253:確定という名の既定

253:確定という名の既定


「失礼致します」

「聞いている、入れ」


 ヘティーを控えの部屋へ待たせ、宰相執務室へと入るジョン=ピックルズ。

 中では【白黒の人】、エグバード=ビッグバーグが彼を待っていた。


「今日はどうした、ピックルズ卿。黒猪戦士団も遠征準備で忙しい頃合いだろうに」


 感情も抑揚も乗らぬ声。夏だというのに、この男がいるだけで足下から冷えるようだ。


「その準備の問題ですよ。俺ぁちょっと気になって他部隊の行動予定を調べてたんですがね。どうも今回各都市から招集しているイグリス中央軍、俺が聞いた限りは皆ノースプレインへ向かわされるようになってるんですが」

「仮にそうだとして、何か問題があるのか」


 無表情で応じる宰相に、豚子爵は「ご冗談を」と一声置きつつ。


「北隣のノースプレインに行くってことは、そこを通って西方向、ゴルドチェスター辺境伯領へ向かうってことでしょう。ルーカツヒルは王領の直接西隣だ、ノースプレインを経由なんかしねえ。つまり今回、少なくとも今集めている遠征軍は全部、ゴルドチェスターの対グランツ戦線へ投入される戦力だってことだ。宰相閣下はルーカツヒル辺境伯の対フルリール戦線へは、応援を出さないおつもりなんですか?」

「出さぬ」


 率直な物言いに、片眉を上げる【跳ね豚】。

 実際宰相閥とルーカツヒル辺境伯閥は不仲である。あるが、ここまでやることが露骨では鼻白むのも当然というものだろう。


「じゃあ俺の勘繰り通り、ミッドランドはゴルドチェスター辺境伯『だけ』に援軍を送るってことですかね?」

「それは卿の勘違いだ」

「違うんですか」

「ミッドランドはゴルドチェスター辺境伯へも援軍は送らぬ」


 驚愕で、ピックルズが「ブヒ!?」と息を吐く。


「外敵の侵攻ですよ!? しかも二国同時の!」

「私は二辺境伯の戦力だけで、グランツ王国軍及びフルリール王国軍は退けられると計算している」

「いやまあ俺だって容易くルーカツヒルやゴルドチェスターが陥落するなんて思っていませんがね。でも戦力は多いに越したこたあない、辺境伯軍の損害だってそのほうが少なく済むってもんでしょ? 大体攻められてるのに支援を寄越さないなんて、中央による背信もいいとこだ。事が片付いたとしても、今度は辺境伯らのほうが黙っちゃあいませんぜ」


 豚子爵が今更言うまでもない。単純な理屈である。


「構わぬ」

「構わぬって閣下」

「二辺境伯の歓心忠誠心よりも、我々中央は優先せねばならぬことがある」

「一体何だって言うんですか」


 ピックルズを見据える、光の感じられぬ瞳。


「コボルド村の討伐だ」

「コボルドむらぁ!? 馬鹿なっ!? この非常時に!」


 呆れに近い愕然で、【跳ね豚】が叫ぶ。


「……まさかそれは閣下、ガイウスへの復讐を優先するということですか」

「復讐?」

「無礼は承知で言いますがね。五年戦争中アイツがあの件で斬った中には、閣下の、ビッグバーグ家の縁者もいたのでしょう?」


 それは戦時の監督不行き届きをいいことに、村々から攫った子供を陵辱の上でいたぶり殺していた貴族騎士らが多数、怒り狂ったガイウスに斬り殺された……つまりダークがガイウスと出会うきっかけとなった……【味方殺しのベルダラス】事件のことだ。


「ふむ……そういえば斬ったのはベルダラスであったな」


 王室と軍上層部により極力表沙汰にはされなかったが、知る者は知る大事件である。戦後エグバード=ビッグバーグにおもねる者らが、彼がガイウスを憎んでいるだろうと歓心を得るため刺客を送った噂すらあったほどに。

 しかし宰相は豚子爵の物言いにも、相変わらず顔色一つ変えぬ。


「卿の言う通りだ。当時は私も一時取り乱しもした、疑うのも無理はなかろう」

「そう仰るなら宰相閣下、これは復讐のために国防を蔑ろにする訳じゃないんですか」

「これは、過去の報復ではない」


 断言。


「私が見ているのは未来だ。それは将来の人々が……イグリス王国民が、いや南方諸国全ての人々が語り継ぐ歴史である。娘を陛下へ嫁がせ王家と我が家との結び付きを強めたのも、宰相として私自身が陛下をお支えしているのも、全てはイグリス王家を盛り立てるため。その結果として私は歴史に名を刻む。卿には昔、話したと思うが」


 抑揚も表情も変わらぬ宣言。だが、言い表せぬ圧がある。


「そうですね、そうでした。今や公爵家と王室は一心同体、ましてや王妃様は閣下のご息女でした。親として娘のイグリス王家を損なうはずもありませんでしたな。私も子を持つ男です、お気持ちを察して然るべきでした」


 頭を垂れ、先の無礼を詫びるピックルズ。


「……なるほど、そういう見方にもなるか」


 もしここで【跳ね豚】が頭を下げたままでなければ、宰相の顔に微かな驚きと納得の歪みを見つけたかもしれぬ。


「は……? な、何かおかしかったでしょうか」

「いいや、何もおかしくはない」


 豚子爵は戸惑い気味の相槌で、それに応じていた。


「で、では宰相閣下。今回二辺境伯へ援軍を送らぬのも、わざわざこの国難の時期を選んでコボルド村の如き小物を討伐するのにも理由があるんですね? そいつは、俺にも教えてもらっていいことですか」

「どの道ピックルズ卿には、話しておくつもりでいた。卿は納得できねば、本気を出さぬ型の男だからな」

「それは……褒めてませんよね」

「当然だろう。武人としては著しい減点対象だ」


 渋くなった豚面と対峙したまま彼は一息つくと、ようやく問われていた理由について述べ始める。


「コボルド村は、ミスリル鉱床を有していると発覚した」

「みすりるこうしょおぉぉ!?」


 突飛過ぎるその内容で、思わず裏返った声が部屋に響く。

 宰相はやはり表情を変えぬまま、人差し指を自分の唇に当てていた。


「馬鹿な、そんな妄想が現実に存在するはず……」


 そこまで言ったところで口籠もるピックルズ。

 旧式とはいえ総数三千を超える兵を投入したノースプレイン侯爵軍、近代軍千三百に加えドラゴンなどという埒外の力すらもぶつけたイスフォード伯爵軍、まだ自領内を行軍中であったグリンウォリック伯爵軍。圧倒的寡兵のコボルド村が、最近だけで三つの大貴族軍を破った事実を知っているためである。


「今年初めに我々はジガン家を改易し、ノースプレイン侯爵ケイリーを処刑しただろう」

「え、ええ。ケイリー=ジガンがイグリス王家への反逆を企てていたという」


 それは聞いた誰もが衝撃を受け、かつ完全には納得し得なかった事件。

 戦略的に、ノースプレイン領単独でミッドランドに抗するのは困難なのだから。


「彼女が中央を凌げると叛意を抱いた拠り所が、コボルド村で発見されたミスリル鉱床なのだよ」

「ぶひっ!?」

「もっともケイリー=ジガンの目論見は、ベルダラスに率いられたコボルドらに打ち砕かれたのだがな」


【跳ね豚】は腕を組んで呻く。どうしても足りなかった組木玩具(パズル)の一片が、眼前に突如転がされた気分であった。


「そうか、だからケイリーはあんな時期にコボルド村を攻めたのか、いや攻めざるを得なかったんですな……ギャルヴィンのババアが付いていながら、どうしてあんな無益としくじりを、と思ってはいましたがね」


 彼がかつて同行した、グリンウォリック伯ザカライア=ベルギロスの私怨による戦とは違う。本来であればケイリーがあれほどの大軍を動かし、【大森林】内の小村を討伐する合理的理由など無い。ましてやノースプレイン軍もジガン家も、内紛の傷が未だ癒えぬ状態であったというのに。


「……本当なんですね」

「事実だ。私の手の者が、ケイリー家臣の邸宅からミスリル鉱石の標本も押収している。鑑定も済ませた。紛れもない本物だな」

「じゃあ今年に入ってから【剥製屋】やザカライア殿にコボルド村討伐を命じたのも」

「勿論それも、ミスリル鉱床を得るための積み石だ。私は昨年末の時点で、ケイリー陣営に潜らせた密偵からミスリルの情報を既に手に入れていた。事が事だけに、両伯爵へミスリルのことは明かしていなかったがな」


 もしこの話をガイウスやサーシャリアが聞いたならば、どのような表情を見せただろうか。

「ミッドランドまでミスリルの秘密は漏れていないで欲しい」という唯一かつ一縷の希望は、最初から絶たれていたのである。


「イスフォード伯とグリンウォリック伯は『残念』だった。まあコボルド村は元々ノースプレイン軍の攻撃を防ぎきったほどの相手だ。落とせれば良し、落とせずとも中央軍による長期攻略の準備が整うまでに損害を与え、疲弊させられればよし、という狙いではあったが」

「そ、そりゃあ……ん? 今、長期攻略と仰いましたか?」

「そうだ。これまでの攻め手のほとんどは、有期であったことが敗因である。兵糧を焼かれるなり冬が迫るなり、でな」


 実際ケイリーのノースプレイン軍にあと二ヶ月でも猶予があったなら、コボルド村は陥落していたことだろう。


「だから今度の討伐では物資を継続的に確保、蓄積し……基地を構築しての越冬は勿論、それこそ年単位ですら継戦可能な用意を調えたのだ」

「そんな大きな補給計画があるなんて、まるで知りませんでしたが」

「当然だ。このことは万が一にも漏れぬよう、用立ては我がムーフィールド領が独自に行っていたのだからな。現段階のミッドランドで賄いきれぬ物資も、船便で他の地方から確保する手配がついている。明後日あたりに第一便が入港予定のため、今日にも軍部に明かす手筈であった。卿は、いい頃合いに来たと言えよう」


 机の引き出しから無造作に取り出さた書面を見て、【跳ね豚】が目を剥く。膨大な物資、注ぎ込まれる莫大な金。その数字が、宰相の言葉に真実味を持たせていた。

 ここまで来ればピックルズも、もう魔銀の存在を信じぬ訳にはいかぬ。


「ミスリルをイグリス王家、ミッドランド以外の手に渡す訳にはいかぬ。それは当然、ルーカツヒル辺境伯にもだ」

「それは勿論……分かります」


 頷いたところで、はっとした顔を見せるピックルズ。


「グランツ王国とフルリール王国が攻め込んできたのを、逆用するのですか!?」

「ベルダラスとルーカツヒル辺境伯の間には、昔から友誼がある」

「まあルーカツヒル辺境伯はガイウスに、『俺を兄貴と呼べ』とか言うくらいお気に入りでしたからね」


 昔を思い出したのだろう。やや懐かしげな光が、豚の瞳に一瞬灯った。


「現在のところその気配はないが、ミスリルの存在が既に伝わっていても何らおかしくはない。もしそうならコボルド村とベルダラスが中央軍に本腰で討伐される場合、ルーカツヒル辺境伯が実力をもって妨害してくる可能性は非常に高いだろう。関係の深いゴルドチェスター辺境伯も、同調する恐れは十分にある」


 諸侯は国を支える重臣でもあるが、同時に中央にとって潜在的な反乱分子でもある。おまけにルーカツヒル辺境伯は現中央政権と政治的に不仲なのだから、この危険視は宰相閥でなくとも納得の道理だ。


「しかしルーカツヒル辺境伯が防戦で手一杯のこの状況下ならば、もしミスリルの存在を知っていたとしても……コボルド村と急ぎ連携をとることも、中央軍の討伐を実力で阻むことも到底敵うまい」

「だからこの機にコボルド村を押さえる。いやこの機だからこそ攻めねばならない、ということなのですね。二辺境伯の怒りを買ってでも」

「そうだ。そしてミスリルを手に入れれば最早、我がイグリス王家は辺境伯の協力など……いや存在自体を必要としなくなり、排除もできるだろう」

「なっ……!」


 それは今後の内戦も踏まえた、危険な発言であった。

 ならば二辺境伯の不興など、問題は無い。むしろ彼らの戦力が外敵侵攻で損なわれるのは、好都合という訳か。


「これも全てイグリス王家のためである」


 王もいるが、強力な諸侯もいる。封建国家というものは時代によれば必要形態でもあったが、建国の際に王が諸侯を物心両面の問題で潰せなかった妥協の産物という側面もある。

 それ故にその排除と吸収は程度の差こそあれ、どの中央政府にとっても永遠の悲願なのだ。


「……合点がいきましたよ、さっきフノズール元団長と会ったのも。あの人を獄長から軍務へ復帰させたのは、ガイウスを斬らせるためなのですね」

「その通り。戦況によっては、剣で直接ベルダラスを討ち取らねばならぬこともあるだろう。だが【イグリスの黒薔薇】とまともに刃を交えられる者は多くない……【跳ね豚】ジョン=ピックルズ、卿のような人物もな」


 豚子爵が唾を飲み込む。

 眼前に座る【白黒の人】は本気である。本気で今、イグリス王国の歴史を動かそうとしているのだ。


「イグリス中央軍はコボルド村を討伐し、ミッドランドがミスリル鉱床を手に入れる。これはイグリス王国を強力な中央集権国家として生まれ変わらせるための、第一歩なのだ」


 かつて栄えた南方大帝国(グレート・サウス・エンパイア)は、強力な中央集権国家として南方全体に君臨した。それ故に封建国家が乱立する現在の南方諸国群において、中央集権や統一という響きは実像以上の価値と輝きを持つ。

 イグリス国家の統一。もしそれを成し遂げた臣がいれば、彼の者の名は確実に南方史へ刻まれることだろう。

 名臣、名宰相として。


 ……『中央軍によるコボルド村討伐』。


 まだ秘匿段階とされるこの作戦が軍上層部で明かされたのは、まさにこの日であった。


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