210:闇夜

210:闇夜


 八日目の勝敗が、以降の戦いを占ったとも言える。

 戦死及び行方不明者が二百五十八名、負傷百四十六。

 囮主攻とマニオン隊を合わせこれだけの損害を出したノースプレイン軍は、戦力再編と戦線維持に徹せねばならず……第二、三、四次の増援と本陣からの戦力移動で前線兵数が四百五十名も補強されるまで、双方ただ睨み合うだけの日々が四日間も続けられた。


 その分準備を重ねた十一日目の攻撃は今までで最大規模かつ激しいものとなったが、コボルド軍はこれをも防ぐ。

 従来の霊話戦術や戦力集中のみではない。マニオン隊敗残兵からの噂の広まりを見越したサーシャリアは、遠吠えだけで敵部隊を足止めするという奇策も織り交ぜ……ノースプレイン側に戦死及び行方不明百五十九名、負傷二百八十四名という痛撃を与えたのだ。

 再起組と増援も含めたここまでのノースプレイン軍総投入戦力は二千八百三十八名。死者行方不明累計七百四十一に負傷が八百三。甚大な損失である。

 だがそれでもまだ、侯爵は諦めない。

 そこでギャルヴィンは戦線幅を縮小し各部隊の戦力を補強、連絡線の整備や陣地防御力を強化することでコボルドの反攻に備える体勢を整えた。その上で、さらなる増援の到着を待つことにしたのである。


 対するコボルド側とて、当然無傷で済んできた訳ではない。投入戦闘人員二百六名の中、既に戦死二十六名と負傷五十三名、と被害は全軍の三割強に及んでいる。もし親方の設計したコボルドバシネットがなければ、死者の数はもっと増えていただろう。

 守勢でこそ優位に立てるコボルド側はコボルド側で、逆に防御を固めてきたノースプレイン軍の前線を押し返せずにいた。

 改めて膨大な回復力を誇示する人界に比べ、コボルド側の戦力はやはり乏しい。


 こうして、戦局は停滞したのだ。

 日に日に強くなる、身を苛む夜の冷気。

 それぞれの将兵が同じものを予感して毎夜空を仰ぎ、そして違う思いで息を吐く。


 ……だが。

 勝敗を告げる権利を握る天は、未だ黙したままであった。



 十七日目、とあるコボルド軍陣地。

 ガイウス、長老、ダークの対雄猫待機組とエモン組が、そこで夜を過ごしていた。


「ねぇねぇエモン、付いてきて下さいましー」

「うるせーな、便所くらい一人で行け! 寒いんだよ!」


 鹿毛皮を毛布代わりに包まるドワエモンを、ぐわんぐわん揺さぶるナスタナーラ。


「だってー、夜の森って暗くて一人だと怖いんですもの!」

「フラッフかフィッシュボーンあたりを連れてきゃいいだろ」

「あの子たちもう寝ていますし……」


 指さす方向では、毛玉の二人がダークと同じ毛布に入って熟睡していた。フラッフなどは器用にも、眠りながらダークの胸を揉んでいる。


「と言う訳で、残念ながら拘束中の自分も無理でありますよ」

『ワシは今見張り番じゃからダメじゃぞ』


 聞かれる前に断りを入れたのは、ダークと長老。


「じゃあオッサン行ってやれよ、便所まで」

「う、うむ?」

「団長だとちょっと……ワタクシ、恥ずかしいですわ。もじもじ」

「おいオッサン、姐御、喜べ! こいつの精神年齢が三歳児から六歳児くらいへ上がったぞ! 倍だ倍! まあまだ、暗いと小便に行けねえガキだけどな!」


 褐色拳骨が垂直にドワーフ少年の頭を穿つ。


「んもう馬鹿にして! エモンだって夏に怪談話をした時、御不浄まで行くのが怖くて軒先でオシッコしてたじゃありませんの! 団長の部屋の外あたりで!」

「ぬぬぬう!?」

「本当ですわ! ワタクシ見てましたもの!」

「坊主もナッスも何してるんでありますか……」

「バッカテメェエエブッス! バラしやって!」


 開戦。


「はっはっは、若い子たちは元気だなあ」

「笑ってないでさっさと止めるでありますよ」


 停戦。


「まあまあ止めなさい二人とも。誰だって暗闇は怖いものだ」


 ガイウスがその剛力で、腕を振り回す二人を押さえつけている。


「じゃあ団長も闇夜は怖いんですの?」

「うむ、やはり伏兵や罠の危険が増すからね」

「そんな話してねえだろオッサン。お化けだよオバケ。ユ・ウ・レ・イ」

「ああ、そっちか……そうだね。そりゃあ私も勿論、昔は幽霊が怖かったよ」

「今は違うのかよ」

「やっぱり大人になると、オバケは怖くなくなるんですのね」

「ふむ……そういう訳でもなかったかな」


 大人しくなったナスタナーラとエモンからの問いに、首を傾げつつ応じるコボルド王。


「……ほら、幽霊がいるのなら、死んだ知り合いにも会うことができるかもしれないだろう? だったら、幽霊が出てきてもいいんじゃないかと思うようになってね。そうしたら、暗闇もあまり怖くなくなったのだよ」


 ぼそりぼそり答えるガイウス。


「「へー」」


 少年少女は息ぴったりで相槌を打つと、その時点で闘争心も興味も失ったのか。「俺も小便済ませるわ」「ですわですわ」と連れ立ち便所に向かっていってしまった。さながら仲のいい姉弟であろうか、幼めの。

 見張り中の長老が、それを横目に溜め息を吐いている。


『……おい木偶の坊。それは、昔の戦友にか』

「あ、はい。ええまあ」


 頷くガイウス。相方同士で、過去話をしたこともあるのだろう。


『もし会えたらどうするつもりじゃ? 近況報告でもするのか』

「ああ、それもいいですね。すごくいい。ただ……」

『ただ?』


 瞼を閉じて一呼吸置き、ガイウスは言葉を繋げた。


「……きっと私は、謝りたいのだと思います。あの時連れて帰れなかったことを。皆を犠牲に、自分だけ生き残ってしまったことを」

『そうか。そうじゃな。ワシも多分、分かる』


 黒髪の女剣士は老いた男たちの話を、いつもの笑みを浮かべたまま黙って聞いている。

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