254:名誉で名誉を救うために

254:名誉で名誉を救うために


【白黒】が【跳ね豚】に告げたように、その日から王都に集結中の国境救援軍はコボルド村討伐軍へ名前と性格を変えた。

 それは当然、中央の人々を官民問わず大いに困惑させたが……エグバード=ビッグバーグ自らも参加するとまで告げられてしまえば、その力の入れようへ異を挟めるはずもない。


 無意味かつ無駄とも思える宰相の出陣宣言。だがこれによって辺境伯領へ応援を送らぬという横暴と、コボルド村の如き僻地の小物へ大軍を投じる無駄……秘密を知らぬ者には無駄でしかない……への反対意見は封殺されたのだ。ミスリルという最重要機密は、しっかりと伏せたまま。


 そしてしばらくをおいた後に、基地建設や補給経路の確保を主目的とした先発隊三千の準備が整い、出発することとなる。

 今宰相の執務室に甥の新生鉄鎖騎士団長【若禿】ガイ=ガルブラウが訪れているのは、その出立の挨拶であった。


「伯父貴まで出張っていただかなくとも良いのに。俺もまだまだ、お守りが必要な年頃なんですかね?」

「私の目があると意識すれば、諸将も発奮せざるを得まい。グランツやフルリールという敵国を相手にするつもりが、【大森林】の蛮族相手で肩透かしだ……と思っている者は少なからずいるからな」

「確かに」

「だが実戦指揮まで、お前から取り上げるつもりはない。私のことは、生きた旗印程度に考えておけば良かろう」


 私が前線で剣を振るっていたのはもう十五年以上昔だからな、と付け加える【白黒】。

 実際彼が戦っていた五年戦争時代は、今のように魔術・魔杖兵を主として構成された近代軍には程遠かったため、現役の【若禿】が実戦を取り仕切るのは妥当なのだろう。


「私は第四陣から合流する。もし攻略が長引くようであれば、冬前には王都へ戻るがな」

「伯父貴が来る前に、片付いているかもしれませんよ」

「そうであればいいが」


 その物言いで軽口が過ぎたと思ったのだろう、「弁えています」と小さく謝る【若禿】。


「ミスリルの重要性と危険性は重々承知しています。『飛ぶ前に見よ』ですね」

「そうだ。そもそもミスリルの存在があるからこそ、我々は計画を前倒しして舞台作りを強いられたのだ。そのことを忘れるな」

「舞台か……舞台だとしたらグランツ人とフルリール人の役者は、よく演じよく踊ってくれましたね」

「十数年の期間と莫大な資金を投じ、中枢近くへ食い込ませた操り人形たちだ。こういう時に国政を惑わせ、民を煽り、そして主を誘導して貰わねば困る」


 宰相エグバード=ビッグバーグの領地ムーフィールド公爵領。『ムー』というのは羊の鳴き声に由来する、何とも牧歌的な響きの地域である。

 名前通り古くから羊毛貿易で振るった地方であったが、その富を元に長年かけて育成された各種産業に加え、現在は国際的な金融拠点として栄えている。現イグリス国王の失政で傾いた王領(ミッドランド)を立て直し支え続けているのは、そんなムーフィールド領が注ぎ込む金だ。


 そして建国以来代々そこを治めるビッグバーグ家も、いかにもといった【領外融資部】という組織を昔から有している。別に余裕のある貴族が金貸しを営んだところで珍しくもないが、ビッグバーグ家の特徴はイグリス王国東隣の聖人教圏、その高位聖職者たちを主な顧客としていたところだ。

 聖人教会では高僧の権力闘争と腐敗政治が常であり、いつでも何処でもその資金が求められている。ビッグバーグ家はそんな彼らへ秘密裏に融通し……そして聖職者個人の懐から返済させるのではなく、教圏内の利権や情報、醜聞を担保として取り立てていたのだ。つまり領外融資部は、金に物を言わせた諜報謀略機関なのである。

 ビッグバーグ家は領外融資部を動かす度に聖人教圏の金が流れ込み、そして融資の事実自体が情報源と隷属者を増やしていく。その結果今や聖人教会と信徒を本来潤すべき金の三割強が、様々な迂回と形をもってビッグバーグ家へ吸い上げられているほどだ。


 本来この仕組みは二大辺境伯が西部を武で守るのと同じく、イグリス東の守りを担うため当時のビッグバーグ家当主が構築したものであった。だが今当主エグバード=ビッグバーグは五年戦争直後からそれをグランツ王国やフルリール王国へまで拡大し、自らが目指すもののため両国への蚕食を続けていたのである。


 つまりはフルリール王国で王が王弟に弑されルーラ姫が追われた政争も、今回のグランツ・フルリール両国による侵攻がこの時期なのも、決して偶然ではない。

 どちらもこの【白黒の男】による糸繰り。本来は国内統一準備が整った後に二辺境伯の力を削ぐための布石を、ミスリル鉱床確保に邪魔を入れぬ陽動として行使したのだ。大幅に、計画を早めて。


「伯父貴の、俺たちのビッグバーグ一門は金と謀略でイグリス東の守り……いやイグリス王国を支えてきました。ですが時代は進み続け、情勢がどう変わっていくかなど分かりません。強力な統一国家へイグリスを生まれ変わらせなければ、これからの南方諸国で生き残っていくことはできないでしょう。そのための大手術で手を汚すのは、王国を守る役を担ってきたビッグバーグ家がやるべきと俺は考えています」

「その我が家も、統一による王家への中央集権が成れば、結果として力を失うがな」

「ええ。一門の連中に教えたら、きっと面白くないでしょうね。ですがだからこそ、自らも例外ではないという伯父貴のイグリス王室への忠義に、俺は賛同するんですよ」


 力強く、一人頷く【若禿】。

 英気溢れるこの甥は諸侯に類する立場でありながら、自領よりもイグリス王国と王室の行く末を案じている。そしてそのために戦い、尽力し、手を汚すことにも大義を見出しているのだ。

 ある意味で貴族らしからぬ、だがある意味でとても貴族らしい男であった。


「統一が成れば伯父貴のイグリス王家への功績は、計り知れないものとなるでしょう。それこそ、三代国王デリック=イグリスを凌ぐほどの大きなものに」

「……デリック王か」


 デリック=イグリスは当時現在の三分の一程度に過ぎなかった王国の版図を、吸収と征服でほぼ現在の国境線まで拡張した歴史上の人物である。


「ガイ。お前はデリック王の長男であった王子サディアスを知っているか」

「知っていますよ。古い戯曲にありますよね、【悲劇の黒王太子】って。以前付き合っていた女にせがまれて、劇へ連れて行ったこともあります。文武両道、星の化身と呼ばれる儚げな美貌、優しくも勇ましいサディアス王子。だが敵国フルリールの卑劣な罠にかかかり、奮戦するも最後は力尽き斃れる……」


 劇俳優の身振りを真似つつ語る甥。

 その様子を、変わらず光無き瞳で眺める伯父。


「戯曲ではな。現実は異なる。同じなのは美しい剣の達人ということだけで、実際はかなり暴虐な男であったと記されている」

「えっ、そうなんですか? でも彼は大昔の人です。そりゃあ今の時代とは、倫理観や戦場の倣いも違うでしょう」

「当時の感覚ですら問題とされたため、記録に残っているのだ。戦場での行いは言うに限らず、軍の列に頭を下げなかった村の幼子を母子共々殴殺したり、酒をこぼした女中を塔から突き落としたりもしている。彼が若くして殺されたのも、娘を陵辱の上で火あぶりにされた家臣から裏切られたためだ」

「それは確かに……戯曲と全然違いますね。でもならば、どうして今のような姿で語り継がれているのです?」

「それだけ父親が偉大だったのだ。イグリス全代どころか南方諸国史を紐解いても、あれほどの君主はそうおらぬ。まさに英雄、名君と呼ばれるに相応しい人物だからな」


 宰相の言葉に、新生鉄鎖騎士団長はやや困惑顔で相槌を打つ。


「【悲劇の黒王太子】というのは、偉大過ぎる父王像に引っ張られて後世戯曲家に作り出された虚像なのだ。別に王家が庶民に強いた訳ではなく、自然とな。逆に無理矢理力で記録を書き換えるなりしていたほうが、却って真実が伝わっていただろう。そういうものだ」

「なるほど」


 ここで、合点した表情を【若禿】が浮かべる。

 稀代の名君の英雄譚、その途中で斃れる王子。寓話、戯曲に格好の題材である。時代が変われば凶暴な面は忘れられ、美化だけされていくのも無理はない。父王と違い歴史上の大人物でなかったことが逆に、再評価で印象を覆すほど世人の興味を引かぬ。

 その結果史実よりも俗説や創作が歴史扱いで語り継がれていく……まあこんな例はいつの時代どこの世、いくらでもあるだろう。


「歴史を知っていれば、戯曲は完全な虚像だと分かっている。だが世間一般の通説では、未だに王子は【悲劇の黒王太子】のままなのだ。そしておそらく百年経っても千年経っても、彼はまだ【悲劇の黒王太子】のままなのだろうな」

「なるほど。それならば伯父貴の義息子にあたる現国王陛下のことも、統一を成し遂げた暁には名誉をお救いできるかもしれませんね」

「まあ、ある程度は大丈夫だろう」

「でしょ」


 甥は微笑むが、伯父の「大丈夫」という言葉が真逆であるとは知らぬ。そもそも現国王が親政に失敗し国を傾けた裏側に、エグバード=ビッグバーグの暗躍と妨害があったことも、彼は知らぬのだ。

 この【若禿】ですら、宰相から全てを明かされてなどいない。いや現在国内で、その本心を知る者は誰も存在しないのである。


「伯父貴のことだって、堅物で退屈な【白黒の人】とか揶揄する奴はいなくなるはずです」

「構わぬ、あれは私を実に的確に表現した物言いだ。そもそも、私が昔漏らした言葉を拾われたものであるしな」

「え。そ、そうですか?」


 甥は戸惑ったが、伯父はどうやら本当にそう考えているらしかった。気まずくなれば、この会話の流れも打ち切らざるを得ない。

 ……その後はしばし、両者の間では打ち合わせや確認のやり取りが続いていたが。


「おっといけない。そろそろ出発時刻ですので、俺はこれで失礼します」

「うむ」


【白黒の人】の白黒の視界の中で、これも白黒の甥が退出していく。


 ばたん。


 扉が閉まるのに合わせふと視線を向けた窓の外も、やはり色のない景色であった。もし今主君イグリス国王、いや宰相自身の娘である王妃に謁見したとしても同様だろう。彼エグバード=ビッグバーグは生まれた時からずっと、この色なき世界で生きてきたのだ。

 とはいえ何故か、現実の「色」の判別は明確につく。だからこれが肉体ではなく自身の精神によるものであり、それは両親や妹たちにすら愛情愛着を抱けぬ自らの虚ろのせいだと……少年期を終える頃には自ら結論を導き出していた。そこに特段悲嘆も絶望も無かったのは、自分自身にすら愛着が無かったためだろう。

 結局彼の人生で色を持っていたのは、そばかすと両えくぼを気にしていた花売り娘と、彼女が命と引き換えに産み遺した赤子だけであった。しかし一族の権力争いから守るため中央貴族へ養子に出したその息子も、五年戦争のあの事件で永遠に失われている。


「ここでもまたベルダラスか。運命、というものはあるのかもしれんな」


 宰相が豚に語った「復讐ではない」という言葉は真実であった。彼の心は過去に縛られているが、目は未来を向いている。

 もしガイウス=ベルダラス個人を討ったとしても、当然だが息子の命は戻らぬ。そして斬られた息子の評価も、「無辜の子供らを陵辱し虐殺した鬼畜」のままだろう。もし権力で一時評価をねじ曲げても、逆に【白黒】の死後、反発のように真実を暴かれてしまう恐れのほうがずっと強い。それでは息子の名誉を救うなど到底なし得ない。ましてや存在の抹消などもってのほかである。もう一度殺すことと、それは同義なのだから。

 だがエグバード=ビッグバーグが比類無き偉業を達成し、その上で亡くした彼を息子だと公に明かせばどうか? それこそ戯曲を作られるように誘導しても良い。そうなれば息子の名と名誉が【悲劇の黒王太子】の如く、後世の虚像で救われる可能性が残されているではないか。

 いや残されていると、【白黒】は信じ込んでいる。信じるしか、彼にはあるまい。


「お前とお前の母だけが、私の世界で色を持っていたのだ」


 ノースプレイン侯爵家の姉弟を秘密裏に支援し骨肉争わせたのも、彼の入れ知恵で民を虐殺したケイリー=ジガンを処断したことも。謀略で外敵を誘い、政敵たる二辺境伯の力を削いでいるのも……色無き世界にここ数年で起きた騒乱のほとんどは、この男が目的へ辿り着くための踏み台。

 かつて現イグリス国王の親政を失敗させたことすら、実権掌握のためだけではない。彼の偉業を彩るための、最悪状況という舞台作りなのであった。


「大丈夫だ。父が……この私が、お前の魂と名誉を救ってやる」


 元々それに至る行く手は、彼の前には二つあった。

 今はその片方が、道としていよいよ拓かれつつある。


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