192:学者さんいらっしゃい
192:学者さんいらっしゃい
それから十日ほどもした頃。件の学者は、意外にもルース商会に連れられ到着した。
コボルド村に出入りが多いダギー=ルースとランサーは既に顔見知りであり、丁度領都フォートスタンズに定期の商用で訪れていた彼らへ、ランサーが片道の案内を依頼したのだという。
商会長としてもジガン家家臣と個人的な誼を結ぶ機会と言え、快諾したに違いない。
「レイモンドです。こちらは助手のモニカ。短い間ですが、宜しくお願いします」
立派な顎髭を蓄えた白髪交じりの紳士が、帽子を脱いで赤毛のエルフに挨拶した。いかにも、という風貌である。
彼と助手が五日間村に滞在して視察報告を持ち帰り、大学や学界で共有するという話だ。
「ご滞在の間、案内などさせていただきますサーシャリア=デナンと申します。こちらこそ、宜しくお願い致します」
物腰柔らかな教授と握手した後、モニカへも手を差し出すサーシャリア。しかしこちらは、無愛想に鼻を鳴らすだけであった。レイモンドは助手の無礼に困った表情を浮かべるが、意外にも咎めすらしない。
「レイモンドさん、大変申し訳ありませんが……主のガイウスは、ここのところ腰を痛め伏せっておりまして。ご挨拶もできかねる状態で、ご無礼、重ねてお詫び申し上げます」
「いやいや結構、結構ですよデナンさん。ランサー卿からも伺っております。ベルダラス卿のお加減が悪いのでしたら、無理をなさることはありません。私たちのことは気にせず、療養してくださいとお伝え下され」
明らかにホッとした顔で、レイモンドは息をついている。年代的にもおそらく、【イグリスの黒薔薇】を悪評で知っているのだろう。それを押してもここを訪れたのは、やはり学術的探究心のためか。
「ありがとうございます。そのお気持ち、主に伝えさせていただきます」
一方サーシャリアらも、客人に偽ってまで国王を幽閉しておいたのは正解だった……と胸を撫で下ろしていた。これは先の訪問時にランサーと打ち合わせたことで、学者を威圧せぬよう配慮した作戦なのである。
ガイウスは「私が応対しなくて失礼にあたらないかな」と心配していたが、ランサーが口裏を合わせているため、教授に対し無礼にはあたるまい。今頃囚われの王は自室という名の牢獄で、幼い毛玉の看守たちへ絵本の読み聞かせでもしていることだろう。
「お疲れでしょう。まずは、宿へご案内致しますので」
「僕ドワエモンです! お姉さんのお荷物、お持ちしますね!」
妙齢の女性客に張り切ったドワーフ少年が、コボルドらに先駆けて荷物を担ぎ上げる。
だがモニカは一瞥もせず、サーシャリアに対し口を尖らせていた。
「ちょっとエルフのアナタ、犬たちに虫除けをしっかり焚かせてよね? 昨晩、枯れた川の途中でボロ屋に泊まったときも、虫が入ってきて眠れなかったわ」
「あ、はい! 分かりました」
苦情に、慌てて応じるサーシャリア。
流石にまずいと思ったのか、レイモンドがそこに割って入る。
「あーデナンさん! あっちにそびえるのが、ランサー卿も仰っていた双子岩ですな! いやー聞いていた通り、中々勇壮な光景ですね! 打ち合わせ後に、見学させていただいてもよろしいですか!?」
「え、ええ。勿論です。構いませんとも、教授」
気圧され気味に、赤い癖毛が上下に揺れた。
「で、ではとりあえず、こちらへどうぞ」
『『『どうぞー』』』
「はいはい、コボルドの皆さんも、よろしくお願いしますね」
「……フン」
ようやくにしてぎこちなく歩き始める、賓客と接待役。
……どうも出だしから、成り行きが心配な視察であった。
◆
「ああ、疲れたわ。精神的に」
「お疲れ様ですな。この後もお仕事で?」
「ううん、夜警は、ブロッサムの白霧隊に任せてきたわ」
日も傾き始め、その日の案内を終えたサーシャリアが炉端に座り込む。
その肩と首を、寄り添ったダークが揉みほぐし始めた。
「ねえダーク、ガイウス様は?」
「コボルドの子供らが身体の上で眠ってしまったので、自室から身動きが取れない様子であります。まーじきに、少しずつ迎えが来るでしょう」
「そう。報告はその後でいいわね」
「打ち合わせはいかがでした?」
「今日は村の草地と双子岩、あとはヌシや湖を見てもらったけど、明日から教授は猟兵隊と一緒に森へ入って、二泊三日の【大森林】現地調査よ。ダークもそれに同行しておいて」
「了解であります」
「レイングラスさんなら問題ないでしょうけど、それでも文化の違いとかがあるもの。念のための、橋渡し要員よ」
御意御意と笑いながら、黒髪の僚友が指に力を入れる。
「ああ……気持ちいい。按摩上手よね、ダーク」
「ケケケ、指と舌には自信がありますので。特に寝室でなら……もっとよくできますがね?」
耳裏に息を吹きかけるダークを、サーシャリアが押し退けた。
「あん」とわざとらしく喘ぎつつ剣士が尻餅をつくと、その下にはうつ伏せで寝そべるドワエモンの背。だが少年は「グエー」と小さく呻くも、質量に押し潰されるままであった。
「どうしたでありますか、エモン。元気ありませぬな。どこか具合でも?」
「折角久しぶりにオネーチャンとの出会いがあると思ったのに……まるで相手にしてもらえなかった……」
思えばエモンは和平交渉にも同行しておらず。ここ最近、ルース商会以外に外部の独身女性と出会う機会は無かったのである。落胆もさもありなん、といったところか。
「あー、あのモニカとかいう女でありますか。止めとけ止めとけ、であります」
「何でだよー」
背に姐御の尻を載せたまま、エモンが首を捻る。
「ありゃー、教授の愛人でありますよ。実際、助手も兼ねているやも知れませぬが」
「「え、そうなの!?」」
エモンとサーシャリア揃えての、頓狂な声。
「勘……というか臭いでありますかね。でもまあ、十中八九間違いないでしょう」
「でもあの教授って結婚指輪してたわよね?」
「不倫でありましょう」
「「あー……」」
得心した顔を見合わせる、半エルフとドワーフ。
「大方、大学経費での視察に愛人を伴ったはいいものの、彼女はこんなド辺境に連れてこられてご機嫌絶賛大斜め、といったところではありませぬかなー? 無礼を咎めぬのも、おそらくは元々、若く我が儘な愛人を教授が持て余しておるのでしょう」
誹謗同然の仮説だが……それは妙な説得力を帯びていた。もしそうなら、二人の関係と態度も納得がいくというものである。大体こんな奥地へ現地調査(フィールドワーク)に来ておきながら「虫が多い」と不平をこぼすこと自体、真っ当な学術研究者の言動ではない。
「……あの教授も、大丈夫な人なのかしら?」
とはいえ、コボルド同伴で念入りに一問一答人柄診断する訳にもいくまい。いくら何でも無礼に過ぎる。
「ま、問題ないかと。偽者ってことはありませぬし、それなりに名の通った学者さんだというランサー卿のお話も本当でしょう。でありますよな、ナスタナーラ?」
居間の隅でフラッフと積み木崩しに興じていた褐色娘が、呼び声に応じ向き直った。
「ええ。お顔を見たのは初めてですけど……あの方が十年くらい前に書かれた呪術や魔法道具の著作は、ワタクシ何冊か読んだことがありますわ」
「ん? 【大森林】研究じゃないの?」
「専門は魔法道具、呪術や魔術刻印の類だったはずですわ。でもここ最近は論文や研究でお名前を耳にしませんでしたから、【大森林】関連の研究に移ったのかもしれませんわね。そうでなくとも元々、いくつもの分野で実績があった方のようですし」
「へえ」
「それにまあそもそも今回は、研究と言うより忙しい学者仲間の代表としてお見えになったようですから。きっと他分野の視察もその内なのですわ。安全性や案内人の信頼性、村が滞在に適するか、とか。とかとかとか!」
「そういえばそうね」
「そんなことよりもお姉様方」
腕を組み、褐色令嬢が首を傾げた。
「アイジンってどういう意味ですの?」
しまった、という顔のサーシャリア。
「ナスタナーラは知らなくて良いのよ」
「そうですなー、言うなれば、自分とガイウス殿の関係でありますよ」
「あらゆる意味で何言ってるのよダーク!」
咎めるエルフを、黒髪剣士はヘラヘラ笑いつつ押さえ込む。
「団長とダークお姉様……?」
「そうそう、であります」
「すると、お母さんみたいなものですわね?」
「ウフフ……そう……自分はガイウス殿のママ……」
「ちょっとナスタナーラ! 眠りかけていたダークの新性癖を呼び起こさないでくれる!?」
「え!? どうしてワタクシ怒られてますの!?」
王宮は今日も、賑やかなものである。
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