260:ざくろのはな

260:ざくろのはな


「まずい戦いをしてしまったわ」

「まずい戦いをしたものだ」


 片や大きな戦線後退を強いられた指揮官、片や少数相手に手痛い反撃を受けた指揮官。両者は緒戦について、同じく自らが失敗した感想を呟いていたという。


 そんな初日が明け、二日目。

 コボルド猟兵隊による休息妨害を即席防壁や土塁、塹壕の中で凌ぎ、目覚めた東西森中のイグリス軍。それぞれ一千名の彼らは再び前進すると思いきや、半数の兵で厳重な警戒態勢を整えた上で、残りの兵や工兵をもって本格的な陣地の設営を始めたのである。


 その目的が森の中に橋頭堡を築き上げる、ということは明白だった。それも砦じみた、強固なものを。

 前線各部隊と森外との連絡強化や補給物資の集積、前線司令部、負傷兵の一時収容所、越冬用の基地というだけではない。今後【欠け耳】の奇策で揺さぶりをかけられたとしても、これ以上は戦線を下げずに済む保険を構築しようとしているのだ、【若禿】は。


 ライボローと戦場を複数の野営地で結んだ時と同様、大軍を用意されていながら度を超した用心のようにも感じるだろう。

 しかし昨年雪で時間切れとなったギャルヴィン老を除けば、これまでの討伐指揮官は皆【欠け耳】の策で終盤に盤面を覆され敗れているのだ。むざむざそれに名を連ねるのは、ガイ=ガルブラウに課せられた責任と彼の自尊心が許さない。


「こんなにも女性へ臆病になったのは、初めてだ」


 だからこそ彼は苦笑しながらも、慎重に事を進めるのである。


 ……勿論コボルド側も相手の意図は察しており、工事を妨害しておきたいのはやまやまであった。

 が、そのためにはどちらの現場も守りに徹した五百名、しかも士気の高い兵を撃滅せねばならない。いや、工事の兵が戦闘へ復帰すれば一千にもなるか。それを正面から叩き潰すなど、稼働三百五十名を切ったコボルド全軍を投入しても不可能だろう。


 加えてこの時、昨日枯れ川を攻めた戦力に第二陣残り千名を加えた約千五百名のイグリス軍が、枯れ川と森を幅広く圧迫し始めていたのだ。

 露骨な陽動だが、放置すれば陽動自体が本命と化す。またいずれ下げねばならぬ防御線だとしても、相手に損害を与えず譲ってやる訳にもいかない。

 そのためコボルド戦力の大半はその迎撃に配され、結果、東西設営現場への妨害はあまり効果を上げられぬままに日没を迎えることとなる。


 このようにイグリス軍は付け入る隙を与えぬまま三日目、四日目も同様の状況を作り続け……上回る兵数を活かした【面】での攻勢により、東西工事現場と同程度の深度まで中央戦線をも押し上げたのであった。



「森に入って調べたところ、やはり罠の大半は私が昔ガイウスに教えたものですね」


 四日目の夜、本陣司令部の天幕内。

 老騎士シェル=フノズールが、討伐軍司令官ガイ=ガルブラウに書類の束を渡している。


「分かる物だけでも、それぞれ仕組みと見分け方を書き記しておきました。前線各部隊に共有させておけば、多少は見つけやすくもなるでしょう」


 杭が下半身を突き刺す落とし穴、棘付きの振り子、枝の弾力を活かし木槍を叩き込む仕掛け、踏めば釘板が足を噛む罠、足を絡め取る縄……などなど。仕組み図解入りのそれに目を通しながら、唸る【若禿】。


「えぐいものだな」

「当時の鉄鎖騎士団は、こういう小細工もよく使いましたので」

「助かる、フノズール。そうか、ベルダラスはお前の弟子というわけか」

「そうとも言えますな。【イグリスの黒薔薇】という剣を鍛えたのは先々王妃様ですが……研いでやったのは、私ですので」


 中指で眼鏡を上げ直す、白髪の騎士。


「どんな男だった? ベルダラスは。俺は奴とは、顔を合わせた程度しかないのだ」

「何をやらせても愚図な男でしたよ。ただ……」

「ただ?」

「ただ例外的に人殺しだけは、物覚えがよかったですな。まあ結局、それしか能が無かったのでしょう」


 吐息だけで、嗤う。


「そうか……しかしどうやら、ベルダラスには部下や兵を育てる才はあったようだな。まったくコボルド兵の練度と士気の高さ、粘り強さといったら。そしてそれを統率する【欠け耳】の手腕よ。前線と司令部の信頼も、濃く透けて見えるようだ」


 羨むように息を吐く。


「おかげで、初手に東西で一気に食い込めば、中央の森や枯れ川もすんなり押し上げられると見込んでいたが……結局東西と戦線を並べるまでに、三日も粘られてしまった」


 この三日間ギャルヴィン老に倣った面攻勢で圧迫させた【若禿】であったが、コボルド軍は得意の遅滞戦闘でイグリス軍にしっかりと出血を強いていた。三日間の戦死及び行方不明が百四十八名、負傷は三百三十四名。

 一方コボルド側は兵の代わりに距離を犠牲にしているため、損耗は少ない。縦深がそのまま防衛力となり戦力差を補う、コボルド軍防御戦闘の本領だ。


「ガイウスが育てたのではなく、部下や将兵が望んで『育った』のでしょう。あれは凶相に慣れさえすれば、好かれる相手にはとことん好かれる男ですから」

「【欠け耳】も、かな?」


 戦術地図を見ながら、ガルブラウはその渾名を出す。


「でしょうね。私は面識はありませんが、あれには過ぎた部下ですな。こんな【大森林】での戦いなど騎士学校で習うはずもないでしょうに、よく順応したものです」

「ああ、死なすには惜しい。ベルダラスは斬らねばならぬが、彼女は何とか麾下に加えたいものだ」


 本心からと思われる、物欲しげな呟き。

 そこには圧倒的優位に立つ側の余裕だけではなく、時代を作ろうとする男の覇気が滲む。


「ガルブラウ卿はよろしいかもしれませんが、さて、彼女が首を縦に振りますかな」

「まあ、頑張って口説いてみるさ」


 白い歯を見せ笑う。


「どんな人物なんだろうな、一度会ってみたくも思う」

「亡き前デナン当主が、一時囲ったハイエルフの愛人に生ませた私生児ということです」

「ん? ああ。まあ何となく、そんな噂は聞いている」

「身籠もると同時に東方へ追い払ったものの、嫡男が病死したため彼女だけを買い戻したのですな。エルフの血は、何代かかけて薄めればいいだろう、と」

「……傲慢だな」


 これが天幕内でなければという顔で、【若禿】が吐きかけた唾を飲み込む。


「その後じきに弟である現当主が生まれたため、彼女は用済みとされたのだと」

「随分と詳しいのだな。お前はその手のよもやま話は疎い、と勝手に思い込んでいたが」

「妻がデナン一門傍流の出なので。そのため私も当時はまだ、あの一族ともある程度交流がありました」

「そうか。細君がか……」


 話題がそのことに向いてしまったことで、【若禿】の顔に陰が差す。


「伯父上……宰相閣下からお聞きでしたか」

「あ、ああ」

「ですがお気遣いなく。今日まだ妻と私があるのは、宰相閣下のおかげなのですから」


 気まずくなったガルブラウは咳払いをし、話の舵を強引に切ることにした。


「そういえばベルダラスも、四半のトロルだったな」

「はい。ただあれはまあ、運が良い男でしょう。ベルギロス家を放逐されたとはいえ、先王や先々王から随分と可愛がられていたようですし」

「先もその物言いも、どうもお前はベルダラスを好かぬように聞こえるが」

「斬るには、そのほうが都合もよろしいのでしょう?」

「まあ、確かにな」


 そう答えられれば、【若禿】もそう応じるしかあるまい。

 だが、そこに。


「ガルブラウ団長、納得がいきません! いくら反逆者ベルダラスが手練れとはいえ、何もフノズール卿のような老人に頼る必要はないでしょう」


 やり取りを別の机で聞いていた新生鉄鎖騎士団の副団長、レインという男が不満を顕わに割って入る。実力に自負を持ち上昇志向も強い、いかにも血気盛んな若手将校という風情の貴族騎士だ。

 なお彼はビクトリア=ギナに、【剥製屋】の面倒と死の責任を押しつけた上役でもある。


「口が過ぎるぞレイン。フノズールは旧鉄鎖騎士団を率いていたこともある先達だぞ」

「いいえ、言うべきことは言わせていただきます! それに今回の遠征、不手際で処分を受けたはずのギナまで、得体の知れぬ剣士を連れて参加しておる有様……こんな怪しげな者たちを用いずとも、我々が、私がいるではありませんか!」


 それだけにビクトリアがいつの間にか宰相直属に昇格し、特別扱いでこの遠征に同行していることも不愉快であれば……自分たちを差し置いて、わざわざ老人が取り立てられたのも我慢がならないのだろう。

 まあ当然と言えば、当然の不満だが。


「それに私は知っております、フノズール卿はかつて横領で職を追われたのだと。誇り高き我が新生鉄鎖騎士団が、力を借りるべき相手とは思えません!」


 糾弾を受ける老騎士の表情に、変わりは無い。

 ただ一瞬だけ漏れた殺気が、【若禿】の首筋を撫でるのみ。


「ですからガルブラウ団長、私にフノズール卿との手合わせをお許しいただきたい! ベルダラスを討つのにそんな男は不要なのだと、証明してみせます」


 過熱したレインが、荷物の陰に置いていた二本の木剣を拾い上げて請う。どうもこの近日、機会を窺っていたらしい。

 その様子を止めることもなく、考え込む【若禿】。


「……フノズール」

「はい」

「レインは新生鉄鎖騎士団でも一番の遣い手だ。一昨年は中央若手騎士を集めた剣術大会で、優勝もしているほどのな」

「それは大変に興味深いですな」


 真逆の表情で返す、フノズール。

 だがそれを見て、ガルブラウは決めたようだ。


「……いいだろう、やってこい」

「はい!」

「仰せとあれば」


 そう言って天幕を出て行く、副団長と老騎士。

 それを見送っていた書記官の女性が、不安げに討伐軍司令官へと問いかける。


「あのう、ガルブラウ卿……よろしいのですか?」

「構わん。どうせなら俺の目の届くうちに、鬱憤は解消させたほうがいい」

「ですがフノズール卿はご高齢です。あのレイン殿相手で、大丈夫なのですか?」

「レインの腕は確かだ。確かだが……宰相閣下が、これに負ける程度の人間を寄越すはずもない。それにまあ、一本とられて鼻っ柱を折られたほうが、レインの今後のためにもなるだろう」

「は、はあ……」

「さて俺も見物しにいくか。地図とにらめっこばかりは、首が疲れていかん」


 だがそう言い終えもせぬうちに、入り口から老騎士が覗き込んでくるではないか。


「失礼、ガルブラウ卿。お聞きしておくべきでした」

「どうした」

「戦場に立てる程度の『教育』であれば、問題はありませんな?」

「ん? あ、ああ。骨折などは困るからな、気を付けてくれ。勿論、お前もだぞ」

「ならば結構」


 頷くフノズール。しかし彼はそのまま中に入ると、先程同様に卓の傍らへ戻ってしまう。


「どうしたフノズール。レインの相手はいいのか」

「もう、終わりましたので」


 その頃外では、顔を押さえうずくまるレインが巡回兵に発見されていた。

 わずかの間に、表面だけを木剣の先が正確に幾度も擦ったらしい。彼の鼻は皮が裂け肉が露出し……まるで、熟し弾けたザクロの如き有様であったという。

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