251:借りるね

251:借りるね


 戦の準備で騒がしいイグリス王都イーグルスクロウ。

 大貴族である【剥製屋】の戦死とイスフォード軍引き留め失敗……その責を一身に押しつけられた女騎士ビクトリアに対する軍上層部からの処分が、ようやく下されていた。


「ビクトリア=ギナを新生鉄鎖騎士団員の役から解く。加えて、十日後をもち同騎士の騎士位及び軍籍を剥奪する」


 懲罰的除隊である。

 真実はただの内部政治的な生贄なのだが、そんなことは周囲にも彼女の一族にも関係無い。つまりビクトリアは、武家名門たるギナ家史上きっての醜態を世間へ華々しく晒すこととなったのだ。

 格と面子を重んじる名家の跡取りに、それが許されようはずもない。彼女は父母はおろか一族総出での猛烈な糾弾を受け、追い詰められた。一門の体面をわずかでも取り繕わせるために、暗に自裁すら要求する声もあったのである。


「あんなヒデエ職場、辞められて良かったじゃねえか。そもそも宮仕えってのは辞めたくても辞められない奴が沢山いるんだぜ? だからあんまり気を落としなさんな、ビクトリア」


 いたたまれず屋敷から都内の宿へとビクトリアが逃げ込んだ後も、この元冒険者は憔悴する彼女を懸命に慰め、励まし続けていた。


「何ならノースプレインで俺と冒険者でもやろうや。なぁに、お前さんくらい見た目がまともで学もあれば、商隊護衛やら警護やらでも喜ばれるさ。知ってるか、冒険者界隈じゃあ、まともっていうだけで需要があるんだぜ?」


 だが幼少より軍人としての栄達と面子以外を求められず、また許されなかったビクトリアの耳にはまるで届かない、届いても意味が無い。

 彼女はこれまでの人生に加えこれからの人生も失い、そして自身の存在意義も寄る辺も何もかも無くそうとしているのだから。


「ううう……どうしたら、どうしたら、どうしたらいい」

「落ち着けよ、お前さんは職場の巡り合わせが悪かっただけさ」

「どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば」

「別に軍人だけが世の中って訳じゃあないぜ?」

「どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば」

「な、冒険者でもいいし、どこかで商売や勤めを始めて見るのもいい。お前さんはまだ若いんだ。何ならしばらく俺を頼ってくれても、全然かまやしないんだぜ」

「どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば」

「それとも何か、お前さんにツテでもあれば……」


 その瞬間。

 髪を掻き毟っていた女騎士の動きが、ぴたりと止まる。


「……それだ!」

「え?」

「ツテだツテ! ツテのある……かもしれない人物に心当たりがある!」

「えっいるのか、お前さんにそんなの!?」


 ばんっ! と机をビクトリアの両掌が叩く音。

 だがそれはチャスの失礼な驚愕に気付いてではなく、活路を見つけたからのようだ。


「今から私は、騎士学校の同期へ会いに行く!」

「同期って……こないだの【欠け耳】や死人面の姉ちゃんか?」

「馬鹿を言うな、中央勤めの現役騎士だ! 彼女に口添えを頼めば、何とか、何とかなる……かもしれん!」

「えっ? お前さんと同年代の若い騎士なのに、上層部の決定を覆せるような権限を持つ奴がいるのか?」


 困惑する彼を他所に、素早く髪や身なりを整えていくビクトリア。


「権限を彼女自身が持っている訳じゃない、だが権限を持つ人物と近しい立場にはあるのだ!」

「そんなので何とかなるのかよ!?」

「だがもう他に手はない! 例え一縷の望みでも、縋るしかないだろう!」


 チャスがそれに言い返そうとするのも待たず、彼女は勢い良く扉を開く。


「あっ待てよ、俺も着いていくからよ!」


 元冒険者も、その後を慌てて追いかけるのであった。



「いやぁ運が良かったねえ、ビクトリアン! ボクがたまたまお城にいる日でさぁ」


 城内の小さな一室でビクトリアとチャスを迎えたのは、今日は身綺麗なアール=タンクであった。物置を彷彿とさせる乱雑さだが、一応は彼女にあてがわれた部屋らしい。


「そ、そうなのか? 宰相閣下の第三補佐官というから、大抵王城にいるものかと」


 無論その宰相補佐官という立場は、アール=タンクが秘密機関【王立技術工廠第四十四分室】室長という裏の顔を隠し自由に動けるよう与えられた、表向きの役職である。


「ん? あー、ああ、そうだね。そうそう、そうなってる」

「え、違うのか……?」

「いや違わない合ってる合ってる。いつも外回りばかりなだけさ。現にホラ、ボクへ取り次いだからこそ、入城もすんなりだっただろう?」


 頷くビクトリア。


「で、どうしたんだいビクトリアン。久々の再会は嬉しいが……今のキミはそれどころじゃないんじゃないかい?」

「知っていたか、アール」

「大体の事情はね。いいなぁ、キミはドラゴンを見られたんだろう? あーボクも【白黒】ンに頼んで行かせて貰えば良かった。実に勿体ないことをしたよ。標本も回収したかったなー」

「……詳しいんだな」

「ああ。とても興味深いことだからね。正直キミの窮地についても、後からドラゴンの話を聞いて状況を調べて知ったのさ」


 アール=タンクは、眼鏡を摘まんで持ち上げ直す。


「そこのお連れさんが【イグリスの黒薔薇】と刃を交えて二度も帰ってきた凄腕剣士だ、ってこともね」

「……そりゃ、どーも」

「興味深いからね」


 微笑まれたチャスが、苦い顔で肩をすくめる。


「な、ならば話は早い。アールの口から、なんとか宰相閣下経由で軍上層部への口添えを願えないか? アールはその、宰相閣下からも重用されているの……だろう?」

「うん、いいよぉ」

「これが無茶で無理な頼みあることは……え?」

「余裕余裕」


 ビクトリアとチャスが唖然とする前にて、アール=タンク【補佐官】は傘でも貸すような気安さで答えていた。


「そ、そうなのか……? 助かる! 有り難い! 有り難い!」

「なぁに騎士学校同期、寮同室のよしみだよビクトリアン。あの頃キミには呪印とかの実け……練習にもよく付き合ってもらったしね」

「はは、はは……尻が茜色に発光した時は、どうなるかと正直取り乱したものだがな……」


 引きつった笑いを浮かべるビクトリアの脇を通り、扉へ手を掛けるアール。


「じゃあボクはちょっと【白黒】ンの執務室へ行って来るから。あーそうだなぁ、ビクトリアンのクビと騎士位剥奪処分を止めさせとけば大丈夫かね?」

「えっ!? そ、そうだが……今から? 宰相閣下の? 部屋に?」

「うん。すぐ戻ってくるから、待ってなよ」


 今度の言葉も、茶菓子をとってくるが如き気楽さだ。

 閉められた戸を、暗金髪の女騎士は期待とともに……元冒険者は訝しみながら見つめていた。


「おいビクトリア。あれ、本当にお前の友達なのか?」

「そうだぞチャス。彼女とは騎士学校で四年間、同室だったんだ。それに貴族間では珍しくもないが、私とは遠縁でもある」

「……そうかい。でも友達はちゃんと選べ。あれは【剥製屋】と同類だぜ」

「はぁ? イスフォード伯と? 失礼な、何の根拠があって彼女を誹謗するんだ」

「勘だ」

「馬鹿な! 冒険者風情のいい加減な感覚で、物を言うな!」

「俺だって余程のことがなきゃ言わねえよ。信じろビクトリア」


 真剣な表情で顔を寄せるチャス。


「ふざけるな! そんな適当でこの好機を諦められるか! この頼みには、我が一門の面子がかかっているのだぞ!?」

「お前さんの家のことなんかどうでもいい、俺が心配してるのはお前さん自身のことだ。あれとは距離を置いておけ」

「ええい、黙っていろ!」


 憤然と立ち上がった女騎士が、扉を指さす。


「貴様がいてはアールの機嫌を損ねる! 出ていけ! 先に宿へ帰っていろ!」

「ビクトリア……」


 ガチャリと開く戸。入ってきたのはやはり、アール=タンクだ。


「ただいまビクトリアン、頼んできたよ。【白黒】ンは『それでいい』ってさ」

「えっもう!? ほ、本当か? 本当なのかアール!?」

「うん。ほらこれ、宰相閣下の署名入り指示書」

「おお、本当に本物だ……」

「いやあ良かったねえ」


 出て行くチャスを横目に見ながら、さしたる感慨もない顔で呟くアール。


「ありがとう……ありがとうアール! この恩は決して忘れない。私で報いられることがあったら、何でも言ってくれ」

「ん!? 今、何でもって言ったかな」

「ああ、私にできることであれば何でもいいのだが」

「ふふ、話を聞いた時からキミはそう言うと確信していたんだ。あるよぉ、あるんだよぉ」


 アール=タンクが眼鏡の下で目を細める。


「何せキミは今後、新生鉄鎖騎士団からボクと同じ宰相直属へ異動になる訳だし」

「え? そ、そうなのか」

「おや、嫌なのかい?」

「いやとんでもない! ただその……次に迫る戦いで武功を挙げ、家の名誉を挽回しようと考えていたもので……な。そうか、内勤か」


 流石に望み過ぎの発言だと分かっているのだろう。歯切れが悪い。


「ああ大丈夫だよソレは。ボクとしてもこの機会は活用したいからね。キミたちには是非実戦で力量を試してもらえるよう、取り計らうつもりさ」

「何と! そこまで配慮してもらえるとは……やはり持つべきものは友人だな! 一体何と礼を言えば良いのだろうか」

「いやそれはこっちの言葉だよ。キミが頼ってくれて、ボクは実にありがたい。幸運だ」


 感謝と感謝の握手。


「次の戦では必ずや手柄を立て、アールの厚意に報いてみせよう!」

「うんうん」

「フルリールとグランツどもを、この手で叩き潰してやる!」

「へ?」

「え?」


 揃って首を傾げる、騎士学校同期二人。

 だがアールはすぐに両掌をぱちんと合わせ、一人納得するような顔を見せていた。


「あーあーそうだねそうだね。ま、それは後で頑張ってもらうことだとして……ビクトリアン、早速だがキミの協力を得たいことがあるんだよ」

「ああ、言ってくれアール」

「事は国家の軍事機密にも関わるから、口外は許されない案件なんだが」

「何を言う、私は軍人だぞ。そのくらい弁えている」

「それは良かった。『無難』に済む」


 眼鏡の下に、愉悦の光が灯る。だが学友は、それには気付かない。


「ボクは宰相閣下の命で、機密技術を研究する小さな工廠を任されていてね」

「ああなるほど、アールは昔から呪術や魔法の知識に長けていたものな。魔法院から宰相補佐官へ異動と聞いた時はどうしてと思ったが、そういった裏事情があったんだな」

「そういうこと。で、ボクが扱っている中には兵士の力を強化するための研究もあってさ。それにちょっと、力を貸してもらいたいんだ」

「強化魔術とか、そういう類か? ……昔その、私の尻を光らせたような」


 若干頬を染めながら、臀部を押さえている。


「うんそう、概ね方向性としては同じかな。おケツは輝かないけど」

「そうか。それはよかった……」


 ビクトリアはほっと胸を撫で下ろしたが……アールの語る【方向性】の意味が、被検体の生死を問わぬ実験ということには気付いていない。


「実際成功もしているんだが、費用に対して成果がまるで割に合わなくてさ。実用化は見送られているんだ」

「そ、そうか。大変だな……まあ、軍備において費用対効果は重要だものな」


 神妙な顔で頷く。


「そうなんだよぉ。ただ研究資材はあともうちょっとだけ残っているから、今後のためにも消化して記録をとっておきたくてさぁ」

「なるほど、大事な国費を折角かけて用意した物資だ。活用せねば、勿体ないよな!」

「記録についてもねえ……これまでは有志の市民や貴族が協力してくれていたんだが、何分皆、言ってみれば普通の人たちばかりでさ。こう今回は、変化を加えたいと考えている」


 ふむふむ、と腕組みしつつの相槌が打たれる。


「ボクはね、前から思っていたんだ。一般人でもそれなりの効果が出るんだから、剣豪と呼べる素体なら、技量と力が合わさって一体どれほどの成果に至るのか……とね。でも丁度良い人物って、なかなか見つけられなくてさ」

「ふむ?」


 今度は疑問形相槌のビクトリア。

 そんな彼女へ近寄り、アール=タンクは手を握りながら囁くのであった。


「……つまりキミのチャスンをボクの研究に、ちょっとだけ……貸して欲しいんだよ」

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