262:師弟

262:師弟


 姿も見えず合図すらも届かぬ前線で、司令部からの細かな指揮に対応するなど不可能だ。なまじ複雑な指示を出せば現場は混乱し、本来の作戦行動が鈍る恐れのほうが強い。ましてやここは、隣部隊の状況すらろくに分からぬ場所なのだから。

 そして【若禿】は、そのことを理解できぬような男ではなかった。だから彼は前線各隊へは警戒指示に留めておき、【イグリスの黒薔薇】に対抗しうるシェル=フノズールと天使化チャスを同時投入することで、この日の状況に対応したのである。


「邪魔をしおって小僧。足を引っ張りに来たのか」

「勘弁してくれよフノズールの爺さん、そっちだって俺たちのこと分からなかっただろ? あと小僧は止めてくれ。俺ぁ三十代なんだぜ」

「ならば小僧で相違ない。私の半分程度だ」

「やりづれぇなぁ……」


 ガイウスを向かい取り、二人の敵手が言葉を投げ交う。

 これほどの怪物と成り果てても調子の変わらぬ元冒険者もおかしいが、それを相手に小僧呼ばわりするこの老騎士も老騎士だ。

 だがしかし、両者が揃って【イグリスの黒薔薇】を斬りに来たということは明らかであった。剣を構えたままのガイウスが、交互に視線を走らせる。


「フノズール団長、貴方が来ているとは」

「久しいな、糞漏らし」

「ご無沙汰しております」

「少し見ぬうちに反逆者とは、随分栄達したものだ。私も鼻が高いぞ」


 言いつつ、鼻で嗤う。


「軍務からは引退された、と聞いておりました。監獄の獄長をされていると」

「宰相閣下の命で復帰したのだ、貴様と貴様の犬共を斬るためにな。若い奴らだけには、任せておけんらしい」


 ちらりと視線を投げられたチャスが、「俺のことじゃねえぞ」とガイウスへ苦い顔。


「なるほど宮仕えです、そういうこともありましょう、是非もない。ですが……」

「何だ」

「フノズール団長が戦場にこられて、奥方様のほうは……お加減は、よろしいのですか」

「貴様には関係ないッ!」


 突然の怒号に、元冒険者や黒剣士がぎょっとした顔を見せる。


「失礼致しました、差し出がましい口をお許し下さい」


 隙を生じぬ程度に頭を動かし、詫びるガイウス。

 彼の意図を察したダークと霊話兵が、その間に背を向け走り去っていく。


「……そういうところは変わらんな。糞漏らし」

「久しぶりにそう呼んでいただけるのは、嬉しく思いますよ。フノズール団長も相変わらず、お達者なようで」


 ただ、と言い添えてガイウスの瞳がチャスへ向く。


「一方貴殿のほうは、半年程度のうちに随分変わったな。天使の力を取り込んだのか」

「何だお前さん、これ知ってるのかよ? 見た目に依らず、物知りだな」

「春に貴殿と剣を交えたすぐ後、その力を手にした従兄弟殿と戦っている」

「へぇ、そうなのか。じゃあ力の差が逆転して、俺がお前さんに遅れをとる要素が無くなった……ってのも分かる訳だ」


 へへん、と強気に笑う天使化剣士。

 だがこの状況で彼が安易に斬り込まぬ理由が、出来たての刃傷となって胸肉に刻まれている。合流前につい先程、ガイウスから受けたものだ。


「まさか私を斬るために、その力を得たのか?」

「馬鹿言え。別にお前さんのためじゃあないから、安心しな」

「そうしよう」


 別段、会話の一段落を待っていたわけではない。なれどその瞬間が、剣戟の始まりであった。


 だっ。ずしん。


 フノズール、チャスの両刺客が同時に踏み出し、距離を詰める。片や蛇の如く滑らかに、片や地を鳴らし進む象のように。

 ガイウスは彼らを待たなかった。フノズールへ向け瞬時に駆けると、その顔を三寸(約九センチメートル)深さで割る縦斬撃を加えたのだ。樹木への衝突を避けつつ、体格と武器の長さによる間合い差を最大限活かした一振りである。

 ロング・ソード剣術【天辺斬り】を応用しさらに突き詰めた、速く、重く、鋭く、そして遠い刃。大鉈を手足の如く扱う精妙さと、相手の動きを選び見極める見切りがなす致命の一撃だ。


「片目の割に」


 しかし老騎士は巧みに速度を緩めてこれを躱す。しかも鼻先一寸(約三センチメートル)を切っ先がかすめるほどの、最小限の調節で。

 傍目にはまるで、ガイウスが無様に空振りしただけと見えるだろう。だがその実は、見切りとそれを上回る見切りの衝突であった。


 ひゅん。


 こうして自身の間合いを得たフノズールが、刀を薙ぐ。

 重さは無い。だがその速さと鋭さは、ガイウスのそれを凌駕している。


「ぐっ!?」


 蟲熊皮のレザー・アーマーごと、コボルド王の左上腕を刃が裂いた。

 もし彼が刹那に身を捩らなければ、そして最大の間合いで打ち込んでいなければ……老騎士はこの一撃だけで喉か脇を斬っていただろう。


「うぉぉう!」


 しかしガイウスは傷を負いながらも、振り下ろしの慣性方向を変え掬い上げに転じていく。追撃を諦め、受け流さずに躱すフノズール。

 ガイウスはその機に乗じて続けざまに打ち込み、薙ぎ、また打ち込み……そして相手の顔ではなく刀身目がけて横からフォセを叩き付ける。最後のこれは相手の突きを封じつつ強引にバインド(剣同士が交わる状態)へ持ち込む、ロング・ソード剣術【流し目斬り】だ。


「浅知恵だな」


 並の剣士であればそもそも反応すらできぬ連撃をすべて避け……刀自体を狙った【流し目斬り】に対しても老騎士は刹那に刀を引き、飛び退く。


「受けねば、どうということはない」


 薄く七色に煌めくミスリル合金刀【月寂(つきさび)】はドワーフの名工が鍛え、なかご(柄の内側に収まる部分)に強化魔術刻印のみならず魔法までも込められた逸品中の逸品たる複合魔刀だ。

 それでもなおフノズールは刀というものは容易く折れると見做しており、剣同士がぶつかることを嫌い、体捌きのみで躱す戦い方をしていた。

 信条にするだけなら容易い。しかしそれをガイウス=ベルダラス相手に平然と実行しているのだ。老騎士の身のこなしと見切りの巧みさ、どれほどのものと評すべきか。


 ずがん!


 直後にミスリルフォセと、大剣の金属衝突音。背後からの攻撃を、瞬時に転じたガイウスが受けたものである。


「捕まえたぜ!」


 バインドを嫌うフノズールに対しチャスは、天使の膂力を活かして積極的にバインドへと持ち込んでいく。


「珍しい……な。撃ち落としが得意の貴殿が、バインドからの力勝負とは」

「気分転換ってやつ……さ!」


 一昨年ガイウスが剣を交えたオーガ冒険者を上回る、圧倒的な筋力差である。

 膂力を受け止めるガイウスの足が、じわり地へめり込むほどの。


「小僧、そのままそいつを押さえつけていろ」

「わあってるよ!」


 だがチャスがフノズールへ返事をしたと同時に、ガイウスは押されているバインド状態から巧みに突きを入れた。そのまま刀身がぐるりと捻られ、天使化冒険者の腕肉を削ぐ。


「ぐおっ!?」


 相手が怯んだ隙にコボルド王はフォセを引き抜き、振り向きざまに左手だけでフノズールへ突きを繰り出す。挟撃への反撃法、ロング・ソード剣術【追い打ち】の応用だ。

 老騎士は舌打ちしつつこの切っ先を躱したが、攻撃を断念させられた。ガイウスはそこで即座にもう一度振り返ってチャスを薙ぎ、相手が鉄塊剣で受け止めた隙を利用し距離を再確保している。

 三角を描き、また対峙する三人。


「痛っつ……クソ。この身体でも、斬られりゃしっかり痛えじゃねえか」

「やはりか」


 ガイウス、得心の頷き。


「貴殿、その身体にまだ慣れていないのだな」


 チャスは応じぬものの、それが既に答えであっただろう。


「おい忘れたか、糞漏らし」


 やり取りを聞いていたフノズールが、苛立たしげな血振りの後に刀を鞘へ収める。

 だがその納刀は、戦意までをも収めたものでは決してない。むしろ先程よりも一段と張り詰めた殺気が、木々の間に充満していく。


「元々、私一人だけでも十分なのだ」


 腰を落とした老騎士の指が、柄周りの宙を微かに掻いた。その姿に一段と険しくなる、ガイウスの表情。


「私相手にその構えを用いてもらえるのは、光栄ですね」


 ……居合い術。

 刀の特性と独特の鞘を利用し、抜刀と同時に斬撃を行う高度な技術だ。

 本来は暗殺や奇襲に用いる即応技だが、剣の軌道や間合いを惑わすため正面から使う者もいる。フノズールの技量と見切りをもって放たれる一撃が文字通り必殺であることを、かつて共に戦ったガイウスはよく知っていた。


「不出来な元部下にも餞別くらいは奮発してやろうという、上司心だ」


 ……睨み合い。

 それは堤の縁へ、水が満ちていく時に似ていた。ある一瞬を境に、力が一気に溢れ出すであろうことも。


「つまり時間稼ぎは終わり、ということですか。フノズール団長」

「ほう」

「私だけではない。私と隊を包囲するための別働隊が、着く頃合いなのでしょう?」


 これは指揮所からの報告よりも、ガイウスが先に察していた。直感である。


「戦しか取り柄がないだけあって、鼻が利くな、糞漏らし。それで先に、あの黒髪の小娘らを逃がしたか」


 事実この時、猟犬警戒で確保された偵察不能圏から、予備兵力の新生鉄鎖騎士団が躍り出るように前線へ現れ、コボルド親衛隊の退路を塞いでいた。


「……そうと知りつつこのシェル=フノズール相手に二対一を受けた思い上がりを、正してやるぞ糞漏らし!」

『ばーか! 二対二じゃわ!』


 ずばっ!


 フノズールとチャスが踏み出した瞬間、ガイウスの背嚢から突き出す萎びた上半身。

 国王付霊話兵、コボルド村の長老である。


『風の精霊!』


 びゅおう!


 吹き付ける突風。


「うおっ!?」

「ぐっ!?」


 それはただの風であったが、神秘の所業であるがため刺客には予測の埒外であった。そしてそこから生まれる隙を見逃す、ガイウスではないだろう。

 だからこそフノズールもチャスも咄嗟に攻撃を中断し、反撃に備えたのである。


「うおぉぉおぉぉう!」


 しかしガイウスは猛然と……背を向けて逃げ出した。


『ばーかばーか、もひとつばーか、じゃ! ふぉふぉふぉふぉ!』

「ガイウスーッ!」

「しまった!」


 即座に追いすがる二刺客、だが。


 ロウ……アア……イイ……


「ちっ!」

「なっ!?」

『斉射三連! てーっ!』


 届いた詠唱音の直後に、数発の魔弾が空気を裂いた。

 三連雨はフノズールが立っていた場所と彼の予測進路をも正確に穿ち、そして咄嗟に顔を防御したチャスの胴や四肢へも、容赦なく降り注いだのだ。


『撤収!』

『『『了解!』』』


 草むらから、または樹上から駆け去って行く毛皮の戦士たち。

 それはサーシャリアが親衛隊の撤収を支援するために急遽投入したコボルド猟兵隊、その中のレイングラス班による射撃であった。

 詠唱音が入るとはいえ、今や南方屈指の魔杖射手らによる一斉射撃だ。だがどこから撃たれるかも定かでない攻撃を即応で躱したフノズールの反応と力量は、やはり非凡といえただろう。


「……時間稼ぎをしていたのは、奴もか」


 ガイウスはガイウスで、猟兵隊が親衛隊の支援に入るまでフノズールたちを足止めしていたのだ。その上で必要となれば背を向けて逃げ去るあたりが、やはり勇名も面子もまるで意に介さぬガイウス=ベルダラスであった。


「逃げ足は、教えた通りだな」


 舌打ちしつつ、もう見えなくなった元部下の背中を見やる老騎士。


「あだだだだ……フノズールの爺さんよぉ……あんた今、俺を盾にしただろ……?」

「喜べ小僧。貴様は今日、初めて役に立ったぞ」


 十前後も身体に開いた穴の一部を押さえつつ、チャスがじろりと睨む。彼の苦言通り、本来フノズールを狙うはずの魔弾は、途中から代わりに元冒険者へと叩き込まれていた。 なれど致命傷どころか行動不能にもまだ遠いというあたりに、彼に与えられた肉体の異常さが窺えるだろう。


「ったく。死んだらどーしてくれるんだよ」

「この程度なら大丈夫だ。その身体はな」

「詳しいじゃねえか」


 別の穴を押さえるチャス。前の穴は、既に体液の流出が止まっている。


「四十四分室の実験体には罪人が多い。私の監獄では、病死者が多いことにしていた」

「……聞くんじゃなかったよ」


 吐き捨てた唾のほうには、まだ血が混じっていた。


「で、さっさと追おうぜ。俺はまだ、やれそうだ」

「止めておく。前線では横槍も多いしな」


 あれだけガイウスと因縁じみてやり合っておきながら、すんなり諦める彼に目を点にするチャス。

 だがしばらくして合点がいったのだろう。ああ、と小さく頷く。


「そうか、あんたの剣は不確定要素の多い戦場向きじゃあないんだな。茶々が入らなきゃあの【イグリスの黒薔薇】を圧倒する腕がありながら、あいつに比べて勇名が知られてないのはそのせいか」


 白髪騎士は眼鏡を上げ直しただけで、問いには返さない。だがこれも先程のチャス同様、それが答えであった。


「大丈夫だ小僧、機会はまたある。絶対にな。それにこれで、もう奴らも好き放題に斬り込んでは来られまい。司令官殿とて、この一回だけで全てにケリがつくとは思っておらんだろう……だから貴様の飼い主が、このことで責められるのはまずない。安心しろ」

「そうかい」


 ややほっとした調子で、後頭部を掻くチャス。

 掌を離した穴はやはり、もうすでに血が止まっている。


「小僧」

「何だよ爺さん」

「傷はすぐに塞がるだろう。その後は毎日私のところへ来い。今の肉体でももう少しはまともに動けるよう、とりあえずの矯正をしてやる。次こそは、私の足を引っ張らんようにな」

「クソ! どんだけ上から目線なんだよ。ホントいけ好かねえ爺さんだな、あんた」


 流石の物言いに舌打ちし、睨めつける元冒険者。

 しかしやがて、観念するように息を吐いたのであった。


「……でも分かった、頼むぜ。俺は絶対『この身体』で、【イグリスの黒薔薇】を斬らなきゃあいけねえんだからな」


 ……これ以降コボルド軍はこのような攻撃的守備を心理的にも封じられ、【緑の城】まで遅滞戦闘のみで追い込まれていくこととなる。


 この日コボルド親衛隊はイグリス軍の反撃で戦力の二割を失い、またその退却を支援した猟兵隊も混戦の中で指揮官レイングラスの未帰還に加え、一割を失う損害を出すに至っていた。

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