263:防壁の母

263:防壁の母


 十一日目。

 夜闇の中、【緑の城】最外縁の陣地。雨降りつける夜闇の中でコボルド猟兵隊の面々が、身を寄せ合いながら焚き火を囲んでいる。

 季節は秋だ。長く風雨に晒されれば、冷たさで身も痛む。だが幸い彼らは陣地の簡易屋根や【動く壁】のおかげで、そんな思いをせずには済んでいた。

 とはいえ攻略側のイグリス前線将兵はこの寒さで、休息や睡眠もままならぬはずだ。火を囲み温かい食事をとる妖精犬らの姿は遠目に妬ましかろうが、これは防御側の特権ともいえるものだから、仕方あるまい。


『あれからもう五日か』

『結局戻ってこなかったな、レイングラス』

『他の連中を逃がそうと、イグリス兵の目を引いて取り囲まれたんだ』

『レイングラスさん、そういう人ですもんね……』

『そういや旧コボルド村が冒険者に滅ぼされた時も、アイツ一番最後まで戦ってたよな』

『あいつが霊話使えたら、戦死判断もすぐなんだけどよ』


 はぁ、と揃っての溜め息。


『『『でもまぁレイングラスのことだから、そのうち帰ってくるだろ』』』

「……誰も心配してないでありますな」


 その様子を眺めつつ、ガイウスや長老と同じ焚き火で黄金ドングリ餅を焼いていたダークが呟く。


「私もレイングラスのことは心配していないよ」

『そうじゃそうじゃ。あの馬鹿が戦死とか、そんなまともな死に方する訳ないじゃろー? あいつの死因はもっとマヌケなモンと決まっておるわい』

「蛇にチンチン噛まれて悶死とか、木の上から小便しようと転落死とか、でありますかね?」

『そうそう。そんなあたりが妥当じゃよ。だから心配するだけ無駄じゃ無駄』


 ダークから差し出された焼き餅の串を受け取りつつ、老シャーマンは言い捨てる。


『それよりも心配なのは、あっちのほうじゃよ』

「……ですね」

「で、ありますなあ」


 そう三人が視線を向けた先で立つのは、一人のコボルド婦人。以前空襲で火傷を負い生死を彷徨った親衛隊員サンダーセンチピード、その母親である。彼女の息子もレイングラス同様戦闘中行方不明となっており、そして同じく霊話素養を備えていなかったのだ。

 彼女は仕事の合間、寝る間を削って前線へ来ては息子の帰りを待ち続けている。幸か不幸かコボルド軍が先日完全に【緑の城】へ追い込まれてからは膠着状態が続いているため、この陣地に彼女が立ち寄る余裕も、戦況にはまだ残されていた。


『……まあ、そっとしておいてやろう。あまり無理が祟るようなら、主婦連合の連中がなんとかしてくれるわい』

「そうですね。まったくこういう時、我々男は役立たずでいけません」


 主婦連合の奥様方は時折サンダーセンチピード母の様子を見に来るものの、特に止めも咎めもせずに帰って行く。『どの家も辛いのを我慢しているのに、自分だけ』という苦言が他の母親から出てきてもおかしくなさそうなものだが、それを宥めるなり抑えるなりできるのもまた、コボルド村主婦連合の強さだった。連合は王国最大最強の武闘派閥というだけではなく、懐も広いのである。

 また中高年コボルドを主とする猟兵隊もこの母親にはかなり同情的かつ親身であり、『若い兵士の前だと憚りもあるだろう』と、自分たちが休息する陣地へ招くように配慮していた。


「さて、私は少々用足しに行ってきます」

『なんじゃウンコか?』

「ウンコでありますか?」

「はい、うんこです……」


 もじもじしながらガイウスが去ってしまったので、この焚き火には黒剣士と老シャーマンが残される。

 二人はしばらく薬草茶を啜りつつ、薪が爆ぜるのを眺めていたのだが。


『……まああれじゃ、死人顔。サンダーセンチピードの話ではないが、ヒトというのは何だかんだ不意におらんくなるもんでな』

「はあ」

『それはお前さんかもしれんし、もしかすればあの木偶の坊のほうかもしれん』

「まあ……それはまあ」


 長老が放り込んだ枯れ枝が炙られ、ぱきりと音を立てる。


『じゃからお前さんも、今の内に少しは素直になっておいたほうがええぞ? 臆病モン』

「臆病者とは手厳しい。自分先日も、敵の大軍相手に切った張ったして来ましたのにぃ」


 あぁんと老コボルドにしなだれかかるダーク。


『実はな。ワシも婆さんが生きている内にな、ちゃんと愛してるぞといってやれば良かったと悔やんでおるんじゃ』

「……そうでありましたか」

『一日たった五回しか言わんかったからのう。せめて最低二十回は言うべきじゃったわい』

「それはそれで、有り難みがないのでは」

『そうかの? そうしたら婆さんの「キモいわーこのジジイ」とかいう反応も違ったかもしれん』

「何ともお熱かったことで」


 ニヤニヤと笑いながら指を蠢かせ、長老の胸や腹を撫で回すダーク。


『うひひ、よせくすぐったい……ま、ジジイのお節介じゃ。頭の隅に置いておけ』

「はてさてよくは分かりませぬが。御老体の金言、覚えておきまする」

『まったくお前さんは……じゃからくすぐったいと! うほほ』


 ぐねぐねぐねぐね。


「しかし御老体がこの自分めを気に掛けるとは珍しい。サリーちゃんのほうがよほど愛らしく、心配のし甲斐もありますでしょうに」

『あの子は強い、逞しくなった。何も心配しとらん』


 指をもぞもぞと動かしながら、ダークは黙っている。


『サーシャリア嬢ちゃんはお前さんと違って、自分のやることを、やるべきことを、やりたいことをもう見つけておる。気付いておらんだけでな。もしあの木偶の坊が……こんな仮定はまるで有り得んが……奴がコボルドの敵に回るようなことがあったとしても、嬢ちゃんはあやつではなくコボルド族のために戦うほうを選ぶじゃろうて。そうワシが確信するほどにはのう』

「……それは、同感でありますな」


 自嘲気味に嗤うダーク。

 この死人顔の剣士にとってあの赤毛の友人は、やはり眩い。


「とはいえ何も、このダークめの世話を焼くこともありますまい? だってほら御老体には、ちゃんと気にすべき血の繋がった孫娘ホッピンラビットがおられるのですから」

『うちの孫は割としっかりしとるからのー』

「そうでありますな、最近彼氏もできたと聞きますし。イヤーウラヤマシイナー」

『な  ん  じゃ  と  !?』


 分の悪くなった彼女は、切り札で話をうやむやにした。流石はダーク、手段を選ばぬ。


『だだだだ誰じゃ、誰なんじゃ!?』

「ケーケケケケケケ」


 一気に攻防と主導権が逆転し、今度は老コボルドが大慌てで黒髪剣士の襟首をガクガク揺さぶる有様である。


『おいどうなんじゃーッ! 死人顔ーッ!』

「ケ、ケ、ケケケのケー」

「おや楽しそうですな。一体何のお話しですか、御老体とダーク」


 丁度そこへ戻ってきたのは、手水を手拭き布で拭いながらのガイウスだ。

 だがどうと聞かれても……ダークも長老も、それぞれ先の話を口にするのは躊躇われたのだろう。気まずげに、口籠もっていた。


『その……あれじゃ』

「ガイウス殿が開戦以降風呂に入ってないから、臭いって話でありますよ」

『そうじゃそうじゃ』


 悪辣な連携、誕生す。


「えっ!? そりゃあまあ、確かにもう十日以上入ってませんが……この程度戦場ではよくあることですし、私は平気ですよ」


 そうは言うものの、無意識に首筋を掻く爪先からは垢がポロポロと落ちている。汚い。


『もうそんなになるか。じゃがワシはなんだかんだ合間で村の浴場へ行っとるし、前線におるときだって身体をマメに拭っとるぞ』

「自分もでありますよ」


 口から出任せの二人ではあったが、いざ話題にしてみれば真面目な問題だ。

 有史以来、戦場の不衛生から将兵が戦闘不能になる事例など枚挙に暇が無い。いくら腐れの精の忖度があろうとも、不潔であれば至極当然病気にもなる。


『しかしお前ここまできったないと、体を拭いた程度じゃ埒があかんのう。風呂でガッツリ汚れを落とさんと』

「で、ですが私が前線を離れる訳には……その間にもし夜襲なり何なりあっては大事です」

「とはいえ実際、ガイウス殿に病気になられても困るでありますよ」


 腕組みして唸る一同。

 しばしして、長老がポンと掌を拳で打つ。


『よし、風呂を呼ぼう』

「風呂を……ですか?」

『野外炊具(フィールドキッチン)ゴーレムあるじゃろ』


 野外炊具ゴーレムとは、コボルド王国魔法院が開発した移動式調理設備である。それはゴーレム馬に竈や調理場を搭載する拡張装備を取り付けたもので、前線手前で煮炊きし将兵へ出来たての食事を届けるために用いられる。

 たかが食べ物と侮るなかれ。一杯の温かいスープは雄弁な演説よりも、余程戦士たちを鼓舞するのだから。


『近日【緑の城】まで後退したから、もう食事は村で作って現場で温め直しとるじゃろ? じゃから今もいくつか、野外炊具装備が空いとるじゃろうて。そいつらの釜で湯を沸かしたらいい。火の精霊にも手伝わせるわい』

「おー、いいでありますな。あとは湯涌も持ってこさせたら、バッチリです」

『じゃろじゃろー?』


 妙な意気投合で、『「ウェーイ」』と両手を合わせるダークと長老。


「えっ……じゃあ私、こんな最前線でお風呂に入るんですか?」

『そうじゃが?』

「皆が見てる中で全裸に? と言うか遠目にイグリス軍の前線からだって、見えているだろうに……?」

「そうでありますよ?」

「それは……は、恥ずかしい」


 もじもじと身体を捻ると、凶相巨躯の姿にまるで似合わぬ言葉を吐く隻眼王。


『何でじゃ』

「私最近、お尻に大きなおできができてしまったので……」

『アホか分かる訳ないじゃろ』


 コボルド王国最高責任者の不満はいつものように無視され、入浴と着替えが決定する。猟兵隊員らの『実際かなり臭うぞお前』という言葉が決定打であった。

 その後はダーク主導でトントン拍子に支度が進められ、あれよあれよとガイウスは裸に剥かれ湯涌へ追いやられていく。


「ううむ。ダークお前、随分と手際のいいものだが」

「そりゃあ自分、老いたガイウス殿の介護が近々控えておりますのでねぇ」

「ええぇ……」


 コボルド王は渋く苦い顔だが、黒剣士は大の上機嫌である。


「着替えも用意済みであります、終わったらこれに」

「アッハイ」


 なおこの様子はガイウスの心配通り、野営中のイグリス前線部隊からも遠目だが木々の間を通してしっかり見られていた。

 最前線の闇中で灯りに照らされつつ、豪胆にも……敵からはそう見えたらしい……全裸で入浴するその姿は、無駄な尾鰭が付き【ベルダラスの前線風呂】という逸話として残ることとなる。


『お、いいの入ってんじゃねえか』


 そんな中、ガサガサと濃い茂みを掻き分けて赤胡麻毛皮が顔を出す。


『げっレイングラス!?』

『お前、どこから出てきてんだよ!』

『そっちクロイバラの障壁帯があるだろ?』

『ああここな、コボルドなら這って抜けられる程度の抜け道があるんだよ。それより俺も、風呂入らせてくれよー』


 匍匐前進で這い出てきた猟兵隊長だが……隊員たちは歓迎もせず、鼻に皺を寄せて険しい顔。


『『『うお、くっさ……』』』

『あぁこれな。猟犬まいて隠れるのに、獣の糞塗りたくったり死体使って臭いを付けたり色々したもんだからさぁ。しかも連中しつこいんで、隙を見つけるまで何日もこのままで……』


 気安く語るが、レイングラスの実力に勘と機転、そしてなにより幸運のたまものだ。余人が真似して、なし得るものではあるまい。


『なぁだから俺とコイツも、風呂入れてくれよー』


 ぼやきながらレイングラスが茂みへ手を入れ、もう一人引っ張り出す。同じく戦闘中行方不明であった、親衛隊員サンダーセンチピードだ。


『『『あっ! お前生きてたのか!』』』

『サンセンチッ!』


 猟兵隊員らを掻き分け、母親が息子へ飛び付く。


『良かった……生きてたんだね、生きててくれたんだね』

『お、お母さんどうしてここに!? いやほら俺ウンコ臭いから、離れなってば』

『いいんだよ、そんなことはどうでもいいんだよ……っ!』


 汚物まみれの息子を抱きしめる母。

 周囲の猟兵隊員や長老、湯涌のコボルド王はその姿に感極まり『『「ぶおーんぶおーん」』』』と号泣していた。いつものことだが王国の男衆は、実に涙もろい。


「ささ、雨の中冷たかったでありましょう。お湯でサンセンチも綺麗にするでありますよ。御母堂のエプロンについた汚れも、こちらで」

『わーいありがとう、ダークさん』

『よかったねえサンセンチ、よかったねえ』

『『「ぶおーんぶおーん」』』


 微笑ましくも温かく、生還した若者を迎える皆。

 そんな光景を、やはり汚物まみれの猟兵隊長は腕組み笑顔で見守っていたのだが……しばらくして、何かに気付いたらしい。


『何で俺の心配は、誰もしてない訳?』



 なお村へ搬送された国王の洗濯物を将軍が「見逃して! 最近ガイウス様成分が足りないのー!」と横領を試みる事件が発生したものの、これは「流石にこれ以上サリーちゃんの性癖が尖鋭化しては困るであります」というダークの予防的差配により、未然に防がれている。


 ……王国戦時記録より。

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