194:決壊
194:決壊
モニカという女は中々に強かだった。
本来、一介の大学助手が領主へ急の目通りを願ったところで、易々と通るまい。だが彼女は、レイモンドの不在をいいことに彼の代理と偽り、ケイリーとの面会許可を得たのである。
そして女侯爵の前にてそれを翻し、都合良く話を整えたのだ。
「……以上の発見と検証を行ったレイモンド教授はその事実を隠匿し、採掘を独占することで自己の利益のみを得ようとしたのです。これはノースプレイン臣民としてあるまじき不忠、不誠。このモニカ、大恩ある我が師と言えどこれを看過することは……」
口上はそこまでで良い、とばかりにケイリー=ジガンが掌を上げる。
眉一つ動かさぬ、いつも通りの顔であったが……ギャルヴィン老あたりの人物がいれば、内面の激しい動揺を察したやもしれぬ。
「では侯爵閣下……これがその証拠の、現地採集標本にございます。しかるべき機関、学者に鑑定させれば、私めの言葉を証明できるかと存じます」
深々と頭を下げる平民女。にこりと微笑む女領主。
「モニカといったな」
「ははーっ!」
そしてケイリーは肘を突いたまま側近の一人へ顔を向け、
「この女を塔の独房へ入れよ。流言を弄し混乱を招く間諜の疑いが強い。よって世話も、限られた者にしかさせてはならぬ」
と命じたのである。
「な、何故ですか侯爵閣下! 私めは、ただ、ただ……」
「黙れ! 名を騙り、下らぬ戯れ言を垂れ流しおって! どこの手の者か、後ほど厳しく取り調べてやるわ!」
「そんな! そんなあ! いや、いやああああ!」
絨毯に爪を立て抵抗するモニカが、ずるずる衛兵に引き摺られていく。
ケイリーはわざとらしく舌打ちし、その光景を眺めていた。
「何がミスリルか、下賤な山師め! 遙か昔に南方大帝国が終わって以降、この地でその類の話など記録にも話にも聞いたことが無いわ!」
苛立ちを表現するように、肘起きへ振り下ろされる右拳。
その姿と音に、側近らが思わず首を竦める。
「お前たちもだ! 彼奴が間諜ならば、こんな話をすること自体が扇動に乗り混乱を招くこととなる! よって今後一切、この話に触れてはならぬ! 従わぬ愚か者には、厳罰をもってこれにあたる故、心せい!」
いつにない領主の剣幕に、皆は慌てて頷いていた。
「ええい不愉快な! 以降、謁見希望者の吟味はより注意せよ! 分かったか!」
「「「か、畏まりました!」」」
「まったく……」
ケイリーは吐き捨てるようにそう呟き。不機嫌の塊とでも言うべき表情のまま、丁度侍女が運んできたティーカップを受け取った。取っ手を掴む指の震えは、幸い周囲に気取られなかった様子である。
(……馬鹿な女よ。もう幾らか節度を弁えておけば、死なずに済むものを)
心中で、女侯爵は愚者が迎える運命を呟いた。
ケイリーとて骨肉の争いを経て領主の座を掴んだ者だ。あの助手が教授を裏切りここへ奔ってきた、という浅ましい背景など最初から見透かしている。あれなる人物は、まるで信用に値しない。
だが今回問題であったのは……モニカのその浅ましさこそが、むしろこの話に真実味を持たせていたことだろう。
(もし、もしこれが真実であれば。妾のノースプレインは)
ミスリル鉱床。それはケイリーにとってかつてない奇貨であった。
いやここ数百年の南方諸国群史を紐解いても、これほどの誘惑が存在しただろうか。稀少戦略資源ミスリルにノースプレイン領という基盤があれば……二人の辺境伯も、宰相たる公爵も何するものか。ジガン家がイグリス王家に武力で取って代わり、この国を統べることも幻想ではないのだ。決して。
(我が子スチュアートに、至尊の冠を……!)
動悸を隠さんと繰り返される深呼吸。しかし、収まりはしない。
「ケイリー様、謁見希望の方が」
そこにかけられる、年若い近習の声。
「何ぞ? もう今日の謁見は入っておらんかったであろう。妾は疲れたのじゃ。後日出直させい」
「それが……何とも……断りづらいお方で……その」
「何を言っておるのじゃ」
呆れたように問う侯爵。
だが彼女はすぐに、近習による形容は妥当なのだと理解することになる。
「やあちょっと久しぶり! 遊びに来たよ、ケーイリーちゃーん! アハハハハ」
キラリ歯を輝かせ広間に入ってきたのは、笑み眩しい金髪の雄猫であった。
◆
先の一件もあり家臣の目を避けたかったケイリーは、場所を書斎に移し雄猫と席に着いた。その行動自体が、彼女がいかに動揺していたか窺わせているだろう。
「してトムキャット。今日はどうした」
「フォートスタンズ大教授のレイモンド君が、ミスリルの発見報告に来ただろう?」
ぴくり、と右眉を動かす領主。
「……来たのは、助手だがな」
「んんん? ……何だ、出し抜かれたのか彼。仕方のない奴だなあ。アハハハ!」
雄猫の笑いに、ケイリーが溜め息をつく。
「ということは、あれは結局そなたの余興か。ミスリルなどと」
「何を言ってるんだい、本当さ。あれは正真正銘、ミスリルの鉱石だよ」
コトリ。卓上に置かれた石片入り小瓶。
それを見た侯爵の喉が、小さく上下する。
「昨年ランサー君の館に飲みに行った時、暖炉の上にこれの元が飾ってあってね。彼が現地で貰い受けたものだが、僕は一目見て気になり、借りて調べたのさ。何度も何度も念入りにね。ま、結果は大当たりだったよ」
「そう言えば、そなたもかつては専門家であったそうだな」
「今もさ。僕の根っこはあくまでそっちだよ」
「ならば何故、わざわざ代わりの者を行かせた?」
「だって僕一人が言ったって、ケイリーちゃん信じなかっただろ」
苦笑のケイリー。
「それに、やっぱり第三者による検証は欲しかった。僕だって学術研究者の端くれだからね、そういうのはしっかりしておきたいのさ」
アハハハハ! と笑い声。
「食えぬ男よ。昨年分かっていたくせに、今時期にこの芝居か。報告、連絡、相談程度は弁えて欲しいものよ」
「いやあ、そもそもコボルド村との和平が成立していなければ、学者を送り込んで確認させることはできなかったからねえ」
まあ道理ではある。
「説得力に欠ける段階で話しても、内紛で忙しい家中に要らぬ動揺を招きかねないじゃないか。それじゃあ臣としての筋を通せないし、何より……」
雄猫の唇が歪む。
「……あの頃迂闊に扱って、話がイグリス王領(ミッドランド)や宰相の耳に入ると面倒だっただろう?」
ケイリーの身体がびくりと震えた。
それはミスリルの放つ誘惑と、表裏一対の恐れでもある。もし鉱山を差し出したとしても、接面たるノースプレインを有するケイリーが王国や宰相にとっていずれ邪魔となるのは明白だからだ。
いや、ケイリーの代ならなんとか立ち回れるだろう。だが息子スチュアートはどうなるのか。あの気弱で愛らしい幼子が、謀略の嵐に耐える大樹に育つことが叶うのか。これを保障できるものは何一つ、何一つ存在しない。
「でも今なら違う。君は内戦を勝利し、領内の全てを手中に収めた。今のノースプレインがミスリル鉱山を手に入れれば、ケイリーちゃん……いやスチュアート君のジガン家は、数年でイグリス王領(ミッドランド)の干渉を容易に撥ね除ける力を手に入れられるだろうね」
「今なら……」
「今なら。そう、今なら。ミッドランドにこのことが漏れていない、今の内だけならね。今だけなんだ、君が息子を【王】にできるのは」
……万物を見通す全能者がこの場にいれば、ピシリと、誰にも聞こえぬ破砕音を聞き取ったやも知れぬ。
まさにこの瞬間であった。これまで不信とケイリー生来の魔法素養が築いていた精神の防壁。それに綻びが生じたのは。
小さな穴から水が堤を崩す如く、トムキャットの【魅了】はみるみる侵食し。遂にケイリーの精神は、その呪いに捕られられたのである。
「それにもしもだよ、もし万が一ミスリルが空振りだったとしても。ケイリーちゃんはコボルド村やベルダラスともう一度戦うだけじゃないか。やってみても大した損じゃあ、ないよ」
「ホホホ、よく言うものよ! だが……確かにそうよの。その物言い、気に入ったわ」
「だろう? だからさ討とうよ、ベルダラスを」
「落とすか、コボルド村を」
視線を合わせ頷く両者。
もし採掘交渉が成ったとしても、いつ反乱するか分からぬ連中を秘密拠点に同居させられようはずがない。かといって収容所じみて一種族を閉じ込めるなど、コボルドとベルダラスがどうして承服するだろうか。人界へ居留地を作り森の住民を移したとしても、その時点で「何か隠している」と諸領に喧伝するようなものだし、機密も漏れる。
【魅了】の影響を受けトムキャットに共感していることもあるが……この時点で既に、コボルド村と共存する選択肢はケイリーから消えていた。いや、取り得なかったと言うべきか。
「ベルダラスは確かに並び無き手練れだが、次の僕なら斬れる。だから心配しないでくれ」
「やはり食えぬ男よの。どうせ最初からそれが目的だったのだろう? そのためにわざわざこれほどの舞台を整えるというのだから、相当の酔狂だ」
しかしその目に最早、雄猫を訝しむ光は無い。
「だがいいだろう、乗ってやる。乗ってやるともそなたの思惑にな。妾と、何よりも息子のために」
◆
書斎に呼ばれたショーン=ランサーは、主君からことのあらましを告げられ、愕然と膝をついた。
「ほらケイリーちゃん、ランサー君を褒めてあげなよ。彼がいたからこそ、この好機が生まれたんだからさ」
「うむうむ。でかしたぞランサーよ。そなたの功で、我がジガン家はこれまでにない栄光を掴むこととなろう」
「お、お待ち下さいケイリー様! 戦などせずとも、何か、何か共存の手段はあるはずです!」
「無い」
「私が! 私が何としても双方の間を取り持ちますので! 何卒! 何卒!」
「無理だな。妾にそのつもりが無い」
ぴしゃりと言い切る侯爵。傍らに立つ金髪猫も「無いんだよねー」と頷いている。
「トムキャット殿! 貴方が! 貴方がケイリー様を怪しげな呪いで焚きつけたのですな!?」
「そうだよー? よく知ってたね」
アハハと答えるトムキャット。
ケイリーは掌を上げてそれを遮ると、眼下の家臣へ緩やかに語りかけた。
「何かは分からぬが、そんなことはどうでも良い。これは利と理の話じゃ。トムキャットの勧めでなくとも、妾は決断したであろうよ」
「ケイリー様!」
「城内の一室をあてがう。当分そこへ留まるように。家へは妾が適当な理由を付け説明しておいてやろう」
「所謂、軟禁って奴だね!」
親指を立てる雄猫。
「ランサーよ。情に絆されやすいそなたを、妾は嫌いではない。息子スチュアートが今後領主……いや王として君臨する際、有能の臣だけではなく、そなたのような者をきっと必要とするであろう。あの子の場合は、特にな」
中年貴族が呻き、痩せた肩を落とす。
「そなたは誰の家臣か? 妾か、それともベルダラスか?」
「私は……ケイリー様の……ジガン家の……家臣です」
「分かっておれば良い」
「はい……」
「沙汰を出すまでは、部屋で大人しくしておれ。だがその方がそなたも、気が楽であろう」
チリン。
言い終えたところでケイリーがベルを鳴らし、衛兵らを呼び込んだ。
「例の部屋に、ランサーを連れて行け。見張りを立て、厳重に監視するのだ。外部との接触は、特に気を付けよ」
「「ははーっ!」」
力を失った痩身貴族を、衛兵らが肩を貸すように連れて行く。
「私は……私が……私のせいで……」
……フォートスタンズ城の廊下に、点々と滴の跡が残されていた。
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