261:獰猛な守り

261:獰猛な守り


 五日目。

 東西と戦線が並んだことで、イグリス軍は枯れ川の岸にも拠点を構築し始めた。これが完成すれば、東西砦と一本の線で貫くような位置関係となるはずだ。

 それは枯れ川道路を利用できる基地であり、イグリス軍を攻防問わず支える重要拠点となるのは確実だろう。


 当然コボルド側としても、看過できぬ動きである。だが同時に、手出しもできぬというのが実情であった。

 守りを固められたというだけではない。一定の防御力と機能を確保した東西砦を基点に、この日イグリス軍は東西約一千名ずつでの攻勢をかけ始めていたためだ。

 そのためコボルド軍は設営現場に手出しできないどころか、警戒戦力を枯れ川に貼り付けた上で東西への対応をせねばならなくなった。


 片方だけでも全軍のほぼ三倍近い数だというのに、コボルド軍は戦力を三分割した上で迎撃せねばならないのである。一方イグリス軍は数的有利を活かし、無理なく「厚み」か「幅」のどちらかで相手を上回り浸食していけばよい。

 妖精犬にできることは最早どれだけ時間を稼げるかだけであり、数的不利を補うためにも【緑の城】へ後退するはず。

 そうイグリス将兵が考えたのは、ごく自然の話だろう。


 ……しかしここでコボルド軍司令部は、その攻勢を逆手に取る。


「白霧隊第一班を大きく下げて!」

『『『分かったわ~!』』』


 サーシャリアはイグリス軍の面攻勢各所における進軍速度を巧みに調節することによって、突出してしまう敵部隊を任意に作り出したのだ。


「第四班はその間、ここまでの後退で保たせるように指令! 二班は四班の援護に移動!」

『『『は~い!』』』


 イグリス王国軍はあくまで、尋常の範疇にある軍隊である。森が深くなるほど連携と連絡は難しくなる上、遠い本陣からの直接指揮など叶わない。

 一方コボルド王国軍は霊話戦術により指揮所と戦況が同期しているだけではなく、瞬時に指令まで飛ばす超常の軍隊だ。

 サーシャリアはその差異と利点を、最大限活用した。


『敵部隊が一つ、突出の上で孤立しました! いけます!』

「白霧隊第一班反転、斉射三連の後にゴーレム突撃! 直後に側面後方から陛下と親衛隊を突入させて!」

『『『了解~!』』』


 標的にされたイグリス部隊は防御線を押し込んでいる……押し込んでいると勘違いするうちに、いつの間にか近隣部隊よりもずっと前に進み、森といういわば闇の中で連携を失っていく。


「こちらもゴーレムを突入、我々も続く。行くぞ諸君」

『はいッ! 陛下ッ!』


 こうして分断と孤立を誘い少数となったところで、親衛隊五十八名と黒衣の剣士、そしてコボルド王を叩き込むのだ。


「くそっ、連中いきなり反撃に……」

「木馬をなんとかしろ! 投げ縄を使え!」

『『『牙と共にーッ!』』』

「たっ隊長! 右後方から敵、突入してきます!」

「側面だと!? 馬鹿な! 隣の部隊は何をやっているのだ!?」


 まるで狼が群鹿を翻弄するかのように……サーシャリアは巧みにイグリス軍の足並みを遅らせ、早め、かき乱し、そして食いちぎっていく。しかも鹿には自身が追う側だと錯覚させながら、対象を変え何度も、何度も。

 それは、どんな老練の名将でも叶わぬ秒単位かつ紙一重の用兵。執拗なまでの分断と各個撃破の反復であった。


「ま、魔杖構え! 迎え撃て!」

「間に合いません隊長!」

「それにこっちの倍以上いますー!」

「なっ何故だ!? 何故我々のほうが……ぎゃっ!」

「ぐるぅうおぉぉぉぉおぉぅ」

「イ、【イグリスの黒薔薇】!? 化け物だあああ!」


 前線の残イグリス戦力三千三百七十七名からすれば、一度一度は微々たるものだ。しかし食い千切られた彼らは微々たるだけに、瞬く間に噛み砕かれ咀嚼されていく。

 結果コボルド王らが跳ね回ったこの日、東部戦線だけでイグリス軍は死傷二百五十名を超す損失を出すに至っていた。それだけでなく一部戦力は混乱し、東砦へ敗走すらしている。

 勿論戦場全体、特に西部はコボルド側が後退を強いられていたが……とはいえ東部におけるこの損害と遅滞は、イグリス側の想定を上回るものだ。


「なんという精妙で獰猛な守り……欠け耳の魔女などと、大層な名で呼ばれるのも納得だな」


 夜に報告を整理した【若禿】は苦い顔でそう呟いたが、もし【欠け耳】本人が耳にしたなら、彼以上の渋面を作ったに違いない。

 サーシャリア=デナンには自身が霊話戦術といういわばインチキを働いている認識が常にあり、用兵家としての自分についてはさほど評価をしていなかったのだから。


 だがそれでもこの日、イグリス軍が受けた損害と衝撃は本物なのだ。

【緑の城】の外といえどこれ以上容易くは渡さぬ、と示された防衛側の意志。対する攻略側も、対策が必要とされていた。



 とはいえ開戦直後と違い本陣から直接指揮が不可能となった以上、細かな指示などできぬのが尋常の軍隊だ。

 そのためやはり六日目も五日目同様の前進がイグリス東西各部隊へ命じられ、同様にコボルド軍がこれに対し応戦していく。

 そっくり昨日の続きという調子か。しかし異なったのは、今日コボルド王と親衛隊が現れたのが西部戦線ということである。


「ぐるぉぉおおう」


 がん! ずん、ずん、ずぶり。


「た、隊長がぁぁ!」

「嘘だろ、人間が薪みたいに……」


 昨日のことがあるため、イグリス各部隊には突出を警戒するよう指示が下っていた。

 だがそれでも、罠の張り巡らされた深い森で完全に足並みを揃えるなど無理な話だろう。手を繋いで横並びに歩く訳にはいかないのだから。

 コボルド軍は巧みに切り離した敵部隊をある時は待ち伏せで、ある時は射撃で、またある時は強襲にて屠っていく。


『陛下がやったぞッ! お前たちも後れを取るなーッ!』

『『『おおーぅ!』』』

「だ、だめだ! 下がれ、下が……ぎゃっ」


 初手で隊長格や騎士を討ち取り混乱と恐怖をばらまく、ガイウスの得意……【ベルダラスの薪割り】も存分にその威力を発揮した。

 指揮官を失い潰走した部隊はイグリス軍の戦線に綻びを生み、コボルド親衛隊が更なる獲物へ食らいつく隙を作り出す。

 こうして次々に部隊を噛み潰したガイウスらはついに、西部戦線の一部を崩壊させるまでに至ったのである。


『指揮所から指令来ました! このまま隣へ食い込めとのこと!』

「やれやれ忙しい。サリーちゃんは人使いが荒いであります、ケケケ」


 ……幾つ目かも分からぬ強襲の直後、わずかに許された追撃中。顔の返り血を拭いつつ、霊話兵の言葉にダークが軽口を叩く。

 周囲のイグリス兵は指揮官と士気を失って既に潰走を始めており、剣を取るどころか魔杖を落としたまま逃げ出す者まで見受けられる。


「ま、深追いすれば敵中に孤立しますしな。おーいお前たち、戻ってくるであります!」

『『はーい』』


 ダークと一緒に敵を追い散らしていた親衛隊二名が急停止、踵を返す。運良く背後から斬られずに済んだイグリス兵数名は、一瞬だけ振り返るも走り去っていく。

 しかしそんな敗走兵らの只中を、ずかずかと逆に進む人影一つ。


「魔杖に馴れすぎる近代軍も、問題だな」


 苛立ちなのだろうか、ぶつかりかけた若い兵を突き飛ばしてもいる。


「何……でありますか、あいつは?」


 劣勢のど真ん中を、抜刀もせずぶつぶつと呟きながら近付いてくる老騎士。

 目を細め彼の姿を訝しげに注視するダークであったが……直後、ただでさえ血の気の薄いその顔が、蒼白となった。


『今だ!』

『いただく!』


 次の瞬間、両側面から襲いかかる親衛隊が二名。

 前線指揮官である騎士を討ち取る好機とみたのだろう。見事な連携と、対ヒューマンの訓練と実績を重ねた斬撃である。

 だが。


「止せ! その男は」


 しゅらん。


 白髪の男が鞘から抜いた……いつ抜いたかも見えぬ……刃が、瞬時に親衛隊兵の首を二つ切り離していた。

 速く、そしてあまりにも精妙すぎる太刀筋。

 老騎士が鬱陶しげに血を振り払う段になって、ようやくその手に握られたのが打刀とよばれる片刃剣、カタナと分かったほどだ。


「くっ……」

「その顔、黒い髪、黒い瞳」


 転がる親衛隊兵の兜を足蹴にしつつ、男が告ぐ。


「女。おぼろげだが見覚えがあるぞ」

「そちらこそ。たしかフノズール……当時の鉄鎖騎士団団長、でありますよね」


 切っ先を向けながらも、じりじりと後退するダーク。


「ああそうだ、やはり五年戦争の。私の言葉を無視してガイウスが引き取った、あの時の汚い痩せた小娘だな」

「ええ、お久しぶりです。その節はどうも、お世話になりました」


 左掌をひらひらと振る仕草。だがその目に、余裕はない。


「随分と肥えたものだ」

「お陰様で、達者に暮らしておりますので」


 老騎士の歩み一つに対し、二歩下がる黒剣士。

 しかし距離は開いても、彼女は明白に追い詰められる側だ。


「……その様子、さては奴から聞かされているな小娘?」

「ええまあ。あのガイウス殿が手合わせで一度しか勝ったことがないほどの遣い手ということは、存じておりまする。ただこの戦場にいるなどとは、まるで思いませなんだがね」


 傍には讃辞にしかとれぬ言葉。

 だがフノズールは苛立たしげな舌打ちで、それに応じていた。


「外れかと思ったが、まあいい。お前の首を刈っておけば、あの馬鹿も釣り出しやすかろう」

「ケケ。自分を斬ったところで、ガイウス殿は眉一つ動かしませぬよ」

「ああ確かにそうだな小娘。貴様の言う通りだ。あれは、そういう男であったな」


 言葉を交わしつつまた進み、また下がる。


「……だがお前の首だから『こそ』、奴は眉一つ動かさぬのではないか?」

「チッ!」


 老騎士の唇が歪む。今度の舌打ちは、女剣士の番であった。


「お前の首を奴の眼前に転がして、試してみるだけだ。奴がどんな顔をするか、楽しみだな」


 背を向け逃げる隙など、最初から無い。

 一合、二合か、それすらも保たぬだろうか。ダークが唾を飲み込み、柄を握り直したその瞬間だ。


「ぐおうっ」


 ばきぼき、ずしん!


 張り詰めた間に、濃い茂みの壁を突き破って不意に割りこむ影一つ。

 滑る様に老騎士は距離をとり、おかげで黒剣士は死の間合いから退く刹那を得た。


「ガイウス殿ッ!」


 然り、彼の男である。ガイウス=ベルダラスが、「後ろ向きに」飛び込んできたのだ。


「助かったであります」

「残念だが、弾き飛ばされてきただけだ」


 自身の飛ばされてきた方角を、コボルド王が顎で指す。

 そこには先の言葉を一言で納得させる、大剣を携えた異形が立っていた。


「えっ、ザカライア=ベルギロス……?」

「違うな。だがあれは、従兄弟殿と同じなのだろう」


 ガイウスをはるかに超す、身の丈九尺(約二百七十センチメートル)の巨体。

 極太の両腕には羽毛に塗れたもう一本ずつの腕が絡んで融合し、四本腕が歪に肥大化した二本腕となっている。

 それは確かにアルドウッズ橋の戦いでコボルド軍が対決した、天使化伯爵ザカライア=ベルギロスと類似の怪物だった。


「悪いな【イグリスの黒薔薇】さんよ」


 かつてと同じ大きさと形の頭部が言い放つ。


「ちぃとばかし、ズルさせてもらったんだぜ」


 それは元冒険者にして、そして元ヒューマンとなった……チャスの顔である。

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