80:罠の産物
80:罠の産物
あれから三度の逆襲を加えつつ、ダーク達は追い来る冒険者達を更に森の奥へと誘い込む。
流石にダークやレイングラスも呼吸が荒く、攻撃隊自体も二名の損失を追加していた。
一人は反転時の接触でそのまま殺され。もう一人は重傷だが何とか木の上に隠れたと、情報が回ってきている。
当初11人だった攻撃隊はこれで残り7人。コボルド軍全体では当初の46人から38人まで打ち減らされていた。一方、冒険者側は騎士を含む330名の戦闘人員が301名まで減少している。
損耗対効果で言えば十分以上に健闘しているが、比率で考えるとコボルド側の被害の方が大きい。なにより絶対数が違いすぎるのだ。
殿を務めながらも疲労していく攻撃隊、特にダークの動きが鈍っていく様から、徐々に来るべき時が近付いているとみる冒険者達は意気軒昂。
討ち取るのは自分だ、とばかりに先を争って追う。
彼等が目の色を変えるのも、無理は無い。
ギルドの資金を潤沢に投入し、私財まで注ぎ込んだワイアットの計らいで、コボルド戦士の首を持ち帰れば報奨金が出る手筈になっていたのだ。
5匹も殺せば、平均的な庶民家族が一年暮らせる程の金額が支払われる。通常の道理では在りえぬ破格であった。非戦闘員の村人を駆除しても金が出るという。
さらに。モンスターに味方する女剣士には二十倍。コボルドを従えてノースプレイン侯に仇なそうとする首魁には五十倍もの賞金が提示されていた。
出発する前、実際にワイアットが金貨の山を冒険者達の目の前でギルド窓口に預けたため、空手形ではない。
まさに一攫千金、千載一遇、濡れ手に粟の好機であったのだ。
徐々に、徐々に。そして確実に。
殿と冒険者の距離が狭まり、近付いていく。
先程までと同様であれば、そろそろ足止めの逆撃を仕掛けてくるだろう。その時こそが、打ち崩す好機である。
追撃者達がそれに備えて武器を握りしめた頃。
その異変は起こった。
◆
「へごおっ」
女性らしからぬ声を上げ、膝から転倒する革鎧の剣士。
後ろにいた冒険者は一瞥しただけで走り去っていったものの、剣士と同じパーティーに属する棍棒戦士がすぐに追いつき。彼女の腕を引いて、身体を起こそうとした。
だが女剣士は
「待って! 止めて!」
と叫び、仲間の手を払いのける。
その反応に異様なものを感じた棍棒戦士が彼女の身体に視線を這わせ。
「うっ」
彼は、【それ】を見て息を呑んだ。
女剣士の左脚は腿ほどまで掘り下げられた小さな穴にはまり込んでおり、そして彼女のそのふくらはぎには、細長い金属が側面から食い込んでいたのである。
さらに確認すると、穴には木で拵えた枠がはめ込まれており、そこには両側から釘が内側へ向けて斜めに飛び出していた。
剣士はそこに踏み込み。そして引き抜く際に、まるで釣り針の返しのように配された長い釘に両側から食いつかれたのだ。
足を引き抜こうとすれば、釘はさらに肉へと食い込む。藻掻くだけでも、傷が広がる。
女剣士を救うためには、罠の解体が必要であった。
単独での作業を困難とみた棍棒戦士は、遅れて到着したパーティーの仲間へ助力を求め。結果、彼等のパーティーは追撃の先頭集団から外れてしまうことになる。
しかしそれは、この一団だけに留まらなかったのだ。
先程転倒した剣士を鼻で嗤いつつ追い抜いた冒険者は、転んだコボルド目掛けて斧を振りかぶった刹那、何かが足に引っ掛かるのを感じた。
次の瞬間、柔軟性をもった細長い物体が鞭のように彼の腹部へと叩きつけられ。その身体をくの字に折り曲げ脚を止める。
息と胃液を吐き出して途切れかけた意識を現実へと引き戻したこの冒険者が、その物体を震える手で押しのけると。
ずるり。
という湿った感触と共に。彼の臍下から尖った木の棒が引き抜かれた。
見れば、痛打を加えた鞭の正体は、強くしなやかで太い枝。打ち据えた動力には枝自体の弾力と復元力が使われていた。そして腹腔を抉ったのは、そこに結び付けられた何本もの鋭い木杭。
足が触れたのは、この罠の起動装置たる紐であったのだ。
解説してしまえば単純で原始的なものだが、それでも彼の革鎧を貫通するには十分な威力を備えている。
「あー? あっ、あーっ、あー」
驚きとも苦悶とも諦めとも分からぬ呻きを上げて跪く。力の入らぬ腹は上半身を支えきれず、そのまま冒険者は背中から草むらへ倒れ込んだ。
後は仲間が運良く見つけ運んでくれることを待つしかない。が、内臓まで抉られたこの傷を、ギルドが連れてきた治療魔術師の応急処置で助かるかどうかは難しいところだろう。
そして別の場所でも悲鳴が上がる。
声の主は、紺色のマントを羽織った、子供のように背の低い長髪の男。
……いや、短躯では無い。よくよく見れば身の丈は六尺以上。ただ単に、頭頂が低く見えているだけだ。
何故か。理由は簡単である。彼は落とし穴に嵌ってしまっただけなのだ。それも、さほどは深くもないものに。
誰もが子供の頃、悪戯で掘ったことのある程度の代物だろう。
だが問題は、その穴の中には鋭く尖らせた木の槍が何本も何本も植え付けられていたことにある。
彼は土と草で偽装された蓋を踏み抜き。落下と自重によりその脚を、尻を、無数の凶器に貫かせてしまったのだ。
「おい! しっかりしろ!」
マントを着た男にとって幸運だったのは、同じパーティーの仲間がすぐ近くに居たことであった。
安物の徒戦鎧を着たその冒険者はすぐに方向転換して手負いの彼へと駆け寄り、救助に転じたのだ。
だが不幸であったのは、その際に別の罠を作動させてしまったことだろう。
草の間に隠されていたその紐を足で引くことによって、鎧の仲間は傍らの木に固定されていたその球体を解放した。
石、木材をロープでがんじがらめに丸めて重量を確保したものに、削った木の杭を無数に生やした棘の玉だ。それが縄に結ばれ、まるで釣瓶のようになっている。
振り子運動によって加速を得たその物体は、男の粗悪な兜を打撃し、棘が頭の側面を貫いた。
哀れな犠牲者はごく短い呻きを上げると、力を失い地面へと崩れ落ち。その孔からは尖った杭が様々な粘液を伴って抜け出る。
救助人を失ったマントの男は、ただひたすらに叫ぶことしか出来ない。
他の場所でも、同様または別種の仕掛けで負傷し、あるいは絶命するものが続出していた。
広い森の中である。点々と設置された陥穽に嵌まる確率など、決して高くはない。森の中、歩く場所全てに罠を張るなど、不可能だ。
だからこそ。それらが偶然に踏み抜いたものではなく、巧妙に誘導された結果であると冒険者達が気付くのに。時間も複雑な思考も必要ではなかったのである。
あの茂みも、その草むらも。先に広がる落ち葉の絨毯も。
何処に紐が、どれが仕掛けか。何が襲ってくるのか。
そこもかしこも。全てが罠に見えてきたのである。
最早安全と思えるのは、木の根の上だけ。そこから一歩踏み出すことすら、躊躇われた。
足が止まる。
冒険者達は、引きずり込まれた上に、罠で動きを封じられたのだ。
いや、正しくは「罠」が阻んだのではない。
疑心暗鬼に産み落とされた「恐怖」が、彼等に追撃を断念させたのである。
いくら高額の賞金が掛かっていても、無策で踏み込む程の士気は彼等にはない。
それこそがガイウスの狙いであり、サーシャリアの作戦であった。
だが。
「狼狽えるな馬鹿共!」
高揚が恐慌へと転落する寸前。皆の襟首を掴み、踏みとどまらせた者が居る。
急ぎ追いかけてきた、冒険者ギルド長ワイアットだ。
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