252:老騎士フノズール

252:老騎士フノズール


 コツ、コツ、コツ。


 磨かれた廊下を、太った禿の中年男とまだ少女の雰囲気を残した若い娘が歩いて行く。

【黒猪戦士団】団長、【跳ね豚】ジョン=ピックルズ子爵とその義姪にして副官たる、騎士学校放校のヘティーだ。


「……たく、何考えてるのか問いただしてみねえとな」

「え? 誰にですか、おやっさん」

「宰相閣下にだよ。さっき面会許可とってただろうが」


 来るべき二辺境伯領救援出征に備え、王都郊外に【黒猪戦士団】を呼び寄せ準備を進めていたピックルズ。だが今日は宰相に会うため、登城していたのである。


「ああそうだったんですか。てっきり事務方と喧嘩してたのかと」

「俺ぁ昔から、宰相閥の連中とは折り合いが悪いんだ。連中いつも書式がどうとか数字がどうとかネチネチネチネチネッチョネチョとよ」

「それは事務方を困らせるおやっさんが、普通に悪いだけでしょ」


 言い返せず、鼻をひくつかせる【跳ね豚】。


「そういえばおやっさん、宰相閥は嫌ってるくせに宰相閣下当人への評価は妙に高いですよね」

「そりゃそうよ。親政に失敗して引き籠もっちまった王子……いや王様に代わって傾いた王領を立て直したんだからな。そのために自領ムーフィールド、自家ビッグバーグ家の財と人材を投入してるのは、お前だって知ってるだろ」

「でもそのせいで、宰相閥以外は中央本流から押し退けられてるんでしょ?」

「反対派閥を外すなんざ、善悪清濁問わず何処の誰でもやることさ」


 頷くヘティー。言われてみれば、その通りである。


「俺ぁ愛する家族のためにも、イグリス王国と王家には強くあってもらいてえんだ。末永~くな。現に今もグランツとフルリールが攻めてきてるが、これだって殴り返せるように国が強くなけりゃ、本国まで一方的に食い散らされるだけだろ?」


 短めの銀髪を、上下に揺らすヘティー。


「あの人の人生目標は『イグリス中興の名宰相として歴史に名を残すこと』なんだ。つまりは確実な富国強兵路線という訳よ。そこに向かっている限り、あの人の行動と俺の願望は一致し続ける。だから支持するのは、当然だな」


 不意に語られる宰相の目標に、副官娘は目を丸くしていた。


「宰相閣下の人生目標なんて、どうしておやっさんごときが知ってるんですか」

「何だかんだで俺も、宰相閥に組み込まれる前は何度も揉めてンだよ。その時に話して聞いたのさ、直接当人からな……ってお前今、ごときって言っただろ」

「どうでもいいじゃないですかそんなこと。それよりおやっさんは、その言葉を信じてるんですか?」

「ああ。あの言葉に嘘はないと、俺は確信している。その後の行動も、それを裏付けているしな。それに……」

「それに?」

「……あの人が目標をそう定める理由にも、心当たりがあるのさ」


 呟くような彼の言葉に、ヘティーは首を傾げている。


「ま、お前も子供ができたら分かるかもな」

「子供……? うわ! ひょっとしてまた私を性的な目で見てます!? いやー伯母さんに言いつけてやるー!」

「ちげえよボケ! 大体またって何だよ!?」


 裏返り気味の声で叫ぶ【跳ね豚】。

 だが彼は突如目を剥くと、バネ仕掛けのような勢いで敬礼姿勢をとったのだ。


「お、お久しぶりです! フノズール団長!」


 肘打ちされたヘティーも、倣うように敬礼。おずおずと、上司の視線をなぞる。


「久しいな、ジョン=ピックルズ」


 廊下の角から現れた白髪の老騎士は、厳かな声で応じていた。

 年の頃は既に六十近いのだろうか。だが軍服に包まれた体はまだなお若者に劣らず引き締まったもの。そして眼鏡の奥から突き刺すような鋭い眼光と、対峙する者を圧倒する気迫を備えている。


「だが団長はよせ。むしろ団長は貴様のほうだろう。現在の私は一介の平騎士、一副官に過ぎん」

「は、はい! ……え!? 軍務に復帰なされたのですか?」

「ああ。新生鉄鎖騎士団団長、ガイ=ガルブラウ卿の副官としてな」

「団……フノズール卿が【若禿】の!?」


 老騎士の咳払いで、身を竦めるピックルズ。


「今後は軍務で会うことも多いだろう。まだ職務中のため、これで失礼する。話はまたな」

「は、はい」


 フノズールは小さく頷くと、ピックルズの脇を抜けて立ち去っていく。

 二人は緊張した面持ちでそれを見送っていたが……老騎士が姿を消したあたりで耐えきれず、ヘティーが息を漏らした。どうも呼吸を忘れていたらしい。


「ふええ。何ですかおやっさん。あの怖いおじいさんは」

「……シェル=フノズール子爵。五年戦争と戦後数年間、鉄鎖騎士団の団長を務めていた人だ。ガイウスの前だな。俺も五年戦争の途中までは鉄鎖騎士団にいたから、俺にとっても元上司になる」

「はえー、そんなスゴイ人だったんですか」


 既に見えなくなった老騎士の後ろ姿を求めるように、振り返るヘティー。


「すごいし厳しいしおっかねえし、強かったぞ。何せ手合わせじゃあ俺が三回、ガイウスも一回しか勝ったことがねえ」

「ええっ、おやっさんはともかくベルダラス卿がですか?」


 豚子爵の太い指が、彼女の額を弾く。


「いてて」

「まあ実戦じゃねえし、何より相性ってのも大きいからよ。ただ見た感じ、衰えた感じはまるでねえな。今でもフノズール卿を負かせる奴は、そう多くないと思うぜ」


 ヒェッ、と小さい悲鳴。


「ただ鉄鎖騎士団団長を罷免されてからは地方の代官を回されて、今はとある監獄で獄長をしていたと聞いてたんだけどな……」

「そんなすごい人だったのに、左遷されてたんですか?」

「不祥事があってな。でも戦時の英雄でもあるから公にはされなかった上、上層部と王家の配慮で爵位没収や不名誉除隊は免れたんだ」

「へえ。それをまた新生鉄鎖騎士団へ、しかも平で配属するなんて……随分酷な人事ですね。もう引退してるのが普通の歳だし、こんなの嫌がらせじゃないですか、ほとんど」

「分からん。一体どういう理由があるんだろうな」


 ポリポリ小指で額を掻くピックルズ。

 脂が指に付いたのだろう。渋面しつつ軍服の裾でそれを拭っている。


「ねえところでおやっさん。不祥事って一体何をしたんですか、あのおじいさん」

「え? あ、ぬぅ」


 問われた豚子爵は小さく怯み、気まずげに唸った後……苦い顔で短く呟いたのだった。


「……横領だよ」

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