』』』』

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