250:想定外の戦乱
250:想定外の戦乱
ルース商会がコボルド王国へと訪れたのは、それから間もなくだった。
「どうぞこちらへ、ダギーさん」
「ありがとうございますサーシャリアさん、皆さん」
「急ぎで、しかも直接私たちへ伝えたいことって、何でしょうか」
「それがですね」
数少ない外部協力者であるルース商会のもたらす情報は、隔絶地であるコボルド王国にとって重要なものだ。時にそれは安堵の知らせでもあり、迫る危機の警鐘でもあった。ある時は、人界の微笑ましい流行を教えてくれたこともある。
だが今回のそれは、予期せぬ方向から頭を平手打たれるような困惑だ。
「グランツ王国が、イグリス王国へ攻めてきたんでさぁ」
イグリス王国西側は北からグランツ王国……【雄猫(トムキャット)】ルクス=グランツの故国……にフルリール王国 、通商連合の三カ国と接している。
そしてそれに鏡映しするようにイグリス王国側も北からゴルドチェスター【辺境伯】領、ルーカツヒル【辺境伯】領、ウエストフォード伯爵領という三領に分かれていた。
「それはつまりゴルドチェスター辺境伯領に侵攻された、ということですか商会長」
「へい、ベルダラスの大将の仰る通りです」
【辺境伯】というのは、文字通り辺境で外敵を防ぐ壁。一般領主よりも強い権限と武力保持を許され課された、格上諸侯のことだ。
イグリス王国は長年、敵性国家たるグランツ王国対策にゴルドチェスター辺境伯を据え、同じくフルリール王国対策にはルーカツヒル辺境伯を封じていた。これがイグリス王国西の守り、二大辺境伯である。なお通商連合は表立って争いはしないため、対応するウエストフォードは一般領主の伯爵だ。
「だから今のご当地は大騒ぎでさ。五年戦争の再来だ、ってね」
「無理もあるまい。あの戦いでは、ゴルドチェスターの民草は惨苦を味わったのですから」
十七年前に終わった五年戦争は、連合を組んだグランツとフルリールがゴルドチェスター全土とルーカツヒル北部を奪おうと勃発したものである。
当時を思い出し、痛ましげな表情で唸るガイウス。
「だがカローン=ラフシア様……ルーカツヒル辺境伯がすぐにゴルドチェスターへ増援を送るはずだ。そうすればグランツ王国といえども、じきに退けられるだろう」
ルーカツヒル辺境伯領とゴルドチェスター辺境伯領は南北で接するため、両者は関係も連帯も強い。
「いやそれがですね。ルーカツヒルからのすぐの支援は難しそうなもんで、ゴルドチェスターの民百姓が慌ててるんでさ」
ダギー=ルースの言葉に、コボルド王国の首脳陣は顔を見合わせ首を傾げた。
「商会長、どういうことですか」
「ルーカツヒルへはルーカツヒルで、隣のフルリール王国が攻めてきたんですよ。こちらもグランツ同様、かなりの規模で」
「ぬ……?」
「「え!?」」
ガイウスは呻き、サーシャリアとナスタナーラが揃って声を上げる。
「それじゃあ本当に五年戦争の再現だわ……!」
「フルリール王へは、イグリス先々王の娘にして現国王の従姉であるルーラ姫が嫁がれておられますのよ!? つまりイグリス王国は、フルリール王妃の母国ですのに!」
ナスタナーラ=ラフシアがまくし立てた通りだ。
かつて五年戦争でグランツとフルリールの連合に苦しめられたイグリス王国は、以前に外交政策の一環としてルーラ姫とフルリール国王を結ばせている。政略結婚だが二人の仲は三人子供をもうけるほど睦まじく、フルリール王国とイグリス王国の関係は良好であったのだから。
「それが先日、フルリール王国内で政変があったんでさ。王妃が国王を毒殺し王家乗っ取りを企んだところ、王の弟がこれに対抗して玉座を守ったのだとか」
「そんなことありえませんわー!」
「……ガイウス様」
伯爵令嬢たちのやり取りを聞きながら、主君の顔を見上げる将軍。
ガイウスは騎士になる前も後も、長らくルーラ姫の側仕えをしていたのだ。ルーラ=イグリスは恩人の娘であり、姫自身も恩人である。動揺せぬはずもない。
だがコボルド王の横顔には、表情というものがまるで見て取れなかった。
「でしょうね、まずあり得ねえ。情報をくれた商人たちだって、誰も信じちゃいない。ま、これは普通に『王弟による謀反』でしょう。でも現実に権力を握って対抗馬がいないなら、言い訳なんぞに大した意味はありませんからね。そうなれば批判が来るのは、扱いが歴史学者の手に渡ってからでさぁ」
その言葉にはサーシャリアも、呻いて頷くほかない。
「……ルーラ姫様はどうなったか分かりますか。商会長殿」
「へえ大将。何でもお子共々、何処かへ逃れたという話です。その後捕縛も処刑もないと聞くに、実際落ち延びたんでしょうね」
「そうですか」
「フルリール王弟は一連の事件がイグリス側の陰謀だと主張し、報復にフルリール軍をルーカツヒルへ侵攻させたんでさ。これにより王弟は『陰謀の首魁たるイグリス王家の血を引く王妃の子供』らからフルリール王位継承権を取り上げ、同時に自身は次期国王としてふさわしい指導力を誇示できるという訳です」
「流石は多国間をまわる商会長、お詳しいですね」
「いえいえ、これも話を教えてくれたフルリール商人たちの受け売りですよ。アイツらにしたって推測の範疇での話なのでしょうがね。まあ言ってしまえばそれだけ誰の目にも分かりやすい権力奪取劇とそう噂されてしまう人物像の王弟だ、ということでさ」
「……なるほど、ありがとうございます」
商会長へ礼を述べる彼を、もう一度見上げるサーシャリア。
やはりガイウスは、眉一つ動かさぬままである。ルーラ姫を幼少から知るガイウスにとって、心穏やかでいられようはずもないのに。本心であれば自ら乗り込むなり手勢を送り込んで、恩義ある人物を探し助けたいと考えるだろうに。
「あっ」
しかしこの時彼女は先日の鶏俳優事件を思い出し……そして理解していた。
ガイウス=ベルダラスは自分の苦しみと悩みが他者へ害を及ぼしかねない時ほど、それを表へは出さないのだと。今のコボルド王国に外部へ手を回す余力など無いからこそ、仲間に気遣いさせまいとするのだと。
ダークは彼を熟知するが故に、先日落ち込んでいたガイウスについて「下らない」と聞きもせず断じていたのである。
「ダーク……」
サーシャリアが振り返ると、やはり今日の僚友は真剣な眼差しでガイウスの背を見つめていた。
「で、でもお父さ……コホン、ルーカツヒル辺境伯軍は精強ですもの。単独でも、フルリールの弱兵など追い返すこと疑いありませんわ!」
「私もナ……この子の言う通りだと思います」
ナスタナーラの言葉で我に返り、慌てて意識を話題へ向けるサーシャリア。
ガイウスはコボルド王としての立場と務めを弁えている。彼女もそれを汲み、倣うようにしたのだろう。主の前に出るようにして代わり、商会長との話を主導していく。
「ええ、巷もそう思ってまさぁ。それに加えてイグリス王領(ミッドランド)では、両領救援出兵の動きが出てるんです。そうなりゃあ、戦局はイグリス側に傾くでしょう。勿論これも、商人仲間からの情報ですがね。王都の連中は稼ぎ時だと、ここぞとばかりに忙しくしているみたいですよ」
「えっ!? ミッドランドが、ですか」
「へ? 諸侯が攻められてるんだから、中央が応援を出すのは当然でしょ?」
「それはそうですが……」
「そりゃ俺も聞き込みの過程で、宰相派とルーカツヒル辺境伯との不仲については一応知りましたがね……お貴族様の政治云々は俺には分かりませんが、ゴルドチェスターへの援軍まで出さないってんじゃあ、流石に中央の沽券に関わるんじゃありませんかい?」
「確かにルーカツヒル辺境伯への嫌がらせはともかく、ゴルドチェスター領を見捨てるとは考えにくいですよね……それこそ、十七年前の五年戦争で払った犠牲が無駄になりますもの」
「ですわよね……奪還と回復に、どれだけの時間と犠牲が必要か分かりませんわ」
腕を組み、伯爵令嬢と顔を見合わせる赤毛将軍。
ここが現場ではないにしても、戦乱に思い巡らすことは二人の顔を暗くしていたが。
「でもホラ、皆さんには良かったじゃないですか」
「「え?」」
思いがけぬダギー=ルースの言葉で、彼女らが首を傾げつつ向き直る。
「あれでしょ、サーシャリアさんたちはミッドランドがイグリス中央軍をコボルド村へ寄越してくるかどうかが心配なんですよね?」
「え、ええ。そうですけども……」
「だったら今回の戦争のおかげで、ミッドランドはもうコボルド村なんかへかかずらっている余裕は無くなるんじゃありませんかい?」
「あっ」
息を飲む赤毛エルフ。
「た、確かに。グランツ、フルリール両国との戦争期間、後処理を考えれば……中央軍は、下手すれば年単位で身動きがとれなくなる可能性があります。その間に私たちは更に防衛力強化を行うなり、他の手段を模索する時間的猶予が得られるはず」
他所の戦乱を感情的に歓迎できるかどうかは別だ。しかしコボルド王国への侵攻は遠のいたと認識するのが、一般的で自然な見方であろう。
「でしょー? そうすりゃその間はウチもここと商売ができる。それに上手くいきゃあ、コボルド村への討伐自体が立ち消えることだってあるんじゃないですかね? よくあるじゃないですか、お上のそういうのって」
「そ、そこまではどうでしょう……?」
「あっはっは! ま、前向きにいきましょうやサーシャリアさんも大将も! じゃ、俺は荷下ろしにそちらからの【大森林】珍重品の鑑定もありますので、ちょっと失礼しまさぁ。また、夕食時に!」
一礼し、指揮所を出て行くダギー=ルース。
連続する想定外の知らせに翻弄されていたコボルド王国首脳陣は、その後ろ姿を呆然と見送っていた。
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