182:雄猫への恩返し

182:雄猫への恩返し


「トムキャット殿、何故だ! 何故止める!?」

「いや何故だじゃないよ……めでたい席で何をやっているんだい、君は」


 サーシャリアの眼前にて。

 ギリギリとマニオンの腕を押さえ付けつつ、トムキャットは呆れ顔でぼやいた。


「彼女らは、ケイリーちゃんの賓客なんだよ」

「あがが折れ、折れる」

「君は一時の酔いを口実に、主君の顔へ泥を塗るつもりなのかい?」

「そ、それは……」


 痛みが、酒で蕩けた脳に多少の理性を呼び戻したのだろう。

 青年貴族は石畳に視線を下ろし、返答に窮する。


「それに何より……戦いに敗れた恨みをこんなところでこんな風に晴らそうだなんて、筋が通らない。全く通らないよ」

「わ、分かった! 私がどうかしていた! だから腕を、腕を放してくれ!」

「駄目だね。何だか昔を思い出して、嫌な気分なんだ」

「わ! 私は大丈夫ですから! 驚いただけですから!」


 慌ててサーシャリアが止めに入った。


「そうかい? まあ、君が言うのなら」

「え、ええ。ですから、骨を折るのは止めてあげて下さい!」


 場の緊迫と、雄猫による拘束が緩む。

 そこに『サーねーちゃーん!』と転がるよう飛び込む白い毛玉。サーシャリアは彼を受け止めきれず、ベンチから「ぐえー」と転落する。

 しばらくして、フラッフを追うように走ってきたランサーが赤毛の被害者を助け起こした。


「ランサー卿、ありがとうございます」

「フラッフ君に頼まれて水差しごと運んできたのですが……いや、こんなことになっているとは、誠に申し訳ない」


 膝をつき、平謝りするランサー。

 マニオンの顔面に渾身の貧弱打撃を浴びせるフラッフを引き剥がしつつ、サーシャリアは改めて「大丈夫ですから」と応じた。


「アハハハ! いやあランサー君。まったく、危ないところだったよ」

「そのようですな、トムキャット殿のおかげでなんとか……」

「僕が彼女をつけ回していなければ、一体どうなっていたことか」

「それもどうかと思いますぞ」


 深い溜め息。続けての騒動で、酔いも大分引いたらしい。


「トムキャット殿、お手の怪我は」

「ん? ああ大したことないよこの程度。それに、まだ赤い」

「はあ……?」


 首を傾げる痩身貴族にアハハと笑い、ここへ来てようやくトムキャットはマニオンの拘束を解いた。下手人は身体を起こしたが、座り込んだまま後悔と屈辱で俯いている。


「はあ……祝宴の日にこの不祥事。ケイリー様へ、なんとご報告したら良いやら」

「別に報告しなくても、いいんじゃないかな?」


 がくりと落ちたランサーの撫で肩を叩きながら、意外にも美丈夫が隠蔽を提案した。

 彼以外の人間が、驚いた表情で視線を集中させる。


「勿論、そこのデナン女史が良ければだけどね!」


 片瞬き。


「も、勿論! コボルド……村側としても、大事にはしたくありませんので!」

「じゃあ決まりかな? 酔っ払いが集まって騒いだだけ。そういうことにしておこう」

「トムキャット殿がそれで宜しいのでしたら、まあ」

「アハハ! これで秘密を共有する仲だね、僕たち」


 苦笑いで合わせる、サーシャリアとランサー。


「……しかしこの服じゃあ、会場に戻れないな」


 下唇を突き出しつつ、美男子が白服の左腕を見つめた。

 彼の言う通り袖には染みが広がっており、胴にも赤色が点々と目立っている。これで広間へ戻れば、騒ぎになるのは間違いないだろう。


「ふむ」


 小さく唸ったトムキャットは凶器になり損ねたもう一本の瓶を拾い上げ、躊躇せずその瀟洒な礼服に赤ワインを振りかけたのだ。


「これで酒瓶を握っておけば、会場を通り抜ける間くらいは誤魔化せるだろう」

「宜しいのですか、服が」

「どの道もう着られないさ。それよりランサー君は先に行って、何処かに部屋を用意してもらってくれないかい、あと薬と包帯も。ああ、治療魔術士なんか呼ばなくていい。この傷の手当ては、人目の無い場所でしたほうが良さそうだからね」

「は、はい!」


 慌てて駆け出していくランサー。まだ酒の抜けぬ身で、難儀なことである。よろよろ立ち上がったマニオンは、トムキャットにだけ一礼して会場へ戻っていく。

 金髪猫が「気をつけるんだよー!」と、にこやかに彼らの背中へ声援を送っていた。


「さてと」


 くるり。一声呟いた美男子が、赤毛の半エルフへ向き直る。


「じゃあデナン女史には、僕の腕の手当をして貰おうかな! それくらい、お願いしてもいいだろう?」

「え!? あ、はい……」


 ここまで助けられれば、私人としても公人としても断れないのが彼女の立場であった。


「アハハ! 分かるよ。【魅了】を気にしているんだね?」

「う……」


 魔法適性者が出やすいハイエルフの血を引くサーシャリアだが、彼女自身は魔法はおろか魔術の素養すら無い。ナスタナーラのように、才能依存の抵抗は難しいのだ。


「大丈夫。五年戦争の時ほど強く発動させている訳じゃない。それにその存在を知った上でこんなに警戒しているんだ。僕のことを敵視している相手まで、メロメロにできるような代物じゃあないのさ」


 雄猫は笑いながらそう言い立てた後、


「……そう言えばあの子にも、【魅了】は全然効かなかったなぁ。怒って……たんだろうな」


 寂しげな眼差しを、サーシャリアの赤い髪になぞらせていた。


『悪意も嘘もない……はずだけけど』


 こっそり彼女に耳打ちしたのは、抱きかかえているフラッフだ。【魅了】に包まれた魂への嗅覚が鈍いせいか、確信には至らない様子である。

 しかしそれでもサーシャリアは、敢えてその言葉を信じることとした。綿毛と頬を合わせたまま、こちらも小さく囁き返す。


「……フラッフ。私がおかしくなったら、残った右耳を噛み千切って正気に戻しなさい。命令よ」

『嘘でしょ!?』


 軽率の誹りは免れまい。フラッフという保険を確保した上とはいえ、酒で気が大きくなっていたのは間違いないだろう。事実、後の日にサーシャリアはダークからこっぴどく説教を受けることとなる。

 だが何より彼女は、この不可思議な男について少しでも知るべきだと考えたのだ。それはコボルド王国軍事指導者としての立場でもあり、サーシャリア=デナン個人としての立場でもあった。


「私のために負われた怪我ですもの。是非、手当させていただきます」

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