239:星空へ還った友に

239:星空へ還った友に


 混乱の中でも、騎士の誰かが走らせていたのだろう。数頭送られた早馬は枯れ川を遡上し、本陣陥落とオジー=キノン戦死の報を朝方までにはイスフォード軍前線へ届けていた。

 その知らせは将兵の著しい動揺を招き、予定されていた総攻撃は協議すらなく中断されることとなる。

 だが無理もあるまい。最早彼らには戦う理由も、戦わされる理由も無いのだから。そして仇討ちをしてもらうには、【剥製屋】という男は人望があまりに欠如していた。さらにはここに至って退く指示を出す決定権者もいないのが、キノン家家中なのだ。

 オジー=キノンという享楽に生きた男が、自身の死後へいかに無関心であったかという証左だろう。


 もしこの時前線戦力約八百名が総攻勢に出ていれば、既に【緑の城】のほとんどを失い、かつ精鋭を奇襲作戦へ投入中のコボルド防御線は九倍相当の戦力差に為す術無く粉砕されたのは疑いない。

 しかしこの時、むしろ攻勢に出たのは毛玉の戦士たちだったのである。


『『『あおぉぉぉぉん』』』


 不意の遠吠えの直後。

 イスフォード軍中央左翼寄りに位置するとある部隊五十名は、コボルド兵約九十名からの一斉射撃を受けた。健在な防衛戦力のほぼ全てを大胆にもここへ集め、【緑の城】内部の抜け道を通じて展開されたコボルド側の包囲集中攻撃だ。

 大混乱に陥ったその部隊は続けて杖剣突撃を受け、壊滅。そして「遠吠えを前兆に猛攻撃が来る」という証言を携え、敗残兵が近隣部隊の陣地へ逃げ込んでいく。

 それをもう二、三度別箇所に繰り返すだけで恐怖はイスフォード全軍へ伝播し、加えて森中を駆けてきたコボルド親衛隊が一角の後背へ騎兵突撃をかけたことで、イスフォード軍の士気は完全に崩壊する。


「……九倍兵力への追撃戦なんて、戦史でもほとんど見たことがないわね」


 仮設指揮所で戦闘地図を見つめつつ、サーシャリア=デナンはそう呟いたという。

 用兵家としての彼女は守勢を本質としており、逆に追撃や掃討戦では必要な積極性を度々欠いたというのが当時と後世に共通する評だが……それでもこの日コボルド王国軍は、全力でイスフォード軍を蹴散らした。人界との妥協材料を得るため、コボルド側は戦果を挙げねばならないのだから。

 戦意も指揮系統も崩れたヒューマンの軍隊は魔弾に貫かれ、杖剣で突かれ、あるいは木々の海で遭難し、追っ手に囲まれ降伏していく。

 分かりやすい避難経路である枯れ川に向け逃亡者は殺到し、転んだ兵が混乱の中で踏み潰され死ぬという惨状も多数報告されている。三十名からなる部隊がたまたま遭遇したコボルド霊話偵察兵に降伏した例すらあったというのだから、いかに彼らの精神が追い詰められていたかが窺えるだろう。


 約八百名の前線戦力は百八十八名が戦死または行方不明となり、二百五十八名が捕虜となった。這々の体で【大森林】から逃げ延びた残りの兵約三百五十も、最早戦闘に耐えうる精神状態ではなかったという。

 ともあれこの日の追撃戦で、イスフォード軍は圧倒的優勢から圧倒的敗北へと転落したのだ。



 そんな中、ここにきて侵攻側でも意外な健闘をみせる人物がいた。イグリス中央から派遣されていた軍監、ビクトリア=ギナだ。

 彼女は森の周辺に散らばった敗残将兵を懸命に掻き集めると、避難所の体に近いものながら陣を再建。遠征先で一地方領軍が四散するという、最悪の事態だけは回避する。

 そして無気力化したキノン家家臣団から押しつけ気味に交渉権を預けられると、コボルド陣営に対し捕虜返還の交渉に赴いたのだった。

 現在枯れ川中流でかつての同期が対面しているのは、そういった事情による。


「久しぶりね、学年主席殿」

「ああそうだな、学年『次席』殿」


 サーシャリアとビクトリアが「「フン!」」と鼻を鳴らし、そっぽを向く。


「相ッ変わらず、仲悪いでありますな……」


 呆れた様子でそれを眺める、もう一人の同期ダーク。

 なおこの場にガイウスがいないのは、彼女による一応の配慮であった。


「そうなのか?」

「ええ、学生の頃からこうであります。まあ自分は当時それほど親交も無かったので、ニヤニヤ眺めているだけでありましたが」


 チャスの問いに、ゆっくり頭を振りながら女剣士が答える。


「キー! こいつの性格が悪いからよ!」

「フン! こいつの根性が歪んでいるからだ!」

「「あーはいはい」」


 黒髪の二剣士から、溜め息交じりの相槌。


「……しかしサーシャリア=デナンだけでなく、ダークまでここにいたのか。公安院を勝手に抜けて、指名手配されているとは聞いていたが」

「え? だって自分、ガイウス殿の愛人ですし」


 拳を振り上げ異議申し立てをする半エルフを押さえ込みつつ、恒例のほらを吹く黒剣士。


「あああ愛人っ!? き、貴様そんな爛れたことをしていたのか!? 結婚前の男女がそそそそそんな! だだ大体いくつ歳が離れていると思っているのだ!? ふふふふしだらな!」

「やだこの子、思ってたより可愛いかもであります」


 僚友の瞳に邪悪な光が灯ったのを察し、赤毛エルフが渾身の肘打ちを脇腹へ打ち込む。苦悶の呻きと共に、解かれる拘束。


「まあまあ。もうそのあたりにしておけよ、お前さんたち」


 額を突きつけ睨み合うサーシャリアとビクトリアを、見かねたチャスが左掌で割り込み仲裁した。右腕を三角巾で吊っているのは、ガイウスから蹴り飛ばされた時に折ったのだろう。


「「フン!」」


 示し合わせたように、またもそっぽを向く二人。

 だがこんな調子でも、必要なやり取りは欠かさぬあたりが彼女らである。周辺領域からのイスフォード軍撤退と本陣物資を身代金代わりとすることで、捕虜の返還交渉は無事まとめられた。

 まあ早く解放したいコボルド側と、取り戻したいイスフォード側の利害合致ではあるが。


「それにしても、デナン家も墜ちたものだな。貴様のような反逆者を出すとは」

「へーんだ! もうあんな家、私に関係ないし! 燃えようが潰れようが腐ろうがどうでもいいから! それこそぺっぺっぺーのぺっぺっぺよ! 私には私のやることと、やらなきゃいけないことと、やりたいことがあるの!」

「ぬぐっ……!?」


 最後のほうは何か胸を抉ったのだろう。苦い顔をして、暗金髪の女騎士がたじろぐ。

 一方言うだけ言った欠け耳エルフは、すっきりしたのか落ち着いた様子。


「……まあそれはさておき、これを中央へ持って帰ってくれる?」

「何だ、この書状は?」

「あくまで今回は【大森林】内の開拓村を守るための戦闘です! 当方は自衛のためにはやむを得ず武力を行使しますが、自衛以上のことで中央と事を構える意図はありません! っていうガイウス様からの申し立て!」


 書かれた内容も口上も、ごく形式的なものだ。大した意味も、効果もあるまい。

 しかしミスリルの機密が漏れておらず、そして損害の大きさから人界側が諦める……というか細い可能性に縋る以上、欠かせぬ形式でもある。


「……一応、書状だけは預かっておく」


 コボルド村が人道と南方協定に則って捕虜返還に応じてくれた以上、少なくともその程度はビクトリアも無碍にはできぬ。無碍にすればそれは交渉権を押しつけたイスフォード軍と、彼女を派遣したイグリス王国の沽券に関わるだろう。


「だがこれ以上のことは何も聞けんし、受けられんぞ」

「そんなの分かってるわよ」

「「フン!」」

「「やれやれ」」


 こうして交渉は締め切られた。

 ビクトリアに長居する理由は無いし、サーシャリアらも相手は【剥製屋】以上の情報を持っていないと判断したためだ。

 そして翌日行われた引き渡しとイスフォード軍のライボローへの撤退開始をもって、第五次コボルド王国防衛戦は完全に終結する。


 コボルド王国軍投入戦闘人員二百四十六名のうち、戦死は二割近い三十八名。負傷者は三割強の八十五名。そして空襲による死者が二十六名。


 一方イスフォード伯爵領軍は総投入戦力千三百名のうち、戦死及び行方不明者が三百六十四名。負傷者は五百八十一名。なにより当主オジー=キノンまでもが敗死している。

 これまでで最もコボルド王国を追い詰めた侵攻軍とはいえ、引き換えに被った損害はあまりにも大きいだろう。


 ……第五次コボルド王国防衛戦。

 双方大きな犠牲を払いながらも、平和の訪れを期待できぬ戦いの終わりであった。



イスフィード伯爵領軍が遠征先で消滅するという最悪の事態を回避できたのは、ビクトリアの努力に起因するものだ。これは後々やってくるザカライア=ベルギロスのグリンウォリック伯爵領軍とこの残存戦力を連携させよう、というイグリス王国中央軍人としての視点に立ったものである。

 だがこれは見当違いの誤算に他ならない。敗残軍はグリンウォリック軍との連携はおろか引き継ぎもすることなく、そのまま自領へ帰ってしまったのだから。


 これによりビクトリアの奔走は徒労に終わり、間近に控えていながらむしろ大貴族オジー=キノンをみすみす戦死させた上、イスフォード軍も留められなかった……という失態だけが残ってしまう。

 ノースプレイン領掌握に奔走中の新生鉄鎖騎士団も彼女を庇うことはなく、何も支援をしなかったことを棚に上げ全ての責任をビクトリア一人に負わせたのであった。

 こうしてビクトリア=ギナは叱責なり処罰なりが確実の身で、報告のために王都へ戻されることが決まったのだ。


「何故、何故こんな目に」

「いやいや、お前さんは頑張ったよ」

「い、一体どんな処分を受けることになるんだ」

「権限も何もないのに責任だけおっ被せられるなんざ、ひでえ話さ」

「ううう、ギナ家の面目が」

「元気出せよ。まあそらクビになるかも知れねえけどよ、いいじゃねえかそんな職場」

「うるさいッ! 貴様に何が分かるッ!?」


 ビクトリアが涙目で投げつけた冊子を、空中で掴み取るチャス。


「私はギナ家の跡取りとして、果たすべき義務と保つべき立場があるのだ! 罷免などされようものなら、私は、私の存在意義がっ!」

「おいそれ投げんな! もう手が空いてな……うわっ」


 続いて飛んできた水差しは、流石にどうしようも無かったらしい。


「あー……しゃーねえなあ……」


 元冒険者はぼやきつつ顔を拭うと、水差しと冊子を女騎士の卓上へ戻す。


「……でもよ、向こうに帰ってもあんまり思い詰めんなよ? もう八つ当たりも受けてやれねえんだからさ」

「え!?」

「え?」


 唖然として、間抜け面同士が見つめ合う。


「つつつつつ付いてこないのか!?」

「何でだよ!? 何でそう思うんだよ!?」

「だ、だってほら、家に帰るまでが遠征って言うだろう!? 案内人も、送り届けるまでが案内人ってことでいいではないか!?」


 えええ、と声を上げて困惑するチャス。


「そ、それに貴様もノースプレインで無職を続けるよりは、王都で私に雇われていた方がマシだろう!?」

「あー、その王都が問題でな……俺は十五、六年ぐらい昔に、モメたヤクザ一党を斬っちまったんだよ。だからこのノースプレインくんだりまで、トンズラこいてたのさ」

「え……!? じゃあ貴様、ミッドランドで指名手配されてるのか!?」

「ん? まあ家族と手紙でやり取りした分には、そうでもないらしいが……」


 当時は戦後の混乱期でもあり、治安機構も本気で捜査などしなかったのだろう。

 所詮は無頼同士の抗争である、と。


「では、その組織の報復が心配ということか」

「うーん……組まるごと全員始末したからなぁ」

「だ、だったら問題ない? ではないか。うん、黙っていれば問題ないよな?」

「いやその……王都には嫌な記憶が多いから、帰るのが単純に怖えんだよ……」

「それはいかん! 恐れていてばかりでは、何も解決しないぞ!」

「お前さんの言うことかよ!?」

「大丈夫! 今更公安院も気になんかしないさ! それにだ! 貴様も長いこと実家に帰っていなかったのだろう? だったら里帰りのいい機会じゃないか! うむうむそうだそれがいい! 貴族の雇われとして帰るなら、市井の面倒ごとにも巻き込まれにくいはずだしな! な? な? な?」


 早口で言い切った後に、潤んだ瞳がチャスを見上げる。


「おい止めろって……頼むから、そんな目で見なさんな」


 しばし交差する二つの視線。

 だが結局は片方の敗北で、それは打ち切られるのであった。


「だーかーら行かねえの! 俺は、絶対に行かねえからな!」



 ドラゴンの死体は結局乗り手共々【ゴブリン火】で火葬に付され、そのまま草原へと埋葬された。

 強固な鱗や爪牙の利用意見も出るには出たが、流石に人語を解する知的生命の身体を用することは躊躇われ、そして何より村の非戦闘員を狙った当事者であることもそれを妨げた。軽量ながら加工次第で高強度を確保しうる魔法金属ミスリルが潤沢に存在したことも、理由となっただろう。

 そういった諸々の戦後処理や防御設備の応急復旧、星送りの儀などに並行し……コボルド王国の皆は、遅れに遅れた農作業の挽回に精を出している。


『王様、また、苗を植えながら、畝、壊してる』

「ぬおう!? す、すまぬ」

「ったく。オッサン腕っ節以外はホント、からっきし駄目だよな」

「全くもって面目ない」

『ま、これからは、僕らが厳しく、教えてあげなきゃね』


 亡父レッドアイの遺志を継ぎ頑張るフィッシュボーンと、鍛錬兼労働中のドワエモンからお叱りが飛ぶ。

 首をすぼめて謝りつつも、ふと手を止め空を見上げるコボルド王。


「どうしたオッサン」

「いや……今のやり取りで、少し思い出したのさ」


 ……ん? お前さんこれからも、ずっとここにいるんだろ? 時間は幾らでもあるからな。ま、いくら鈍臭くっても、年月かけりゃ多少はマシになるさ。


 それは、星空へ還ってしまった友の声。仲間として受け入れてくれた、暖かな言の葉。

 ガイウスは天へ向け「そうだな」と一人呟き、小さく笑う。


「……さて! 私も気合いを入れ直さないとな」

『王様! また! 畝! 踏んでる!』

「テメー足引っ張ってんじゃねえよゴルァ!」


 よく肥えた土が王の顔面へ飛んできたのは、その直後であった。

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