193:休暇の終わり

193:休暇の終わり


「うーちの坊ちゃんは、いつまでたってもしっかりしなぐで困るんですよ~、博打も好きだしぃ、酒も好きだしぃ。お、女の人にも全然縁が無くて、彼女だって一度もできたことが無いし~。先代先々代からお世話を頼まれてるんですけどぉ、なかなかこう、うまくいかなくてぇ」

『大変ねえ、アンナちゃん。手のかかる大きな子供のお守りは』

『『『男ってほんとダメよねー』』』


 コボルド村からの出荷物を馬車に積み込みつつ、ルース商会秘書のアンナと主婦連合が談笑している。

 身の丈十尺(約三メートル)のオーガ族であるアンナと小柄なコボルドたちが並んで作業する様子は、なかなかに愛らしく面白い。


『でもうちの宿六も若い頃とんだボケナスだったんだけどね、それでも子供が生まれたら多少マシになってきたから……ま、男っていうのは、長い目で躾けていくしかないわよ』

「子供……なるほど!」

『『『?』』』


 どうもおしゃべりの流れで、主婦連合は何かの引き金を引いてしまったらしい。

 そして丁度そんなところへ。ある不機嫌な女性が、馬を伴い現れたのであった。


「ちょっと! ルース商会のオーガ」

「はいぃ? あ、モニカさん。あれ? きょ、教授や狩人さんたちと、森に入ったんじゃありませんでしたか?」

「冗談じゃないわ! あんな森に何で私が入らなきゃいけないのよ、馬鹿馬鹿しい」


 ああ、とアンナが息を漏らす。

 モニカとレイモンドとの間にどんな応酬があったのか、道中を数日共にしたこのオーガ秘書は察したのだろう。


「ルース商会はこれから帰るんでしょ?」

「え、ええ。森を出て西へ。ゴルドチェスターのウィートマークへ向かいます~」

「森の外まででいいわ、私も同行する。ライボローを経由してフォートスタンズへ帰るのは、一人でできるから」

「え、いいんですかぁ? か、勝手に帰ってぇ」

「いいのよ! 男女の諍いに他人が口を出さないで!」

「はいぃぃぃ」


 剣幕に押されたオーガ十尺が、しおしおと縮こまる。

 あまりの言い草に主婦連合は文句を言いかけるも、アンナが苦笑いしつつそれを制していた。そうなると後は他人の痴話喧嘩以外何物でもなく、奥様方もそれ以上の口を挟めない。


「ダメなら私、一人で帰るから! 本気だからね!」

「わ、分かりましたぁ。森を出るまででモニカさんに何かあったら、ランサー卿にも申し訳が立ちませんもの。坊……商会長にも、私から頼んでおきます」

「いいわ、じれったい! 私から言うから!」


 すごい迫力だ。


「あのう、では、コボルドさんに頼んで、森に入った教授へ連絡だけでも……」

「あの人には言わないで! 戻ってきてから思い知ればいいのよ。犬の皆も、分かったわね!? 絶対に言わないでよ! 言ったら外で、この村のことボロクソで評判広めてやるんだから!」


 言うだけ言い放って返事も聞かす、助手はズカズカとダギーらの方へ歩いて行く。


『……何あれ、酷い女』

『どう思う? なんだか嘘っぽいけど』

『痴話喧嘩の話なんて、都合のいいことしか言わないでしょ』

『まあ、それもそうか』


 ひそひそと話しながら、主婦連合がモニカの背中を睨んでいる。


『アンナちゃんかわいそうに。気にしちゃダメよ?』

「い、いいんですぅ~。商売してると、ああいう人には慣れてますので」


 再び苦笑いしながら、作業を再開するアンナ。


「さ。つ、積み込みあと少しなので、ぱぱっと片付けちゃいますね~」

『『『はーい』』』


 ……その後、ダギーをも説き伏せたモニカはルース商会に交ざって枯れ川を下り、翌日森の入り口で別れると、単身馬を駆り帰ってしまった。


 コボルド王国側も、この対応には大変悩まされたのだが。


「何よりモニカ女史本人の希望だし、ふん縛って止める訳にもいかんでしょ? それに、もし伝えて教授が引き返し視察を中断しちまったら、彼は学者仲間や大学に対し面目が丸潰れになるんですぜ。そうしたら、取り返しがつかなくなりまさぁ。若い愛人のご機嫌取りなんか、帰ってからやってもらやいいんです。それに第一あれだ、あんなのはいない方が話が進むってもんですよ」


 という商会長の助言もあり、それに従ったのだ。そもそもヒューマン男女の痴話喧嘩を上手く調停できる器用でまともな人材が、残念ながらコボルド王国首脳陣にはまるで存在しない。


 結局、猟兵隊へ連絡するのも憚られたまま翌々日の夕方となり。

 その時になって初めて、レイモンド教授は助手の離脱を知ることとなったのである。



「馬鹿な! 馬鹿なぁ! あの馬鹿女! う、裏切りおって! 私が何のために、何のためにここまでしたと思っているのだ!」


 気を重くしながらレイモンドに事態を説明したサーシャリアらであったが。そこから得られた紳士の反応は、狼狽……彼女らの予想とは大きく違う方向での狼狽であった。いやむしろ、錯乱と形容するほうが妥当だろう。


「こうしてはおれん、私は今すぐ帰る!」

「で、ですが教授。もうすぐ夜ですよ? 出発なさるにしても、明日の朝になってからのほうが宜しいかと存じます」

「いいやデナンさん、申し訳ないが事態は一刻一秒を争うのです」

「えええ……?」


 賓客相手と言えど、流石に困惑を隠せない。


「モニカがフォートスタンズに着く前に、どうしても私は戻らねばならないのです!」

「教授、モニカさんが出発したのは二日も前なのです。どうやっても、これから彼女に追いつくなど不可能だと考えます」

「そんなことを言っていたら、私は破滅だ!」

「えええー……!?」


 やり取りを見て、今度こそ腹に据えかねたコボルド主婦らが文句を言う。


『この機会に浮気なんか止めて、奥さんのとこに帰んな!』

『そうよそうよ!』

「ふざけるな! そのように程度の低い問題では無い! そんなことはどうでもいい!」

『え? 違うの?』


 激昂した教授の回答に、御婦人方が首を傾げる。


「もういい! 送ってもらえないなら、護衛もいりませんから!」

「そんな、危ないですよ教授。枯れ川沿いでも、魔獣が出ないとは限りませ……」

「口出しするなエルフの小娘! 私は帰らねばならん! そうでなければ、そうでなければ!」

「お、落ち着いて下さい、教授」


 なんとか宥めようとするサーシャリア。

 彼女の背後では、敬愛する将軍を怒鳴りつけられた親衛隊長が白目を剥き抜刀しており、隊員が「殿中にござる!」と慌てて押さえ込んでいる。


「おぅい、どうしたのかね、サーシャリア君。ああ教授このようなご挨拶で申し訳ない。ガイウス=ベルダラスです」


 のっしのっしと地響きを立てそこに現れたのは、騒ぎを聞いて脱獄したコボルド王であった。肩と頭に、小さな看守を大勢乗せての登場だ。


「あ、ガイウス様! 出てきてはいけません! お顔が客人へ失礼に当たります!」

「うん。うん……? とはいえ、この喧噪が気になってね」

「はあ、その。教授が助手さんを追いかけるためにこれから帰ると仰って……」

「ふむ」


 ガイウスは少し考え込むと、教授の前でどっしり膝をつく。

 そして止せば良いのに満面の笑みを浮かべ、「夜の森は危ないですよ」と語りかけたのだ。


「ひ、ヒエッ!? こ、殺さないでくれ! 頼む! 頼む!」


 絶賛錯乱中の哀れなレイモンド氏は猛獣に牙剥かれ、しなしな座り込んでしまう。

 こちらも哀れなコボルド王はその様子に酷く狼狽え、あたふた掌を泳がせていた。


「そ、そんなことはしませんよ! 何故に私が、教授を害するというのですか!?」

「何故かだと!? それは、それは……」


 蒼白な顔で口籠もるレイモンド。目の動きも落ち着かず、動揺のほどが見て取れる。

 だが十数回の深呼吸を経て錯乱から立ち直ると、敢えてのようにガイウスへ向き直り、じっと視線を合わせ口を開いた。


「……いや、私が殺される理由など……何も無い」


 その瞬間、周囲のコボルドらはこの一答から濃密な嘘の臭いを嗅ぎ取ったのである。

 この男には、いや少なくともこの当人の認識では。殺されても当然、と恐れる何かを隠しているのだ。


「ガイウス様!」

「ぬう」


 刹那に変わった妖精犬の空気を感じ取り、王や将軍も表情を険しくした。すかさず近くのコボルドが、ヒューマンらへその旨を耳打ちする。


「……レイモンド教授」

「な、何ですかな、ベルダラス卿」

「嘘をつかれましたな」

「ヒィィ! 嘘はついていない! 何も! 何も隠してなどいない!」


 再びの臭いに、妖精犬たちの表情が曇った。

 こうなっては最早、仔細を聞くまでレイモンドを解放する訳にいくまい。


「まどろっこしいですな。ご無礼つかまつる」


 ガイウスやサーシャリアを押し退け、上半身をゆらゆら揺らしつつ歩み寄る黒い女。


「ダーク、何をする」

「外れておりましたら、お叱りは後ほどこの身で幾らでも受けます故。何となく分かるのでありますよ。後ろ暗いことを隠している奴というのは」


 学者の腕を引き、地にその掌を押しつける黒剣士。

 そして紳士の鼻先に艶めかしく息を吹きかけ、「動けば手元が狂いますので」と囁き。


 サクサクサクサクサクサク!


 教授から視線を一切逸らさぬまま。広げられた彼の掌の指、その隙間へ猛烈な勢いで短剣を突き立て始めたのだ。刃を突き立てる先へは、一瞥もしない。


「ひ、ひいいい!?」

「ダーク」

「止めませぬ。この類は、自分の領分であります」


 ……傷つけるな。つけませぬ。

 ガイウスと短くそう目で語り、ダークは尋問を続行する。


 サクサクサクサクサク。


 速度を殺さぬまま跳ね回る刃。

 レイモンドがナメクジのように力を失うまで、それは続けられていた。


「やれやれ、これをやったのは公安院以来、久々であります……さ、教授。お話いただいても宜しいですかな? そうでなければもう一巡、繰り返すでありますよ。あー疲れるのにヤダナー面倒ダナー」


 脅迫に震えながらも、学者はまだ口を割らない。

 その様子を見て、嘆息を吐きつつ左の手袋を外すダーク。黒い布地からストン、と詰め物が二つ落ちた。


「ヒッ」

「実は自分、あんまりコレ得意ではないのですよ。ほら、小指と薬指が無いでしょう? ケケケ。これはこの手で練習した時に、うっかりチョンパしてしまったもので……」


 公安院仕込み以外は、嘘である。指も先の戦いでアッシュに斬られたものだ。

 しかしレイモンドには、このハッタリが決定打となったらしい。


「話す。話すから殺さないと約束してくれ! ベルダラス卿」

「勿論です。お話いただければ、教授に危害は加えませんから」

「ああ全部、全部話す」


 辛うじて上半身を支えつつ、ついに折れる教授。


「では指揮所まで、ご足労いただきましょう」

「……分かった」


 コボルドらに介添えされつつ、フラフラとレイモンドが立ち上がった。



 愛人を囲うために大学の金を使い込み、発覚前にその補填が必要だとか。

 ここ十年は目立った成果を上げられていないため、学界で後れを取る焦りがあったとか。

 そういった下らない事情を、ぽつぽつと明かし始めるレイモンド。

 だが途中でルクス=グランツ……雄猫(トムキャット)の名が出たことで、事態の深刻さは一気に増したのである。


「学者という人種は、国を越え交流や情報交換があるものでね。私とルクス=グランツも例に漏れず戦前から付き合いがあったのだ」


 精神への負荷が一度限界を超えたことで、逆に落ち着いてしまったらしい。


「そして先日、旧交を温めようという彼からの誘いを受け、館にてある勧めを受けたのだよ」


 ごろり、と。教授の鞄から、指揮所の卓上に拳大の石が置かれる。あちこちを割られ、穿孔もされた代物だ。


「これは……双子岩の砕石に似ているが」

「です……かね? 大人に砕いてもらって、子供たちがヌシのオヤツによくあげているものですよね。でも教授が削り取っていたのは、もっと小さかったと思うのですが」

「その通り。これは以前にランサー卿がここの土産で持ち出し、ルクス=グランツに提供したものだ。私が初日に削ったのは、こっちだな。同じものを幾つか、モニカも持ち出しているだろう」


 ころり。今度は小型の石。


「ランサー卿の土産がコボルド村の双子岩産だとルクスから聞かされた私は、この石を研究室で分析した。幸か不幸かこれは私の専門だから、同類標本を見たこともあるので判別が可能でね」


 いややはり不幸かな、と息をつく。


「そしてその上で実際に採掘されたものか、現地へ赴き確認するよう彼から薦められたのだ。実証できれば学界における功績は極めて大だが……それよりジガン侯爵閣下に報告すれば、莫大な恩賞は疑いないだろう、とね」

「それでランサー卿に仲介を依頼したのですか」

「そうだ。私にそう薦めたのも、ルクス=グランツだ」


 サーシャリアの背を、冷たいものが這う。

 あの晩雄猫がした宣告と彼の自信が、一つ一つ答え合わせされていくようであった。


「私は成果を独占するため大学教授陣が同行できない日取りを敢えて狙い、モニカを伴ってここを訪れたのだ。これが上手く行けば、もっと贅沢をさせてやれるとな」

「では、モニカさんが裏切ったというのは」

「そうだ、あの女!」


 ドン、と卓に叩き付けられる拳。


「クソ! クソ! 最初は全く信じていなかったくせに! 初日に標本採取し確認されたのを良しとし、翌日私が森へ入った間に抜け駆けしおったのだ! 双子岩のみが目的と悟られぬよう、わざわざ【大森林】現地調査として偽装したのが裏目に出たのだな! 明日明後日には侯爵閣下のところへ駆け込んで、あの女が褒美を独り占めしているだろうよ! ハーッハッハッハ!」


 自嘲……というよりはヤケなのだろう。

 ガイウスとサーシャリアはそれが収まるのを待ち、続きを促す。


「……私はもう終わりだ。使い込みはそろそろ発覚する。不祥事が明るみとなれば学界からも追放される。学者としての私は、破滅だよ。と言うか妻から殺される」


 どう擁護しても自業自得の結末だが、コボルド王国側にとってそんなことはどうでもいい。一番重要なことを、彼はまだ話していないのだ。


「教授、双子岩がどうだというのですか」

「何だ、ここまで話してやっても分からんのかね? ……まあそうか、分かるまいな」


 ガイウスの問いに、唇を歪め答えるレイモンド。

 だが今度はすぐにそれを止めると。コボルド王へ向き直り、核心を語ったのである。


 ……それは、何もかもを嘲笑うような真実であった。

 皆の努力も、成果も、展望も、夢も。全てが弾けて消える泡の如き徒労に過ぎぬのだと。

 コボルド族には、王国には、平和など有り得ず、長く苦しい戦いが必ず続くのだと。

 逃げることも踏み外すことも叶わぬ、奈落の縁を行く道しか存在せぬのだと。




「コボルド村の双子岩は、巨大なミスリルの鉱石だよ」

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