238:【剥製屋】の願い
238:【剥製屋】の願い
イスフォード兵の逃げ去った本陣。
天幕の外へ引き摺り出され、木箱に背を預けた【剥製屋】にガイウスが歩み寄る。
「久しぶりだな、イスフォード伯オジー=キノン」
「ダハッ……オッレはお前の皮と再会する……ぐ……予定だっただけどな! ベルダラスよぉ。いや、【竜殺者(ドラゴンスレイヤー)】とでも呼んでやろうか? ダハッいてて」
出血が酷い。内臓の損傷も深く、彼がまもなく死に至るのは明白であった。
「貴殿が死ぬ前に、聞いておきたいことがある」
「あー……やっぱりこの傷死ぬと思うか? だよなー死ぬよなこれ。あーあ……しゃあねえなあ、あだだ」
これでもやはり一武門の頭ということか。
最期を目前としたこと自体には、さして狼狽えもせぬキノン。
「で……いてて。何だよ」
「貴殿は、コボルド村がミスリル鉱床を有していると知っていたか」
「……なんだと!?」
鮫伯爵が目を剥く。
余程驚いたのだろう。一瞬、上半身を浮かすほどであった。
「チッ……そうかー、そういうことかー。鹵獲したお前ントコの魔杖、性能がミョーに高かったのも……合点がいったぜクソがよ……ノースプレイン軍やグリンウォリック軍からの分捕り品で……ぐぐぐぐ……魔杖兵を整えてたって噂は、ガセじゃねえか」
再び箱に体重を委ねつつ、苦痛混じりの溜め息を吐く【剥製屋】。
「では貴軍は、ミスリル鉱床のために戦を仕掛けたのではないと」
「ダハッ……んな訳ねえだろ。オッレはノースプレイン分割統治とそれに必要な功績作りに……宰相閣下から、お前とコボルド族の討伐要請を受けた……だけさ」
「イグリス王国首脳部は……貴殿に出兵を要請した宰相エグバード=ビッグバーグ様は、コボルド村のミスリル鉱床についてはご存じないのか」
「知らねーよ! いぢぢ、そんな話カケラも聞いたこたぁ……ねえやグッ!?」
身を捩る鮫男。
その間にガイウスはレイングラスに目配せし、【剥製屋】の言葉に嘘がないことを確かめていた。
『コイツ、大したことは知らないみたいだな』
隣にいた赤胡麻コボルドが、耳裏を掻きながら肩を落とす。
「だが結局これが、現時点で得られる最良の返事なのだ。仕方あるまい」
そもそもこの尋問自体、イグリス王国が総力を挙げコボルド村を潰しに来るのか、という最悪の答えを問うものなのだ。
今回は終わりが突きつけられなかったに過ぎぬ。つまるところ「ミスリルの存在は漏れていない」という願望へ、妖精犬王国はまだまだ縋り続けねばならないのだろう。
「おい……コボルド狩人」
『ん? 俺か』
猟兵隊長へ、瀕死の皮剥ぎ伯爵が声を掛けた。
「このオッレを討ち取ったお前に……栄誉を授けてやる」
『何だよそれ』
「オッレの亡骸を……剥製にしろ」
『はあー?』
「今気付いたんだ……オッレはもう死ぬ……もう死ぬが最期にオッレ自身も剥製となることで……オッレの人生は、一つの壮大な芸術として完成する! ……お前はその仕上げを手伝う、栄えある共同作者になる……ググ、んだ」
エモンやナスタナーラ、周囲のコボルド兵が眉を顰める。
オジー=キノン独特の美学哲学を理解しうるのは、どうやらこの場では当人だけらしい。
『え……嫌だけど? 嫌すぎる』
「はああああ!? だってお前……こういう時の対応ってのは……相手の最期の希望を聞いてやるのが相場ってもんだろォ、常識的に考えて! 同じく剥製作りを愛する、狩人としてもよぉ!」
『いや普通、言葉喋る相手の剥製なんか作ろうと思わねえぞ。馬鹿じゃねえの? 大体お前の汚くて臭い皮に、何の価値があるんだよ』
「ちょっと待て……待てよ!」
どうしてか、レイングラスに拒否される可能性を全く考えていなかったようだ。
ここにきてオジー=キノンが、痛みではなく憔悴で顔を歪ませる。
「待ってくれよ! オッレもう死んじまうよぅ……なあその前にオッレを剥製にするって……言ってくれよ約束してくれよ誓ってくれよ……頼むよ……頼むよぉぉん! オッレの皮を剥いでくれよぉぉん!」
子供のようにべそをかきながら、赤胡麻の狩人へ縋り付こうと手を伸ばす【剥製屋】。
「じゃあ仕方ねえ、ベ、ベルダラス! お前は……お前はやってくれるよな!? 武人の情けってお前ならよーく分かるよな? 分かるよなあ!?」
「ふむ……情けか。そうだな、それも良いかもしれぬ」
もう血の気の消えた顔を、ぱあっと伯爵が明るくする。
「貴殿が享楽のため犠牲とした無辜の民……彼らが助けを求めた時、一度でも情けをかけたことがあったのならば、な」
「あるあるあ……るぜ! 命乞いされてよ! いでで、流石にオッレも哀れに感じたから、五回ばかり見逃したことがあるんだぜ!」
瀕死の身体から振り絞られる、懸命の声。
コボルド王はその姿を、冷ややかに見下ろしている。
「……芝居の下手な男だ。正直者として生きてきたためだろうな、自分の欲望に」
『ああ、お前の言う通りさガイウス』
毛皮の戦友は、悪臭でも嗅いだかのように鼻へ皺を寄せる。
『とびきり濃い、嘘の臭いだ』
「そういうことだ。オジー=キノン」
「しょんなぁ……」
涙と鼻水を垂れ流すイスフォード伯爵が、か細い声で鳴く。
そしてこの猟奇貴族は、それきり動かなくなるのであった。
◆
『ガイウスだけ、ちょっと見てくれるか』
【剥製屋】の亡骸を眺めていたレイングラスが、不意に声を掛ける。指差すのは、近くの天幕だ。
何かを察したガイウスは入り口の厚布をずらして中を覗き……そしてまた、すぐに閉めた。
「お、何だよオッサン。何があったんだよ」
「ワタクシも気になりますわ」
「駄目だ。君たちはあっちへ行っていなさい」
少年たちが歩み寄ってきたが、ガイウスはいつになく厳しい態度で押し退ける。
「ダーク、お前は二人を連れて向こうへ行け。他の天幕ももう、エモンたちには開けさせるな」
「了解であります」
「何だよ、またガキ扱いして」
「ですわですわ!」
不平を漏らす勇者志望と伯爵令嬢は、黒い女剣士に手を引かれ去って行った。
「ブルーゲイル。突入部隊の皆から【ゴブリン火】の残りを全部集めさせ、レイングラスに渡してくれ」
『畏まりました、陛下ッ!』
敬礼で応じた親衛隊長と隊員が、散らばった仲間を呼びに行く。
これでここに残るのは、コボルド王と猟兵隊長のみだ。
『……すまねえなガイウス。あいつはきっと、エモンやナッスちゃんには今の姿を見せたくねえと思うだろうからさ』
「いや、私も同感だよ」
向こうで手を振り隊員を集めるブルーゲイルを眺めながら、同意するガイウス。
『……フォグもレッドアイも……また、ダチが減っちまったなあ』
「ああ……そうだな」
そう答えつつ、ガイウスが戦友の後ろ姿へ視線を向ける。
古い友人をまた一人失った狩人の背は、寂しそうに少し曲がっていた。
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