209:三百年先の戦争

209:三百年先の戦争


「そういえば以前、捕虜になった兵から聞いたな。貴様らはこっそり王国などと嘯いていると……だがそれにしても、貴様のような知性に欠けた面が大臣だと? 嘘を吐くな!」

「嘘じゃねーよ! ドワーフは嘘をつかねえ! 大臣なのは本当だっつーの!」

「フン、まあいい。名門貴族たるこのロードリック=マニオンと剣を交えようというのだ。張りぼて大臣でも、雑兵を差し出すよりは道理を弁えているというものよ!」


 ロング・ソード剣術の上段、【屋根の構え】。


「して、一体何の大臣だ小僧。言ってみろ」

「そ、それは……」


 先程までの威勢が急に萎びて、口籠もるエモン。


「言え!」

「う……」

「う?」

「……うんこ大臣だ」


 騒乱の中、両者の間を支配する沈黙。


「それはつまり……下水汚水や、し尿処理の管理を担う衛生関係の大臣、ということか?」

「い、いや……違う……」

「ならば何だ!?」

「……うんこが……臭いから……うんこ大臣……だ」

「このロードリック=マニオンを愚弄するか貴様ァァァ!」


 ガキン!


 一瞬にして沸騰したマニオンが踏み出しながら斬り下げた。【憤激】だ。

 ドワーフ少年は素早く構えを変えると、同じく【憤激】……少年は別名の【親父斬り】で呼ぶが……を打ち込み受け止め、剣交差(バインド)に持ち込む。


「甘く見るなよ小僧。私は騎士学校時代に剣技成績で次席をとっている。実戦でも後れを取ったことは一度も無いのだ! 貴様のような……わぷっ!?」


 バインドから押し込まれたエモンの切っ先が、強引にマニオンの剣を押し退け、喉を狙う。

 マニオンは反射的に後ろへ跳び、辛うじてそれを躱した。


「調子に乗るなぁ!」


 地が蹴られる。低い頭へ目がけ叩き込まれる、鋭く速く力強い【天辺斬り】。切っ先で相手の身体上部を狙う、腕と剣の長さを最大限に活かす斬撃だ。手足の短いドワーフ少年に対し、攻撃幅の差を利用したのだろう。


 ギィン。


 しかしドワエモンはこれを容易く受け止めた。

 それどころか、バインドから素早く右下へ敵の刃を押し流すと、踏み込みながら斬り上げたのである。


 ぴっ。


 剣先がマニオンの顎を舐め、骨寸前まで肉を裂く。

 呻きと共に俊英貴族が再び跳ね飛び、距離を確保した。


「き、貴様如きが私に傷を!?」


 憤怒に燃えるマニオンの顔を、首を傾げつつ眺めるエモン。

 違和感が、彼の胸中を掻き回している。


「軽いし……遅い?」


 稽古の手加減ですら手指をもぎ取りそうな、ガイウスの重みも鋭さも無い。

 バインドから好き放題に剣を流して弄ぶ、ダークのような器用さも無いのだ。


 いや正確にはマニオンの膂力も剣技も、彼が誇るように雑兵相手とは格が違うとエモンにも理解できていたが……それでもドワエモンが毎日毎日修行を積まされた相手には、比べるまでもない。

 少年はずっと、雨の日も風の日も師匠たちの剣を叩き込まれ続け。

 そして、気付かぬうちにそれを受けられるようになっていたのだから。


「……オッサンの木剣に比べれば、こんなの全然大したことねえや」


 この時彼は、打たれ続けた日々が徒労ではなかったことを理解した。


「貴様如きが私を下に見るなぁッ!」


 風を切る剣、金属音、バインド、衝突する力と力。刃が離れ、またぶつかる。

 そのまま十数回も火花を散らした後に、劣勢のマニオンが一転攻勢に出た。


「シャッ!」


 構え直しを予備動作とした、踏み込みからの鋭い突き。

 だがエモンは姿勢を下げつつ右へと踏み込みそれを回避。左手一本に持ち替えた剣で、マニオンの左膝を抉ったのである。


 ロング・ソード剣術【片手避け】。

 彼に防御を優先して叩き込み続けたガイウスが、ドワーフの背の低さを活かせると最初に教えた反撃技(カウンター)だ。


「なんだとぉぉ!?」


 勢いのまま前へ崩れ落ちるマニオン。その手に握られた剣を、少年大臣が蹴り飛ばす。

 勝敗は、決した。


「馬鹿な、こんな馬鹿なぁっ!」


 喚く貴族騎士の鼻先へ、エモンが剣を突きつける。


「よぉし! 大人しく降伏するか、このまま死ぬか。選んでいいぜ」

「認めん、認めんぞぉぉ! 貴様も、【欠け耳】もぉぉ!」

「エモーン! 逃げますわよ!」

「「え?」」


 同時にその声へ反応した、マニオンとエモン。


「何でだよブッス! 今いいところなんだよ!」

「お馬鹿! もうそんなの放っておきなさい! 【オトメ】が出たのですわ!」

「何で南側に!? マジかよウッソだろおい!?」

「マジのマジですわー!」


 見れば周囲では、コボルドらが追撃を中止し大慌てで逃げ出していくではないか。

 ドワーフ少年も打ち負かしたばかりの敵将を放置し、蛮族衣装の女戦士と走り去ってしまった。


「お、おい貴様ら!?」


 そして後には、手負いのマニオンだけが残されたのである。



「許さぬ、許さぬ。この屈辱、必ず千倍にして返してやる」


 左膝を引き摺りつつ。遠くにぼんやりと見える明かりへ向け、よろよろと進むロードリック=マニオン。

 残る最後の陣地も攻撃を受けているだろうと判断した彼は、ノースプレイン軍本来の前線まで落ち延びることにしたのであった。この負傷で戦闘領域に飛び込めば、陣地に入る前に間違いなく討たれるだろう。


「この私が、この私があんな連中に二度も敗れるなど!」


 だがそう吐き捨てつつも、彼自身の性分が敗因を分析し始めていた。

 それは既得情報のみで敵の戦闘能力を決めつけたことや、それによる戦力分散、実戦闘での奇襲戦術など様々に上ったが……


「……一番は兵の質、か」


 以前のマニオン家常備軍のみであれば、ここまでの無様を晒すことはなかっただろう。

 事実古参兵や郎党らはあの混乱の中でも懸命に戦い、職務を果たそうとしていた。

 集団の崩壊は、臨時の雇い兵らが潰走したことによるものだ。


「思えば内戦で勝利を重ねられたのも、父上の代から我が家に仕えた戦士たちが、手足となって私の策を確実にこなしてくれたからなのだな……今になって身に沁みる」


 マニオン自身の武勇だけでは決してない。

 彼の家に優秀で忠実な兵や中級下級指揮官が揃っていたからこそ、多少の不確定要素を乗り越えてここまで戦い続けられたのである。

 その貴重な人材を、父から譲り受けただけの彼は何の感謝も感慨もなく使ってきたのだ。

 そして今日で、そのほとんどは失われてしまっただろう。


 ざざっ。


 茂みを踏み分ける音に、びくりと振り返る貴族騎士。

 そこには武器も投げ捨て逃げ出したと思われる、マニオン隊の兵士がいた。常備兵でないのに見覚えがあるのは、本隊にいた臨時兵だからだ。


「おお、丁度良かった。早く肩を貸せ。味方の前線まで後退する」

「ふざけんな貴族のボンボンがぁ!」


 マニオンの頬にめり込む拳。

 倒れ込んだ彼が手放した剣を奪い、兵士は蹴りまで加える。


「ぐおっ!?」

「お前のせいでこんな目に遭ったのに、まだ、まだそんな偉そうな口を利くか! 俺のダチはお前が無能なせいで、ついさっき化け物に噛み殺されたんだぞ!?」


 再び軍靴が、名門貴族の顔を打つ。

 さらに兵士は唾を吐きかけると、そのまま走り去ってしまう。


「く……」


 鮮血を鼻より垂らすマニオンであったが、不思議と彼は腹を立てなかった。

 見下し罵倒し続けた相手が土壇場で手を払いのけたことを、むしろ納得をもち受け止めていたのだ。


「なるほどな、まあ、そうなるか」


 昨年の戦いでコボルドに追い詰められた時、命を投げ出して主を逃がしベルダラスに討ち取られた家臣メイヒューの後ろ姿が脳裏によぎる。マニオンの傲慢を受け止め、それでもなお尽くしてくれた臣下たちが、いかに得がたいものだったのか。

 そして彼らにも、新たな兵に対しても、指揮官としての信を得ようとする努力を怠ってきたことに、不誠実であったことに、ようやくロードリック=マニオンは気付いたのだった。

 立場だけで人を従えることはできないのだ。特に極限状態においては、と。


「……犬共のあの士気……【欠け耳】や【イグリスの黒薔薇】と、私との決定的な差がこれか」


 コボルド軍の高い士気は、絶滅戦争に対抗する国民軍……この当時国民軍の概念は南方諸国群に無いが……というだけではない。サーシャリアやガイウスに対する、兵の信頼こそがその基となっていることを、若き貴族騎士は理解したのである。


「そうか……だが今度こそ、今度こそだ。私は誓うぞ【欠け耳】。何年かかってでも、私は貴様らに負けぬ軍を作り上げてみせる」


 拳を握りしめ、強い決意と共に呟くマニオン。

 彼はここにきてやっと、将としての一歩を踏み出そうとしていた。


「そして、次こそは雪辱を……」


 ……だが残念ながら、その機会は永遠に訪れはしない。


「ぐるるるぅ」


 唸り声に振り向いたマニオンの眼前に、爛々と光る獣の双眸。

 それは気難しさ故にツガイを作ったことのない、コボルドが【オトメ】と渾名する蟲熊の大型個体だ。


 新たな狩り場を探しに遠征した彼女はヒューマンとコボルドの騒動に苛立たされ、そして一頻り暴れた後の夜食を求めていたのだった。


「ぐおう」


 闇の中に浮かび上がる牙を、やっと闇に順応したマニオンの瞳が見つめている。

 昨年夏に小柄な狩人を食して以来、【オトメ】が久しぶりに味わう平地猿が彼であった。



 マニオン隊で最後に残った陣地の兵約五十名は、包囲された後に妖精犬から降伏勧告を受け、これを受諾した。

 陣地指揮官が昨年に一度捕虜となったテレンス戦士長だったことが最も大きいが、「コボルドには降伏が通じる」と人界に浸透し始めているのは、今後を鑑みても非常に意義があることだろう。


 一方、陣地から逃げ出した兵はマニオンと同様の思考で遠くに見える明かりを目指したが……これ自体が残酷な罠であった。

 前線ノースプレイン軍のものと思われた篝火の群れは、コボルド偵察兵が機を見て灯し、そして消したものなのだ。夜の森で方向感覚を失ったヒューマンらは、蛾の如く欺かれたのである。


 完全に退路を奪えば、各所で決死の抵抗を受けてしまう。そのため包囲戦では敢えて敵の逃げ場と希望を作る手法があるが、コボルド側は偽りの灯でこれを成した。

【オトメ】の妨害を受け本格追撃を断念させられたコボルド軍ではあったものの、マニオン隊潰走兵からは森の奥ヘ迷い込む者が続出。意図せぬが結果としては、労せずに戦果を挙げられたとも言えよう。

 こうしてマニオン隊は一夜にして壊滅した。今作戦で投入された彼の隊約三百名の内、翌朝までにノースプレイン軍戦線へ復帰できたのは、わずか六十前後だったらしい。


 ノースプレイン軍が予定していた翌日の総攻撃は断念を余儀なくされ、さらにもう一日かけて戦力再編に追われることとなる。これまでで、最大の損害であった。


 ……縦深で引き込んでから先頭を騎兵で打撃して阻止、その後に各個撃破と半包囲での殲滅。

 機動防御とも言えるこの戦闘の経緯が翌々日までに纏められ、ノースプレイン軍総司令官ローザ=ギャルヴィンが読んだ時。老騎士は、それ迄見せたことの無い苦い顔で呟いたのだという。


「狡いねえ……連中だけ、三百年は先の戦争をしているよ」


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