183:直撃

183:直撃


 ランサーが知己の侍女に頼み用意してもらった部屋へ、人目を憚りながらサーシャリアらが転がり込む。

 来客を泊めるための一室なのだろう。広くはないが、清潔に保たれた空間であった。薬に包帯、湯など、手当に必要なものも運び込まれている。


「では私は、トムキャット殿の着替えを調達してきます。少々、お時間を下さい」

「私もそろそろケイリー様のところへ戻りませんと」


 そういってランサーと侍女は立ち去り。部屋にはサーシャリア、フラッフ、そしてトムキャットの三人が残された。


「では、こちらにお願いします」


 促された美丈夫は上着を脱ぐと、シャツの袖をまくり椅子に座って腕を机に載せる。

 その傷口周りの血を、桶の上で洗っていくサーシャリア。


「大したことはできませんが」

「上等上等。戦場じゃあ、尿で傷を洗ったりもしたからね」

『ん? オシッコ? 出そうか?』

「おちんちんしまいなさいフラッフ!」

「アハハハハ! 本当に愉快だなあ、君たちは」


 雄猫は上機嫌だ。


「……出血ほど、傷は大きくないですね」

「ま、後は薬と包帯だけでいいよ。特にこんな身体だしね」


 曖昧に相槌を打ったサーシャリアが、軟膏へ手を伸ばす。


「サーシャリア君は騎士学校時代の恩返しで、ベルダラスを追いかけて来たんだって?」


 いつの間にか名前呼びである。


「……ギャルヴィン卿との話を、聞いていらっしゃったのですか」

「御婦人方から隠れてテーブルの下にいたら、丁度。それに普通の人よりは耳も良くてね」


 実際は死角にいただけの冗談だろうが、聴覚が強化されているのは有り得る話だった。


「おかしいですか?」

「いいや。一宿の義理、一飯の恩、一傘の厚意へ時に命を賭けられるのが、ヒトというものだと思う。いいなあ、そういうの。美しい。うん……とても美しいと思う」


 反応に困るサーシャリアは、黙したまま薬を塗っていく。


「僕みたいな醜い蟲とは、大違いさ」


 そう言ってトムキャットは小さく笑い、「聞いてもらえるかな?」と首を傾げた。

 それが、詮索のため危地に踏み込んだつもりの若者に対する、年長者からの配慮なのだ……と気付いたサーシャリアの頬が、ほのかに熱くなる。


「僕はグランツ先王の第三王子だった。それは知っているだろう?」


 上下に揺れる赤髪。


「極端に武を重んじる家でねぇ。王位は最も武勇に優れる者が継ぐべきと、兄弟を戦場で互いに競い合わせる家風だったんだ。でも僕は、そういうのが嫌で嫌で……王位なんかどうでもいいと、王立大学の一室に籠もりミスリルや魔術、呪印の研究に没頭していた。あの戦争の二年前、警備兵として配属されてきたのが、その子だったのさ」


 薬を塗り終えた細い指が離れる。


「ひょんなことで話すようになってからは、研究室へ何かとちょっかいをかけに来るようになってね。まあそのなんだ……楽しかったよ、すごく。そうだね、君と同じ、癖のある赤い髪をしていた」


 サーシャリアも一緒に、自らの長い髪へ視線を落とす。


「……そして、五年戦争が始まった。僕はそれ迄同様、継承争いに加わらない代わりに戦場へ出ないつもりだったけど、長兄ルーヴェがもう許さなかったんだ。四十ほどにもなってグランツ王子の務めを果たさない弟に、いい加減しびれを切らしたんだろうね」


 綿紗(ガーゼ)を当てられた感触に、美丈夫の眉が微かに動く。


「そこで兄は僕を発奮させるため、あの子を自分の側室にするなんて言い出したのさ。『ルクス、止めて欲しければ、戦で手柄を立ててお前が王になり俺に命じろ。それが、筋というものだ』とね! 笑ってしまうのは、それがグランツの王子としては驚異的な優しさだったことかな」


 美術石像の如き腕に添えられる、包帯。


「兄は中々冴えていた。僕が彼女を国外へ逃がさないよう、自分の近衛に入れ手元に置いたんだ。僕はいよいよ、彼の言う通り戦場へ出なければならなくなる。でも僕は研究者としてはそれなりだが、戦士や将としては当然素人だった。良かったのは、生まれついての骨格くらいかな? 筋肉もまるで無かったし」


 アハハ、と笑う。


「あまりに多い不足分を、僕は得意分野で補った」

「それが呪い……ですか」

「うん。前線で戦う力を得るため、僕はたくさんの呪いで身体を強化したんだ。穢れを覆うために【魅了】を重ねると、それがまた兵の支持を得るのに都合が良くてね」


【魅了】という言葉を聞き、サーシャリアが頭を振って気合いを入れ直す。


「アハハ。さっきも言ったけど、それだけ僕を警戒できるようなら大丈夫だよ。あの子も野営地でたまに会っても、普段と全然変わらなかったし。『引っ込め』『帰れ』『ド素人』とか『邪魔』って、よくなじられたよ」


 苦笑いを浮かべる、金髪の元王子。


「でもその通りだったな。付け焼き刃でずっとどうにかできるほど、戦争は甘くなかったのさ。僕の隊は結局、先代ノースプレイン侯……そう、ケイリーちゃんのパパさ……に突出を誘われ、孤立、半壊。やっとのことで古い廃砦へ逃げ込んだんだけど、そのまま包囲されちゃって」

「それが、苔砦(フォート・モス)……」

「当たり。無駄にしっかりした石造りの、南方大帝国時代の遺跡さ。まだ残ってるんじゃ無いかな? まあ当然、今も当時も食糧の備蓄なんか微塵も存在しないから、あっという間に僕らは飢えることとなった。でもさあ、普通ならそこで降伏するだろう? 常識的に考えて」

「え、ええ」

「しかし僕はしなかった。降伏なんかしたら、僕の王位継承は間違いなく無くなっちゃうからね。そういうトコなのさ、うちの実家は」


 サーシャリアの白い喉が、ごくりと嚥下に合わせ動く。


「だから僕は兵の死体を食べて籠城を続け、突破の機会や援軍を待ったんだ。兵たちにも食べさせたよ。極限状態に陥った彼らには、【魅了】がとても……うん、とてもよく効いた。料理も、一生懸命頑張ってくれたよ」


 包帯を巻く手は止まっている。


「実はこの時、戦線の近いルーヴェ兄上様は自身の兵を割き、救援を寄越してくれていたんだけどね。なかなかお優しい話だろう?」

「え、ええ……」

「でもそれが到着する直前、苔砦では衰弱した兵が炊事中に火事を起こしちゃったのさ。やっぱり栄養の均衡って、大切だねえ」


 質の悪い冗談に、困惑する看護人。


「ごめんごめん。実際は古い木造物が燃えただけで防壁は揺るぎもしなかったけど……派手な焚き火を遠目に見た援軍は、それを陥落と勘違いし撤退してしまったんだ。まあ兄の部下からすれば、主人の競争相手を助けるためノースプレイン侯の大軍へ突撃するべきかどうか、計算しちゃったかもしれないよね」


 再びアハハ! と金髪猫。


「結果、砦はその後にケイリーパパの攻撃で陥落。乱戦の中を突破し生き延びたのは、僕たった一人だけ。そしてしばらくの間森を彷徨い続けた僕は、衰弱死寸前の状態になってようやく味方の勢力圏で救助された。ただ正直その頃の記憶は、全く残っていない」

「そ、そうだったのですか」

「でもそれは、無駄だったんだよなあ。あそこまでしても、あそこまで皆を巻き込んだことも、全部無駄だったんだよ」


 今度の笑いは、自嘲だろうか。


「手勢のほとんどを僕の救援と戦線維持に割いたルーヴェ兄上様は、後方で再編中の戦力を連れてくるため、僅かな近衛を伴い下がろうとしたんだけど」

「あっ」

「ご明察。そこをたまたまベルダラスに討ち取られたのさ」


 肩を竦める。


「生き残ったその近衛たちは第一王子を守れなかった責を問われ、懲罰的に追撃の先遣を命じられた。ろくな支援もないまま、それでも彼らは懸命に鉄鎖騎士団遊撃隊を追い、そしてスノーケープ山で壊滅したのさ。その中に、あの子も含まれている」

「そう……だったのですね」

「僕が療養所で正気を取り戻すと、翌年の夏になっていた。知っているようにグランツのいる連合側は大負けしていて、五年戦争は既に幕引きの段階だね。それまでに残りの兄弟もほとんどが戦死し、終盤寝ていた僕が戦功一番になるような酷い有様だったけど……正直王冠なんて忌々しいだけだから、王太子は九番目の弟に押しつけちゃった」


 ぺろり、舌を出す。


「和平協定の場で醜態を晒した僕は、貰った領地に引っ込んで考えた。考えるようになった。あの子は戦場で死んだのだから、彼女を死に追いやった仇を戦場以外で僕が討つのは筋が通らない、全く通らないとね。君だってそう思わないかい?」


 包帯を巻き終えたサーシャリアが、肯定も否定もできず口籠もる。


「でも以降、戦争は起きなかった。まあ起きないものは仕方ないさ、良いことだし。ところが、そうやって朽ちていく僕の耳へ噂話が届く」

「……ケイリー派マニオン軍の敗退」

「当たり。もう一生無いだろうと思っていた機会が、にわかに訪れたんだよ。これはちょっと見逃せないよね?」


 チッチッチ、と左右に振られる人差し指。


「勘付いてはいると思うけど、【人食いガイウス】君の気の毒な従兄弟が動くよう手を伸ばしたのは僕さ。もしくはケイリーちゃん家中を扇動し再出兵させるのが、第二の策。どちらの成功でも、戦争と戦場が作れるからね。急過ぎて粗の目立つ計画だったけど、片方は上手くいったからまあ大したもんだ」


 終わったこととはいえ……ぺらぺら手の内を明かすトムキャットを、唖然としてサーシャリアが見つめていた。


「しかし舞台は作ったものの上演は失敗した。でも僕は勿論、まだまだ諦めていない。これからもケイリーちゃんや家臣団を事ある毎に焚きつけて、戦場を作り出すつもりさ。だから君たちはそうならないよう、努力するといい。頑張ってね! これは本心だよ」


 宣戦再布告に犯行予告、加えての応援ときた。もう無茶苦茶である。やる気があるのか無いのか、まるで分からない。


「どうして、どうして貴方は敵である私にそこまで教えてしまうのですか?」

「髪が赤くて癖毛だったから。あと健気でカワイイ」

「理由になりませんよ」

「え、そうかな? 十分だと思うけどね」


 金髪猫は困り顔で笑う。


「でもまあ……強いて言うなら。僕はきっと、あの子の存在を君みたいな人に覚えていて欲しかったんだと思う。僕の魂は蟲の園に召されるのでね。死んだ後は、彼女を想うこともできなくなっちゃうからさ」



 サーシャリアは困惑のまま黙している。

 経緯、動機、狙い、今後の動向。探ろうとした全てがあっさりと開示されてしまったのだ。わざわざ話す義理もないと言うのに。

 そして何より彼女を戸惑わせたのは、フラッフに尋ねずとも『この男は嘘をついていない』と信じさせる圧と熱を感じたからである。


「さて、そろそろランサー君が僕の着替えを調達してきてくれる頃合いだろう。女性の眼前で悪いけど、先に血の付いたシャツは脱がせて貰うよ」

「え、ええ。私も武人の端くれですから、男性の裸は慣れています。お気になさらずに」

「悪いね」


 衣擦れの音を立てつつ、雄猫がシャツを脱いでいく。


「ぎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」


 突然の大絶叫だ。

 仰天した美丈夫は目を白黒させ、フラッフは椅子から転げ落ちた。当の音源も床に尻餅をついている。


「ど、どうしたんだい一体!?」

「ななな何で女物の下着なんですかーーーーーーー!?」


 震える指の先には、雄猫の胸筋を包む高級な絹の下着。

 サーシャリアの記憶ではダークが着けているような類いの、女性向けの代物だ。


「ああ、これかい……聞いてもらえるかな?」

「ぎゃーーー!」

「あの子は戦災孤児で身寄りが無くてね。引き取り手がいないもので、遺品は僕が貰ったんだけど」

「ごぇーーー!」

「せめてものよすがに、という奴かな。あの子の下着をつけることで、僕は少しでも彼女を感じようと思ったのさ」

「うぎょーー!?」

「何度か身につけるうちに、肌触りが気に入ってね……元々サイズも合わなかったし、自分用で作らせるようになったんだよ。いいシルクだろう?」

「う゛ぉんなものじゃないでずがーー!?」

「いやいや、実はそうでもないのさ」


 ずずいずい、と詰め寄る。


「見ておくれよホラ、この陰嚢のすっきりした収まり具合を。特注で僕の身体に合わせ誂えたものだから、女物というのは正確じゃな……」

「ぎゃああああああ!」


 ぼぐん!

 コボルド王国将軍が放った正拳は元グランツ王子の股間へ直撃し、一発でその身体を床へ沈めた。


「お……おお……おおお……アマーリエ……アマーリエ……アマーリエッ」

「いーやーー! ぐにゅっとしてるーー!」


 股を押さえて痙攣するトムキャットと、右拳を振り回し感触を振り払うサーシャリア。フラッフがそれらを見てゲラゲラ笑っている。


「何事ですか!?」


 さらに、最悪の時にランサーがドアを開け戻ってきた。

 下着姿で股間を押さえる美丈夫と泣き喚く華奢な半エルフを見たこのお人好し貴族は、勘違いで激昂したのである。


「トムキャット殿! 見損ないましたぞ! 見損ないましたぞォォ!」


 ガスンガスン、と椅子でトムキャットを乱打するランサー。


「ごふっ、ぐほっ!? ま、待ってくれランサー君! 誤解だ! 誤解だよ! 何より僕は童貞だ! 君が思うような真似はしない!」

「そんなこと言ったら私だって童貞ですよ! 何の無罪証明にもなりゃーしません!」

「ごはっ、ぐへっ、や、やめ」

『うひゃひゃひゃ』

「いーーやーー! もう何なのこの空間ー!」


 惨状というべき有様である。

 丁度様子を窺いに来たレッドアイがそれらを見て、ワイングラスを片手に嘆息していた。


『……まったくどいつもこいつも、酒飲むのヘッタクソだなオイ……』

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