259:コボルド森の戦い、緒戦

259:コボルド森の戦い、緒戦


 戦闘人員三百名を本陣へ残した後、イグリス軍の動きは素直に見えた。彼らは枯れ川とその両脇へ千二百の兵を投入し、速度を合わせて前進させたのだ。


 緒戦故に一戦して力量を測るつもりなのか、早々に枯れ川へ放水させておきたいのか、それとも【緑の城】に籠もると踏んでいるのか。

 増援を待たずに侵攻を開始したイグリス側の意図をコボルド側は測りかねたが、とはいえこれだけ戦力差の少ない状態で戦える好機はもう無いだろう。加えて物理的距離はコボルド側の防衛力そのものであり、易々とは譲れない。

 そのため森の中で待機していた全軍が迎撃にあてられ、遡るイグリス軍の行く手にて待ち構える。


『撃てっ!』

「「「えっ!?」」」


 最初の射撃は、交わされるのではなく一方的なものとなった。

 コボルド側の魔杖は豊富で良質なミスリル資源を活かし、さらに高品質な新型へ更新されている。予詠唱(プレキャスト)を維持し待ち構える時間までもが延びており、イグリス側の先頭集団は「相手の詠唱音を聞いて準備する」という過程を飛び越えて魔弾を叩き込まれる羽目になった。


 枯れ川と両翼の先頭集団が不意に薙ぎ倒され、混乱。イグリス兵は負傷者を引き摺りながら、若干の後退を強いられる。とはいえ後続が控えているためコボルド側も追撃は行えず、距離を置いてしばし睨み合いの状態に。

 やがて態勢を立て直したイグリス枯れ川部隊は、コボルド側の【動く壁】を突破するために戦争馬車(ウォーワゴン)を盾にしながら射撃及び前進。両翼も森の木々で身を守りつつ、立ち塞がる毛皮の軍勢を圧迫していく。


「遮蔽物を利用して距離を詰めろ! 向こうの方が射程が長い!」


 イグリス兵は隊長の指示に従いコボルド防御線へ接近を試みる。ある場所では木々に身を隠し、またある場所では運び込んだ丸太の壁を盾にして。

 だが妖精犬も、それをすんなりとは許さない。


『行け! ゼシカ!』

『頼んだぞ! ミーティア!』


 遮蔽物の陰に潜んだイグリス兵へ襲いかかったのは、杭を角や棘として武装を施された木馬である。

 複雑操作や高度な自立行動には対応できぬコボルド式ゴーレムだが、ごく近距離での単純行動に絞れば、以前ドラゴンを阻塞精霊凧で落とした時のように遠隔使役も可能なのだ。


「なんだこいつらっ!?」

「うわっ!」


 ある者は杭に傷つけられ、ある者は体当たりを受け……他の者も、たまらず遮蔽物の後ろから追い出される。そうして射界に身を晒した兵は、コボルド側から吹き付ける魔弾に身体を抉られたのだ。


「撃て! あの化け物を黙らせろ!」

『『戻ってこい!』』


 イグリス軍はほとんどの兵が魔杖を装備した近代軍である。彼らから集中射撃を受けた武装木馬の一部は、足や胴を破壊され防御線へ戻れぬまま撃破されていく。


『ああっ! ゼシカーッ!』

「「「よし! やったぞ!」」」


 拳を振り上げるヒューマンたち。再びコボルドへ向け、距離を詰めようとするも。


『今度はアタシのゲルダが出るよ!』


 妖精犬防御線からは、また新たな木馬が現れる。


「まだいるのかよ!?」

「待て、あれを潰してからじゃないと近付けん!」


 これが兵力差を埋めるため、一般兵にも導入された木馬戦法であった。ゴーレム馬をけしかけることにより、敵の接近を遅らせるのだ。

 コボルド一人が扱えるゴーレムは一度に一体が限界の上、魔法核の再生産や精霊憑依が無闇にできる訳ではないが……兵は、失わずに済む。絶対数の劣るコボルド側にとって、彼らは心強い戦力になるだろう。


『フフ、連中びびってるよ。あたいのゲルダはピッカピカに磨いてカッコイイからねえ』


 ……まあ勿論精霊の機嫌取りが必須なのは、言うまでもないが。

 そうして両脇の森でのイグリス軍戦力が攻めあぐねている頃、枯れ川では。


「押せ! さらに前へ進め! このまま相手を押し込めー!」


 ゴゴ……ゴゴゴ……


 被弾で木片を撒き散らしつつ砂底をゆっくりと、だが確実に進み前線を押し上げ続ける存在がいた。重厚な木造装甲車……戦争馬車(ウォーワゴン)である。


「「「おぉーう!」」」


 ゴ……ゴ……ゴゴ……


 これはイグリス軍が対コボルドに用意したもので、これまでの軍と同様、木製装甲で守られた内部の兵が人力で押す改造馬車だ。性質としても同じく、移動陣地というより攻城衝角車に近い代物と言えよう。

 ただ従来の物と違い車輪を装甲下へ収めるなど各種改良が施されており、車輪が集中射撃で破壊されることを防いでいた。前部もシュモクザメの頭のように拡張され、車輪より前で中の兵を歩かせることが可能になっている。もし落とし穴があれば兵が先に踏み抜くため、そこへは板を渡すなり土嚢を投げ込むなりで路面を整えてやれば良い。

 これは今までのコボルド戦の記録を収集し活かしたイグリス側の工夫であり、実際今日も五回ほど隠し溝や穴を発見しては、乗り越えていた。

 だが。


 ばりん。

 がくん!


「「「うわっ!?」」」


 右膝でもつくように、突如擱座する戦争馬車。内部の兵が急停止の衝撃でぶつかりあい、砂底に転ぶ。


「落とし穴だと!? 馬鹿な、そこは俺が歩いた場所だぞ」

「この穴、陶器か……?」

「そうか、壺が逆さに埋めてあったんだ」


 然り。これはかつて、西方諸国群の籠城戦で用いられた攻城兵器対策である。ヒューマンが歩いた程度でそうそう踏み抜きはしないが、重量物が上に載った途端、薄く調整した壺底は割れてしまうのだ。


『スリャ! スリャ!』

『今だ! 【動く壁】敵と距離調整! 相手の射程外かつこちらの射程内から、一方的に魔弾を叩き込んでやれ! ……ですよね、名人!』

『グオゴゴゴ』


 相変わらず身体言語や掛け声で指示を飛ばす名人隊隊長ピンクノーズと、それをさも当然のように理解し動く隊員たち。


 バシュ! バシュ! ババシュ!


 猛射を受けたイグリス兵も、擱座した戦争馬車を防塁代わりに応射する。

 が、魔杖の性能差でただただ撃たれ続けるのみ。衝撃で輪も軸も破損した馬車は、魔弾の暴風雨の中では修理することもできぬ。

 これにより、イグリス軍枯れ川部隊の前進は完全に停止した。状況の打開は両翼、森中の部隊にかかることとなる。


「隊長ッ! 枯れ川の戦争馬車が止められました!」

「ちっ……ならばこちらを展開して、犬共を半包囲に追い込み叩き潰すしかない。連中のほうが戦力は少ないのだからな。我が隊で戦局を打開するぞ!」

「了解!」


 左翼部隊を指揮するイグリス騎士は、枯れ川の側面を固める戦力を横へ延長することを決断、指示を下す。

 魔弾を防げぬ鎧など着ない、帽子にコートという軽装の近代兵士は機敏である。急な移動は幾らかの兵を罠で損ないもしたが、それでもイグリス軍左翼は指揮官の意図通り、羽根を広げるように兵を進ませていく。


『敵が広がるわ! 回り込ませないで!』


 対峙する白霧隊のコボルドも対応するように、各班を動かしていた。

 防御施設のない場所を衝かれそうになれば、そこには小型の【動く壁】を投入。即席の陣地を作っては射撃優位を維持し、回り込ませぬように戦い続ける。


「犬どものほうが人数は少ないんだ! そのうちにこちらが側面をとれる!」


 撃ち合いながら競うように、森の中を伸び続けていく両軍。


 しかしこれはコボルド側の罠であった。イグリス軍左翼が伸ばした戦力に厚みが伴わなくなった瞬間、ガイウスやダーク、そして親衛隊六十一名と武装木馬が一気に割り込んだのだ。

 果実をもごうと伸ばした左腕が二の腕で断たれた、と例えれば分かりやすいだろうか。加えて切り落とした刃は、そのまま脇腹へ食い込んだのである。


「ぐるぉぉう」

「ケケケ」

『『『牙と共にーッ!』』』

「わ、わあああ!?」


 悪鬼の如き形相で飛び込んできたコボルド王とその臣下により、イグリス軍左翼は混乱状態に陥った。特に、速やかに左翼指揮官を見抜いたガイウスが【薪割り】で両断した光景は、一発で周囲の兵を恐慌状態へと追い込んだ。


「たたた隊長ーッ!」

「あれが……【イグリスの黒薔薇】……ッ」

「乱戦で魔杖は使えん! け、剣を抜け!」

「ば、化け物だーっ!」

「馬鹿者! 応戦、応戦しろ!」


 白刃を振り回し、打ち込み、肉を切り、骨を断つ。そして自らもそれを受ける……などという行為は尋常の神経で耐えられるものではない。一種、狂気の領分である。自分たちが主導で仕掛けるならまだしも、突如眼前に切っ先を突きつけられ狼狽えずにいられるだろうか。

 ましてや平和が十七年続いたイグリス王国の中央軍である。特別な修練を積んだ騎士ならともかく、剣戟に対し慣れのある一般兵は少ない。一方でコボルド軍は、望まぬ実戦を重ね続けた戦士たちだ。


『着けー剣ー!』

『『『着けー剣ー!』』』

『白霧隊、前進! 木馬も突入させなさい!』


 そしてまさにこの時機で、イグリス左翼部隊と対峙していたアンバーブロッサムらが杖剣突撃を開始する。これにより浮き足立っていた左翼部隊、特に前半部分は完全に潰走した。


「下がれ! 下がって立て直せ!」

「枯れ川の味方と合りゅ、ぐは!?」


 そのまま後方である南へ走れた者はいい。悲惨なのは、枯れ川へ逃げこんだ兵である。彼らは射撃戦の真っ只中へ飛び込むことになり、敵だけでなく味方からも撃たれることとなったのだ。

 左側面の森をコボルド側に奪われた枯れ川イグリス軍は、前と左から同時に魔弾を叩き込まれることとなり、半壊しつつ後退。結果的に取り残された右翼部隊も、撤退を強いられるのであった。

 イグリス右翼部隊だけが最後まで戦線を維持し損害も少なかったのは、その中核を【跳ね豚】の黒猪戦士団が占めていたことが大きいだろう。ピックルズは功に焦って隙を作ることもなく、最終的には枯れ川の味方を支援しつつ整然とした後退に成功している。


 ……こうして、第六次コボルド王国防衛戦の第一日は終わったのだ。


 イグリス軍はこの戦闘だけで、戦死及び行方不明百八十八名に負傷百五十三名という極めて大きな損害を出した。

 対するコボルド側は木馬戦術が有用性を証明し、正面からの戦いにもかかわらず戦死は十一名、負傷二十五名。ゴーレムは、二十八体が大破。

 加えてコボルド側はイグリス軍を枯れ川入り口まで追い返しているため、イグリス軍は得るもの無く散々に打ちのめされたと言える。

 実際【若禿】も、一度戦った【跳ね豚】ですらコボルド軍の戦闘力がここまで向上していたとは想定できておらず、探りを入れた手の指を食い千切られた気分でもあった。

 だからその点から見てこの日の枯れ川戦は、相手を甘く見た【若禿】の失態とする評価もできるだろう。


 ……ただしそれはあくまで、枯れ川という一局面においての話だが。



 この日【若禿】は枯れ川の戦闘開始と同時に、かねてより集めていた軍用犬や猟犬によるコボルド偵察兵狩りを始めさせていた。その結果【大森林】外や街道沿いで様子を探っていた霊話兵らは即時撤収を余儀なくされ、コボルド王国は森外の視界を一気に失ってしまうこととなる。

 勿論【若禿】が、常識の埒外である霊話戦術を知っていた訳ではない。だがこれまでにザカライア=ベルギロスや【剥製屋】が本陣を襲われ敗れた経緯から、彼はなんとしてもコボルド偵察兵を自軍勢力圏から排除せねばと考えていた。だから枯れ川の戦闘にコボルド側の兵力と注意を向けさせた隙で、妨害を受けぬうちに掃除をかけたのだ。


 それだけではない。

【欠け耳】に察知され先手を打たせぬよう、敢えて【若禿】は第二陣をライボローからの街道を大きく外して進ませていたのである。勿論、到着日時は伝令を交わして把握済みだ。

 そして予定通り到着した第二陣三千のうち二千をそのまま【コボルド森】……イグリス側がそう呼び始めた、【大森林】のコボルド村へ続く領域……の東部西部へ侵入させると、日没までに可能な限り森中を北へ強行軍させ、陣地と連絡線を構築させた。その距離、直進したならば村までの三分の一近くに相当する。

 休む間も与えられなかった第二陣将兵には酷だが、戦闘もせずに前進できる機会は今後まず見込めぬ。仕方あるまい。


 コボルド王国指揮所のサーシャリアも森に入られた時点で相手の作戦に気付いたが、枯れ川の戦闘が佳境に入ってからは今更布陣を動かすこともできぬ。地図上両脇を進む石を、指を咥えて見つめるのみ。

 もし森の外の索敵網が健在で事前に動きを察知し得たならば、いくらか遅滞戦闘なり妨害もできただろう。しかし枯れ川の戦闘が佳境に入った後では、今更布陣を動かすことは難しかったのだ。可能な限り敵に打撃を与えるべきと猟兵隊まで投入していたことも、ここでは裏目に出ていた。


 ……【若禿】はコボルド軍に陽動をかけた上で目潰しを行い、その隙で一気に両脇を抉ったのである。

 枯れ川のイグリス軍は入り口まで追い返されてはいたが……東西の森で大きく前進したため、枯れ川の前線も近いうちに並ぶだろう。コボルド側も防御線維持に際し、枯れ川だけを突出して守り続けるのは難しい。


 つまりコボルド王国は緒戦に勝利したのではなく、逆に村までの距離の三分の一を初日で失ってしまったのだ。

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